3月21日

真の魅力は内省的な歌詞にあり — 尾崎豊に堕ちていく少年の物語

30
0
 
 この日何の日? 
尾崎豊のセカンドアルバム「回帰線」がリリースされた日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます
▶ アーティスト一覧

 
 1985年のコラム 
東京ディズニーランド「エレクトリカルパレード」気持ち高まるモーグの響き!

マイケルもビックリ!モーフィングを世界に知らしめたゴドレイ&クレーム

グレン・フライの最も派手なヒット曲 ー ビバリーヒルズ・コップの主題歌

盗んだバイクは的外れ!尾崎豊の本質に近づくために注目したい歌詞ベストテン!

1992年に亡くなった尾崎豊に心酔してみたかった 1996年生まれの私…

【佐橋佳幸の40曲】大江千里「REAL」この曲でギターを弾いた後、寝るヒマもなくなった!

もっとみる≫



photo:SonyMusic  

僕が尾崎豊の存在を初めて知ったのは、1985年の春、小学6年生の時だった。

それは、卒業間近の3月の或る日曜日のこと。当時、FM東京 で毎週14時に放送していた『田原俊彦 ひとつぶの青春』で、尾崎豊の曲が3曲オンエアされたのだ(ちなみに現在、この枠は、『山下達郎のサンデー・ソングブック』として知られていますね)。

確か、新譜を紹介するコーナーだった。その時ラジオから流れてきたのは「Scrap Alley」「坂の下に見えたあの街に」あたりだったと思う。今考えると少々意外な選曲であるが、トシちゃんが DJ の FM放送 ということで、比較的キャッチーなチューンを選んだということだろうか。

ちょうど同じ頃、『明星』や『平凡』の付録の歌本では、尾崎豊の「卒業」が大きく取り上げられたりもしていた。これらの曲が収録された2ndアルバムの『回帰線』は、オリコン LP チャートで突如として初登場1位を記録することになるのだが、その導火線として、こうした媒体のプロモーションの効果が意外と大きかったように思う。

当時、小6だった僕に尾崎の歌はまだピンと来ていなかったが、そのメロディや歌唱に、新鮮な何かを感じ取っていたことも確かで、ラジカセで録音した曲を何度も何度も繰り返し聴いていた。

そんな1985年の春、のちの青春時代を左右する大きな出来事が起こる。一家の引っ越しに伴い、中1の4月から僕は人生で初めて東京都に住むことになったのだ。僕にとって、この転校はきつかった。これまで住んでいた土地に比べて、東京の中1は無表情な冷たい感じがした。

周りが小学校からの顔見知り同士で会話する中、少しずつ深まる新参者の孤独――

日に日に自分が自分でなくなっていくのを感じる。悩んでいることは、親にもクラスメイトにも誰にも言えなかった。僕が尾崎の歌にのめり込んでいったのは、そんなときだった。


 受け止めよう 目まいすらする街の影の中
 さあもう一度 愛や誠心で
 立ち向かって行かなければ
 受け止めよう 自分らしさに
 うちのめされても
 あるがままを受け止めながら
 目に映るもの全てを愛したい


転校した中学に馴染めず、学校に通うこともしんどくなってきた僕の心に、尾崎の歌詞はそれはもう痛々しいほど沁み込んでいった。詞の中によく「街」というフレーズが出てくるが、それは僕にとって、転校先で初めて感じた都市の情景でもあった。孤独でつらい毎日だったが、それでも僕は頑張って学校に通った。常にアタマの中には尾崎の歌が流れていた。


 ひとりぼっちの夜の闇が
 やがて静かに明けてゆくよ
 色褪せそうな自由な夢に
 追いたてられてしまう時も
 幻の中 答はいつも 朝の風に空しく響き
 つらい思いに 愛することの色さえ
 忘れてしまいそうだけど


当時、尾崎が十代の教祖として崇められるほどの現象が起きたのは、決して盗んだバイクで走り出したからでも、窓ガラスを壊してまわったからでもなく、こうした内省的な歌詞に共感を覚える少年が多かったからだと、僕は思っている。

彼の歌に描かれる若者の心に潜む孤独や、その心象風景には、自己投影というか、それがあたかも自分自身のことのように思えてしまう、そんな不思議な魔力があった。小6の春にはピンときていなかった尾崎豊だったが、中2の春には、“自分は彼と前世でつながりがあったのではないか?” と妄想してしまうほどハマっていた。それは、僕の中にモンスターが乗り移ってしまったかのようでもあり、ハマったなどという生やさしいものではなかったと思う。ただ、「愛」や「真実」という言葉の持つ意味について、自分なりに真剣に考えるようにもなっていた。そうやって日々は続いていった。

尾崎の歌とともに――


 何かが俺と社会を不調和にしていく
 前から少しずつ感じていた事なんだ
 いつからかそれをさえぎる
 顔を持たない街の微笑み
 少し疲れただけよって 君は身体すり寄せる


1987年、疲弊した中3の僕は限界を迎える。ついに学校に行くことができなくなってしまった。学校での内申点も一気に下降し、両親にも心配をかけた。でも、学校に行くことが出来なくなる程に、それこそ身を削るような思いで聴きこんだ尾崎豊は、僕の青春そのものだった。


時は過ぎ、1992年春――

尾崎豊が死んだという報せを聞いたのは、大学に入ったばかりの春の日。僕自身、尾崎の呪縛から一旦距離を置いて、“過去の自分から卒業できたかな” などと、ようやく思えるようになった矢先の一報だった。僕は、護国寺の追悼式には行けなかったけれど、ありったけ泣いて、ありったけ叫んだ。


それから、さらに時は過ぎ、2018年秋――

僕は46才になっていた。

当時護国寺の追悼式に足を運んだ4万人とも言われる人達も、その多くはアラフィフ世代として、それぞれの地図を描いて日々を生きていることだろう。そういえば、僕が初めて尾崎に触れた曲「Scrap Alley」では、こんな風に歌っていたっけ。


 昔の事を思い出し 賛美して
 懐かしがるつもりはない
 これからおまえの生きざまを思う時
 おまえの Shout が聞こえてくるんだ


やっぱり僕はまだ、尾崎豊から、卒業できていないのかもしれない。


歌詞引用:
存在 / 尾崎豊
失くした1/2 / 尾崎豊
核(CORE) / 尾崎豊
Scrap Alley / 尾崎豊


2018.10.28
30
  YouTube / Sony Music (Japan)


  Apple Music


  Apple Music
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
1972年生まれ
古木秀典
コラムリスト≫
75
1
9
8
6
51歳の岡村靖幸が真摯に歌う、21歳のデビュー曲「Out of Blue」
カタリベ / 平マリアンヌ
25
2
0
2
1
山下達郎「クリスマス・イブ」悲しい失恋ソングがこれほどまでに支持を集めるわけ
カタリベ / goo_chan
28
1
9
8
3
尾崎豊のデビューアルバム「十七歳の地図」から40年!オザキの本質が潜んでいる2曲とは?
カタリベ / 本田 隆
22
1
9
8
2
ファースト・タイムはホロ苦く…甲斐よしひろに叱られた初ロックライブ
カタリベ / ソウマ マナブ
43
1
9
8
7
夕やけニャンニャン最終回、大人たちが精一杯遊んだおニャン子クラブ
カタリベ / 宮木 宣嗣
35
1
9
8
0
さだまさし「HAPPY BIRTHDAY」これまでの自分から新しい自分に!
カタリベ / 綾小路ししゃも