1987年から翌年にかけて、ビートルズの曲名をそのままタイトルにした小説がベストセラーを記録した。村上春樹の『ノルウェイの森』である。
当時、書店に行けば必ず(と言ってもいいだろう)この小説の上下巻が一番目立つ場所に平積みされていた。赤い上巻と緑の下巻。光沢のある装丁に金色の帯が巻かれ、並べるとクリスマスみたいだった。
図書館に行くと、複数の机に赤と緑の表紙が(例えば席取りのために)よく置かれていた。街に出ると、この本を(バッグには入れずに)持ち歩いている人を見かけたりした。おそらく、そこにはファッション的な意味合いもあったのだろう。僕はタイトルに興味を惹かれたが、とにかくよく売れていたことで、かえって手が伸びなかった。少し軽薄な気がしたのだと思う。そのため、本を読んだのは随分後になってからだった。
とても儚い物語で、ナイーヴな心情が美しい言葉で丁寧に綴られていた。物語から伝わってくるやるせなさは、僕自身が世間に対して感じていた言葉にできない疎外感にも似て、静かに耳を傾けてこそ理解し得るものに思えた。こうしたパーソナルな世界観を共有するには、雑音は少ない方がいいに決まっている。だから、これはある程度読み手を選ぶ小説かもしれないと思った。
ところが、蓋を開けてみれば、空前の大ベストセラーである。これは一体どういうことなのか? 僕の感覚がズレていると言われればそれまでだが、ただ、物語がもつ深遠さを思うとき、あのような喧噪の中でこの本が読まれていたことが、今でも不思議に(そして少しばかり不幸に)思えるのだ。
村上春樹自身も、まさかここまで売れるとは思っていなかっただろう。この想定外の大ヒットによって、彼はその後の小説を書くにあたり、いくつかの方向転換を迫られたように思う。少なくとも、これまでとは比べ物にならない数の読者と向き合わざるを得ない現実を前に、今までと同じというわけにはいかなかったはずだ。
そして『ノルウェイの森』以降も、村上春樹はいくつかのすぐれた作品を残してきた。例えば『神の子どもたちはみな踊る』を読んだときは、あまりの見事さに幾度となく言葉を失い、溜息をつくしかなかった。そうした成果は、彼があのとき立ち止まることなく、方向転換を恐れずに、自分のフィールドを押し広げたからに他ならない。
2010年の映画化に際して、僕は久しぶりに『ノルウェイの森』を読み返した。物語のディテールの多くを忘れてはいたけれど、初めて読んだときのやり場のない気持ちが胸に蘇ってきたのには、少なからず驚かされた。
『ノルウェイの森』は、いろんなものが欠落した物語だ。いくつもの穴ぼこのような欠落が、なにもなされぬまま放置されている。僕らは読みながら、それらが簡単には埋まらないことを知っているし、埋まることで失われるものがあることもまた知っている。もしかすると、そんなところに多くの人が惹きつけられたのかもしれない。
2019.01.12
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