80’s Idols Remind Me Of… vol.1
飾りじゃないのよ涙は / 中森明菜
80年代女性アイドルの大隆盛は、昨今のアイドルブームにも比肩するような、いやそれ以上の盛り上がりを呈していたかもしれない。
80年代の幕開けとともに、松田聖子、河合奈保子、柏原芳恵… 80年デビューの3大女性アイドルが人気を博したことに端を発し、新たなアイドルシーンが増幅・形成されていく様相に、受け手側の我々は、それはもう毎日のように興奮させられたものだった。特に “花の82年組” 以降、星の数ほどアイドルが続々シーンに登場してくるわけで、80年代の終盤までは嬉しい悲鳴をあげっぱなし状態であった。
毎週のように誰かしらが、何かしらの新曲シングルをリリースしていて、僕らのバイト代はニコッと微笑むかわいいジャケに KO されながら、シングル盤購入という底なし沼に吸い込まれていた。
動く姿を見るのはいつもブラウン管の向こう側、もちろんテレビで観られるのは一握りのトップクラス、直接会うなんて考えもしなかった―― まさしく偶像(アイドル)を追い求めた80年代。昨今のアイドルシーンとはその点が決定的に異なっているわけだが、その分楽曲への向き合い方は今よりも濃厚だった。送り手側も基本スタンスは、“アイドル=歌手” という姿勢で臨んでおり、我々受け手側もそのように向き合っていたのは確かである。
アイドルソングにおいて、永遠に不変と思われる暗黙の了解は、絶対的な処女性だ。それはもう送り手側、受け手側双方に不文律ながらも確かに存在している。
ただし80年代アイドルソングのひとつの特徴でもあるが、「処女性」をやんわりと否定するようなセクシャルなニュアンス・比喩表現が盛り込まれた楽曲が多くなった。もちろん全部が全部ではないが、最終的には処女性をキープする中でのセクシャル想起表現に僕らは悶々と歓喜しながら、ズキュン、ズキュンとハートを射抜かれていたんだな。
82年デビュー組のトップに君臨していた中森明菜の最高傑作「飾りじゃないのよ涙は」(84年)は、アイドルソング史上かなり革新的な作品だ。井上陽水がアイドルに楽曲を書きおろすこと自体が画期的だったが、その歌詞はもっと衝撃だった。
速い車にのっけられても
急にスピンかけられても
これが何を意味するのか、続く詞で聴くものを震えあがらせる。
赤いスカーフがゆれるのを
不思議な気持ちで見てたけど
これはもう壮絶な処女喪失を想起させる、秀逸な比喩表現としか言いようがないではないか。「いろんな人とすれ違ったり」「そして友達が変わるたび」といった不特定多数との交わりを想起させる表現があることで、かえって直前の喪失表現に信ぴょう性が備わってきたり…
デビューのキャッチフレーズは “ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)”。セカンドシングル「少女A」のハスッパなイメージ。サードシングルはファースト・ラブではなく「セカンド・ラブ」―― 等々で積み重ねられた明菜のイメージ戦略が、ここで決定的場面を迎えたわけだ。
「ほんとの恋をしていない」「いつか恋人に会える時」―― その時、これまでの本意でない行為を打ち消し、真の愛をみつけて涙を流すという、この後に続いていくフレーズは、聴くものに救いの手を差し伸べているわけだが…
さて、「飾りじゃないのよ涙は」が、衝撃的な革新性を伴った、アイドルソング史上類まれなる傑作であることが、わかってもらえただろうか。
※2018年4月28日に掲載された記事をアップデート
2018.11.14
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