3月21日

真の魅力は内省的な歌詞にあり — 尾崎豊に堕ちていく少年の物語

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photo:SonyMusic  

僕が尾崎豊の存在を初めて知ったのは、1985年の春、小学6年生の時だった。

それは、卒業間近の3月の或る日曜日のこと。当時、FM東京 で毎週14時に放送していた『田原俊彦 ひとつぶの青春』で、尾崎豊の曲が3曲オンエアされたのだ(ちなみに現在、この枠は、『山下達郎のサンデー・ソングブック』として知られていますね)。

確か、新譜を紹介するコーナーだった。その時ラジオから流れてきたのは「Scrap Alley」「坂の下に見えたあの街に」あたりだったと思う。今考えると少々意外な選曲であるが、トシちゃんが DJ の FM放送 ということで、比較的キャッチーなチューンを選んだということだろうか。

ちょうど同じ頃、『明星』や『平凡』の付録の歌本では、尾崎豊の「卒業」が大きく取り上げられたりもしていた。これらの曲が収録された2ndアルバムの『回帰線』は、オリコン LP チャートで突如として初登場1位を記録することになるのだが、その導火線として、こうした媒体のプロモーションの効果が意外と大きかったように思う。

当時、小6だった僕に尾崎の歌はまだピンと来ていなかったが、そのメロディや歌唱に、新鮮な何かを感じ取っていたことも確かで、ラジカセで録音した曲を何度も何度も繰り返し聴いていた。

そんな1985年の春、のちの青春時代を左右する大きな出来事が起こる。一家の引っ越しに伴い、中1の4月から僕は人生で初めて東京都に住むことになったのだ。僕にとって、この転校はきつかった。これまで住んでいた土地に比べて、東京の中1は無表情な冷たい感じがした。

周りが小学校からの顔見知り同士で会話する中、少しずつ深まる新参者の孤独――

日に日に自分が自分でなくなっていくのを感じる。悩んでいることは、親にもクラスメイトにも誰にも言えなかった。僕が尾崎の歌にのめり込んでいったのは、そんなときだった。


 受け止めよう 目まいすらする街の影の中
 さあもう一度 愛や誠心で
 立ち向かって行かなければ
 受け止めよう 自分らしさに
 うちのめされても
 あるがままを受け止めながら
 目に映るもの全てを愛したい


転校した中学に馴染めず、学校に通うこともしんどくなってきた僕の心に、尾崎の歌詞はそれはもう痛々しいほど沁み込んでいった。詞の中によく「街」というフレーズが出てくるが、それは僕にとって、転校先で初めて感じた都市の情景でもあった。孤独でつらい毎日だったが、それでも僕は頑張って学校に通った。常にアタマの中には尾崎の歌が流れていた。


 ひとりぼっちの夜の闇が
 やがて静かに明けてゆくよ
 色褪せそうな自由な夢に
 追いたてられてしまう時も
 幻の中 答はいつも 朝の風に空しく響き
 つらい思いに 愛することの色さえ
 忘れてしまいそうだけど


当時、尾崎が十代の教祖として崇められるほどの現象が起きたのは、決して盗んだバイクで走り出したからでも、窓ガラスを壊してまわったからでもなく、こうした内省的な歌詞に共感を覚える少年が多かったからだと、僕は思っている。

彼の歌に描かれる若者の心に潜む孤独や、その心象風景には、自己投影というか、それがあたかも自分自身のことのように思えてしまう、そんな不思議な魔力があった。小6の春にはピンときていなかった尾崎豊だったが、中2の春には、“自分は彼と前世でつながりがあったのではないか?” と妄想してしまうほどハマっていた。それは、僕の中にモンスターが乗り移ってしまったかのようでもあり、ハマったなどという生やさしいものではなかったと思う。ただ、「愛」や「真実」という言葉の持つ意味について、自分なりに真剣に考えるようにもなっていた。そうやって日々は続いていった。

尾崎の歌とともに――


 何かが俺と社会を不調和にしていく
 前から少しずつ感じていた事なんだ
 いつからかそれをさえぎる
 顔を持たない街の微笑み
 少し疲れただけよって 君は身体すり寄せる


1987年、疲弊した中3の僕は限界を迎える。ついに学校に行くことができなくなってしまった。学校での内申点も一気に下降し、両親にも心配をかけた。でも、学校に行くことが出来なくなる程に、それこそ身を削るような思いで聴きこんだ尾崎豊は、僕の青春そのものだった。


時は過ぎ、1992年春――

尾崎豊が死んだという報せを聞いたのは、大学に入ったばかりの春の日。僕自身、尾崎の呪縛から一旦距離を置いて、“過去の自分から卒業できたかな” などと、ようやく思えるようになった矢先の一報だった。僕は、護国寺の追悼式には行けなかったけれど、ありったけ泣いて、ありったけ叫んだ。


それから、さらに時は過ぎ、2018年秋――

僕は46才になっていた。

当時護国寺の追悼式に足を運んだ4万人とも言われる人達も、その多くはアラフィフ世代として、それぞれの地図を描いて日々を生きていることだろう。そういえば、僕が初めて尾崎に触れた曲「Scrap Alley」では、こんな風に歌っていたっけ。


 昔の事を思い出し 賛美して
 懐かしがるつもりはない
 これからおまえの生きざまを思う時
 おまえの Shout が聞こえてくるんだ


やっぱり僕はまだ、尾崎豊から、卒業できていないのかもしれない。


歌詞引用:
存在 / 尾崎豊
失くした1/2 / 尾崎豊
核(CORE) / 尾崎豊
Scrap Alley / 尾崎豊


2018.10.28
23
  YouTube / Sony Music (Japan)


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カタリベ
1972年生まれ
古木秀典
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