松田聖子がどれだけ偉大かということは、彼女が地位を築いて以来「○○界の聖子チャン」というのが大勢生まれたことに象徴される。
もはやアイドルという言葉に成り代わり「聖子チャン」が代名詞として使われ、ジャズ界の聖子チャンやら民謡界の聖子チャン、果てには政界の聖子チャンやAV界の聖子チャンまで、似ても似つかない人たちまで「聖子チャン」に祀り上げられた。
とにかく手っ取り早く売り出すにはルックスを売り物にして注目を集める手法が聖子チャンの名を借りて蔓延した時期が80年代にはあったのだ。
そんな中1983年にメジャーデビューし「ヘビーメタル界の聖子チャン」として話題になり始めてきたのが浜田麻里だった。糸井重里氏の手による売り出しコピーは「麻里ちゃんはヘビーメタル」。
LOUDNESSのドラマー樋口宗孝のプロデュースで、ハードロック色を前面に打ち出したデビューアルバムのタイトルは「Lunatic Doll 暗殺警告」。おどろおどろしいタイトルがつけられていて、何ともプロデュース先行で売り出された観があるが、それもそのはず、当時LOUDNESSと共に動いていたのは長戸大幸氏。90年代に一世を風靡するビーインググループの総帥である。
売り出し上手の長戸氏が一枚咬んでいたとは、今になってみれば納得できる事実である。ハードロックなんてコアなジャンルで売り出した割には彼女の人気は徐々に広がり「聖子チャン」なんて言われ始めたのはそんな頃だったと思う。
女性ハードロッカーなんて、はじめはもの珍しさから聴いてみたリスナーも多かったと思うし、自分としてもその類だったと自覚しているが、正直、何て品のない歌い方をするシンガーなんだろうという印象だった(品を期待するほうが間違っているが)。伸びのある高音域をこれでもかというほどのビブラートでシャウトし続ける彼女は「私ってすごいでしょ」と主張感が強く、いただけない感じだったのだ。
しかしメジャーになるほど、売れセン狙いで丸くなるのは世の常であって、元々下積み時代にCMソングなどを歌っていた彼女は、POP路線を追い風にして、幅広い順応性を発揮し、メジャーシンガーに上り詰めていく。
1988年NHKソウル五輪のテーマソング「Heart & Soul」、1989年カネボウ夏のキャンペーンソング「Return to Myself 〜しない、しない、ナツ。」とヒット曲を連発し、すっかり名が知れたその年の暮れに発売になったのが「Sincerly」というバラード曲ばかりを集めたベストアルバムである。
ハードロックシンガーはバラードを歌わせても一流という定説を裏切らなかった本作は、浜田麻里の女性ヴォーカリストとしての評価を確立した一枚となったように思う。事実、90年代に入ると彼女の人気は加速「Nostargia」「Paradox」「Cry For The Moon」とヒットを連発するようになる。
このアルバム収録曲「Last Christmas Song」はシングルカットこそされなかったが、季節柄、歌番組などでよく披露されたようで、こうして映像が残っているのはありがたい限りだ。
初めはいただけないと思っていた彼女のベストアルバムが、今もって愛聴盤となろうとは思いもよらなかったが、彼女が近年発表した作品や映像を見ても、今だに衰えない声量と表現力を保っていることに敬意を表したい。
2016.12.22
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