横浜に住んでいるときは、東京の学校や会社に通い、戻ってくるのはひと仕事であった。
「帰らねばならない」という帰巣本能が備わっていたせいか、どんなに疲れていようが、酔っ払っていようが、体調不良になろうが、牡蠣に当たろうが、意識的に… また無意識的に私の体は実家へと戻ろうとした。お風呂入って、寝て、身を整えるためのたった5時間のためでも。
私の実家は最寄駅から早足の徒歩15分とバスに乗るには中途半端で、歩くしかなかった。その間、ウォークマンが私の友だったことはもちろんで、日中消耗しすぎて充電が切れたりすると悲しいものであった。音楽が大好きだった私はいろんな曲を聴いたけれど、ウォークマンで聴いた曲でもっとも印象的な一曲は渡辺美里の「悲しいね」だ。
ランダムに曲をセレクトしたカセットテープよりもアルバムA面、B面きっちり録音されているものを持ち歩くことが多かったので、「悲しいね」を聴くためにアルバム『ribbon』を持ち歩いていたわけだけれど、私の中の『ribbon』といえば「センチメンタルカンガルー」と「悲しいね」だった。
私の独断と偏見だが、「センチメンタルカンガルー」は初夏、「悲しいね」は秋。このふたつの季節を切ないという気持ちが行ったり来たり。そして、いざ、本当に秋が深くなり、ちょうど失恋したばかりの私は、最寄駅を降りてウォークマンから流れる「悲しいね」と共に冷たい風に吹かれながらどうしようもなく悲しさに翻弄された。この時ばかりは15分という微妙に長い道のりが一人で居られる安心の時間であった。
そのことがあるからか、それとも渡辺美里の歌の持っているバイブレーションがそうなのか、なんとなく渡辺美里の曲で泣いちゃうのはあまりみんなに見せたくない姿のように感じる。秦基博でぼろぼろ泣いているのはいいのだけれど。渡辺美里の歌に涙している私には未練がいっぱいありそうだ。
未練って、なんだかんだ体力のある人の特権かも。違う?
いいも悪いも若いころの体力は強烈な未練を生んでいたかもしれないなあ… なんて今は思ったりする。
だから、あの頃の「悲しい」は24時間の23時間くらいが「悲し」かった。今は何があっても、もうそんなに悲しんでられない。
決して「悲しさ」を無視しているわけではないが、「悲しさ」と目を合わせながらも、足先は明日を向かざるをえない。
なぜなら「切ない」と違って「悲しい」の原因はわかっている。気を許したらすり抜けてしまうような感情ではない。原因がわかっているから、半分以上は消化しているのだ。原因に名前をつけられず、ぐるぐるしてしまっているわけではないのだから。
悲しさが癒えるためには時間が必要かもしれないが、でも名前があるのだから安心だ。いつだって忘れずにいられる。体力が有り余ってなくてもちゃんとそこに「悲しさ」は待ってくれる。そしてあの時の孤独の感覚は今の孤独とは違う。「悲しい」が「悲しい」だけじゃないことも知っている。
―― ということをあの頃の私に言ったらなんて思うだろう。そして10年後の私は今の私になんて語りかけるのだろう。そうだ、『ribbon』を締めくくる歌は「10 years」。
あれからちょうど30年たった。見える景色は確かに変わっている。「悲しいね」は私の中では一つの墓標のようなものだ。敬意を示して一礼したい。今度またお参りに来る時も絶対に一人でひっそりと!
2018.10.09
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