今から51年前の特撮ヒーロー番組「魔人ハンター ミツルギ」
トシをとると時の流れがどんどん早くなるから余計にそう感じるのかも知れないが、ついこの間新年を迎えたばかりなのに、気がつけばもうゴールデンウィークも過ぎてしまった。このように3、4ヶ月ぐらいの月日はアッと言う間に過ぎていくが、今から半世紀前の1973年のこと、年明け1月にスタートし、同年3月をもってアッという間に終了した特撮ヒーロー番組があった。その名も『魔人ハンター ミツルギ』(以下:ミツルギ)。ご存じの方はいるだろうか?
時は徳川権勢の世、突如サソリ座から怪獣たちを率いてサソリ魔人が襲来。日本を混乱に陥れ天下を取らんとするサソリ軍団に、日本の安泰を願う忍者集団・ミツルギ一族が立ち塞がる。
一族の長老・道半は、ミツルギ三兄妹の “銀河・彗星・月光” に、それぞれ秘刀 “智・仁・愛” を託す。三兄妹はこの秘刀により巨大神ミツルギに合体変身し、将軍の隠密・服部半蔵と力を合わせ、サソリ軍団と戦うのである。
週に10本以上の特撮ヒーロー番組が乱立した1973年
この『ミツルギ』が放送された1973年は、『仮面ライダー』(1971年)の爆発的人気に端を発した空前の変身ブームの真っ只中。週に10本以上の特撮ヒーロー番組が乱立する中で放送された本作であるが、『ミツルギ』をご存知ない方は前述の設定に “インパクトが弱いのでは?” という印象を持たれたかも知れない。
しかしながらたった3ヶ月も持たずに終了したこの作品、未だに一部のファンの間では根強い人気があり、CS放送では現在に至るまで周期的に放送されているし、今年に入って何とサントラ盤のCDまで発売されているのだ。その魅力の秘密はいったい何なのか?
特撮ファンから厚い信頼を得ているキャストとスタッフ
本作のキャストとスタッフは、実に手堅い布陣で固められている。ミツルギ銀河役には『忍者部隊月光』、そしてのちに円谷プロの『緊急指令10-4・10-10』で主役を務める水木襄。ミツルギ月光役には、当初『ウルトラマンA』の南夕子役の候補の一人であった林由里。ナレーターはのちに『宇宙戦艦ヤマト』でデスラー総統の声を演じる伊武雅刀(当時のクレジットは伊武正己)。
監督には『マグマ大使』『スペクトルマン』などの土屋啓之助、脚本には『吸血鬼ゴケミドロ』『Gメン'75』『マジンガーZ』などの高久進といった、特撮ファンから厚い信頼を得ている面々が顔を揃えている。
そして主題歌「走れ!嵐の中を」、挿入歌「風のうわさ」が、これまた名曲なのである。遠雷を思わせるティンパニの前奏で始まる「走れ!嵐の中を」は、作曲と歌を担当した水上勉が当時、「琵琶を使って激しさや寂しさを強調した和風ウェスタン調に仕上げた」と語っているとおり、疾走感と激しさと哀愁がひとつになった、他の特撮ソングにはない独特の魅力がある。
また「風のうわさ」はエンディングとして使用されることはなく、本編中のラストで何度か流れるにとどまったが、オープニングの激しさとは異なり、ストリングスが醸し出す雄大さが心地よい佳曲である。両曲とも、のちに『銀河鉄道999』の劇伴音楽を担当する青木望の編曲の力によるところも大きい。
なお、これはマニアにはお馴染みの注釈であるが、本作に携わった水上勉は、『飢餓海峡』『五番町夕霧楼』などで著名な作家の水上勉とは同姓同名の別人である。
ヒーローと怪獣との戦いを人形アニメで表現
さて、この『ミツルギ』の第1話放送当日には、以下のような新聞記事が掲載された。
きょうから始まる「魔人ハンターミツルギ」(フジ)は “アニクリエーション” と呼ばれる特撮もの。主役のミツルギはこれまでの怪獣もののようなぬいぐるみではなく、高さ二十五センチの人形。関節が自由に動き、手で物を持つ精巧なものだけに製作費は一体十五万円ナリ。「動きの省略と誇張がねらいです」とは、これを操作する中村武雄さんの話。
(1973年1月8日付朝日新聞より)
そう、この作品には設定のインパクトの弱さを補う独自の個性があったのだ。当時の大半の特撮番組においては、ヒーローも敵怪獣や怪人も、生身の人間が着ぐるみに入って演じていたのに対し、この『ミツルギ』ではヒーローと怪獣との戦いが人形アニメ(本作では アニクリエーションと呼称されているが、モデルアニメとも呼ばれる)で表現されていたのである。
モデルアニメとは、人形を少しずつ動かしながら1コマ1コマ撮影し、完成したフィルムではその人形が動いて見えるという、恐ろしく手間ひまのかかる手法であるが、それにより着ぐるみでは表現し得ないプロポーションを持った生物の動きも生々しく表現することができたのだ。
元来、海外での怪獣映画ではこの手法が主流で、『ゴジラ』に多大な影響を与えた『キングコング』(1933年)も同様。他には巨匠レイ・ハリーハウゼンが特撮を担当した映画『アルゴ探検隊の大冒険』(1963年)などが有名で、この作品で主人公たちがガイコツ軍団と戦いを繰り広げる4分ほどのシーンだけでも、撮影には4ヶ月以上が費やされたという。
第1作目の『ゴジラ』(1954年)でも当初は『キングコング』に倣い、この手法での制作が検討されたというが、時間と手間がかかり過ぎるという理由で見送られている。しかしそのおかげで、結果的には日本独自の「着ぐるみ怪獣映画」が定着することになったことは興味深い。
『ミツルギ』では敢えて、その手間ひまのかかるモデルアニメの手法を毎週放送の特撮番組に取り入れたのである。これはもう野心作というレベルを超えた、“無謀作”ともいうべき挑戦であった。
着ぐるみでは表現不可能な敵怪獣の不気味な動き
今見ても『ミツルギ』のバトルシーンは、当然のことながら他の特撮ヒーローとは一線を画すこの作品ならではの雰囲気があり、特に着ぐるみでは表現不可能な敵怪獣の不気味な動きは注目に値する。
前述の新聞記事で紹介されている中村武雄は、日本におけるモデルアニメの第一人者ともいうべき存在で、『ミツルギ』に先立ち、同じ国際放映制作の『コメットさん』においても存分にその腕を発揮していた。そして『ミツルギ』でも中村は、特撮担当でありモデル造形担当でもあるという、非常に重要な立場にあった。のちに中村は『ミツルギ』について次のように語っている。
「この作品のために私と妻、そしてカメラマンと美術というわずか4人の特撮班を組みまして、国際放映の敷地内に8畳ほどのスタジオを作ってもらって、そこですべてをやっていましたね。当時は30分ものは2本まとめて、1週間で撮るというペースだったんです。要求はどんどん大きくなるし、とにかくスケジュールに合わせるのが精一杯。」
朝日ソノラマ刊「宇宙船」1987年4月号所収のインタビューより
映画『アルゴ探検隊の大冒険』とは比べものにならぬ厳しいスケジュールだったことが窺い知れるが、そんな制作状況の厳しさが徐々に画面にも現れるようになり、戦闘シーンが短くなるわ、コマ撮りではなくモデルを直接動かしての撮影が多用されるようになるわ… とほころびが生じてゆき、残念ながら全12話をもって終了となった。
ⓒ国際放映
通り雨ならぬ “通り嵐” のような存在であった「魔人ハンター ミツルギ」
当時の特撮ヒーロー乱立時代において、当然のことながら各番組がさまざまに明暗を分けることになった。この『ミツルギ』も、番組としては成功裏に終わったとは言い難い。しかしながら、先行する特撮ヒーロー群の真似事はやるまいというスタッフの心意気は、今も私たちの心の中にその爪痕を確実に残している。
さて、先に紹介した本作の主題歌「走れ! 嵐の中を」は、以下のような歌詞で始まる(作詞:雨宮雄児)
吹き荒れる 嵐のなかを
どこから来たのだろう
あの若者たちは
ヒーロー乱立のあの時代は、まさに “吹き荒れる嵐” であった。その中を果敢に駆け抜けていった『ミツルギ』は、通り雨ならぬ “通り嵐” のような存在であったと思う。
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2024.05.15