1月19日

稀代の作曲家・服部克久「ザ・ベストテンのテーマ」には元ネタがあった!

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尺をとって流れた、昭和の時代のオープニング曲


子供のころ、テレビ番組の “オープニング” を録音するのが趣味だった。

アラフィフ以上の世代なら、昭和の時代、テレビの前にテープレコーダーを置いて、お目当てのテレビ番組を “録音” した経験は誰しもあるだろう。まだ、家庭用ビデオデッキが普及する前の話である。当時はレコーダーのマイクをテレビに向けて、スピーカーから直接音を拾っていたので、大抵、録音中に家族の誰かの声が入ったり、生活雑音が紛れ込むのが常だった。

当時、僕が好んで録音したのは、ドラマの主題歌よりも、比較的バラエティやドキュメンタリー等のオープニングが多かった。いつからか、テレビ番組は視聴率対策(オープニングが流れると毎分視聴率が落ちるそーな)から、スッと始まってタイトルだけ見せるフォーマットが主流になったけど、昭和の時代はちゃんと尺をとって、オープニングの曲が流れた。大抵、インストゥルメンタルで、途中に女性のスキャットが入ったりして、何とも言えない深い味わいがあった。

ちなみに、僕が好きだった昭和の時代のオープニング曲は――

▶︎ 兼高かおる世界の旅(TBS系 / 映画『八十日間世界一周』から「Around the World」)

▶︎ すばらしい世界旅行(日本テレビ系 / 作曲:山本直純)

▶︎ 野性の王国(毎日放送 / 作曲:宇野正寛)

▶︎ 刑事コロンボ(NHK /『NBCミステリー・ムービー』テーマ曲)

▶︎ 大岡越前(TBS系 / 作曲:山下毅雄)

▶︎ 新日本紀行(NHK / 作曲:富田勲)

▶︎ アフタヌーンショー(テレビ朝日系 / 作曲:小川寛興)

▶︎ ひるのプレゼント(NHK / 作曲:宮川泰)

▶︎ ゴールデン洋画劇場(フジテレビ系 / 作曲:高沢智昌 ※初代テーマ)

▶︎ 前略おふくろ様(日本テレビ系 / 作曲:井上堯之)

▶︎ ウルトラアイ(NHK / 作曲:越部信義)

▶︎ Gメン'75(TBS系 / 作曲:菊池俊輔)

▶︎ 驚異の世界(日本テレビ系 / 作曲:松武秀樹)

▶︎ 花神(NHK / 作曲:林光)

▶︎ 小さな旅(NHK / 作曲:大野雄二)

▶︎ 日立の樹(※CM / 作曲:小林亜星)

▶︎ 世界の恋人(日産の歌)(※CM / 作曲:芥川也寸志)

▶︎ アメリカ横断ウルトラクイズ(日本テレビ系 /「スタートレックのテーマ」から)

▶︎ ザ・ベストテン(TBS系 / 作曲:服部克久)
―― 等々。

当時は、曲の作り手なんて意識しなかったけど、今改めて作曲家陣を見ると、壮観である。感心するのは、これらの楽曲は商業的にレコードを売ろうなどの邪心がなく、純粋に番組のオープニングとして作られたんですね。今ならタイアップで米津玄師あたりを起用して、シングルとしてリリースしそうだけど(笑)。

で、少々前置きが長くなったけど、今回取り上げるのは、この中から、恐らく日本のテレビ番組史上最も有名なオープニングである『ザ・ベストテン』のオープニングテーマ曲。作曲は、稀代の音楽家の服部克久さん。奇しくも今日6月11日は、氏の4回目の命日にあたる。

服部克之、父は歌謡曲を牽引した服部良一




服部克之さん―― 言うまでもなく、国民栄誉賞を受賞した昭和の大音楽家・服部良一の御子息である。父・服部良一は、かの古賀政男と並んで、昭和の大衆音楽―― 歌謡曲を牽引したことで知られる。二人は終生、ライバル関係にあった。

とはいえ、両者の音楽性は対局にあった。いわゆる “古賀メロディー” と呼ばれる、日本の演歌の下地になったとされるマイナー調の楽曲を得意とした古賀政男に対し、洋楽仕込みの服部良一が繰り出す音楽はポップで、あか抜けていた。こちらは、後のJ-POPに連なるとも言われる。2人は戦前からヒットメーカーとして鳴らすも、1941年の太平洋戦争開戦で一旦、表舞台から退く。

実は戦後の日本の歌謡界で、最初に光が当たったのは、服部良一のほうだった。1948年に笠置シヅ子に提供した「東京ブギウギ」が大ヒット。当時の日本はGHQの占領下で、巷に洋楽があふれていた。それが、52年にサンフランシスコ講和条約でGHQが解体、日本の主権が回復すると―― 急速に洋楽離れが進む。そのタイミングで台頭してきたのが美空ひばりだった。

そこから、美空ひばりに楽曲を提供する古賀政男が存在感を増し、やがて戦後日本の歌謡界を牽引する。古賀の繰り出すマイナー調の切ない楽曲が日本人の琴線に触れたからである。if もしも―― 服部良一があのまま日本の歌謡界を牽引していたら、戦後の歌謡史はどうなっていただろうか。

1978年、古賀政男が死去したこの年、奇しくも、日本の歌謡界の流れを大きく変える歴史的番組が始まる。『ザ・ベストテン』(TBS系)である。そのオープニングを飾るテーマ曲を作ったのが、他ならぬ服部良一の御子息の服部克久さんだったのは、運命のいたずらとも。なぜなら、父・良一を起点とする “ポップス” の時代が、同番組を機に花開くからである。

2分20秒の華麗にしてゴージャスなフルオーケストラ


さて、少々回り道をしたが、いよいよ服部克久さんの話に移ります。

その経歴は華々しい。父親譲りの音楽の才能を発揮し、パリ国立高等音楽院へ留学。そこで高度な音楽的技法を身に着け、1958年に帰国するや、黎明期のテレビ業界を舞台に仕事を始める。以後、テレビ、ラジオ、アニメ、映画等々と、活躍の場を広げ、数多くの楽曲を制作。その流れで78年、『ザ・ベストテン』のオープニングの作・編曲も手掛けることに――。

ⓒTBS


実は、ベストテンのテーマ曲には元ネタがあったことはあまり知られていない。それは、服部克久さん自身が前年の77年にフジテレビのドラマ『兄弟刑事』に書いた主題歌である。同様にインストゥルメンタルだったが、アレンジを変え、旋律を一部引用することで、2分20秒の華麗にしてゴージャスなフルオーケストラのテーマ曲に仕上がった。改めて、当時のオンエアから、その2分20秒を振り返ってみよう。

1. 冒頭、歓声が上がるコンサート映像(ちなみに、西城秀樹さんのコンサート映像だそうです)にティンパニが印象的なイントロがイン。タイトルが奥から手前にズームアップして、司会の久米宏サンと黒柳徹子サンがハモりながら叫ぶ――「ザ・ベストテン!」

2. 画面はスタジオに切り替わり、司会の2ショット。バックにはスタジオ付きのオーケストラの生演奏。2人による自己紹介と軽い挨拶。この間、Aメロはバイオリンによる流れるような美しい音色。

3. 続いて、Aメロの繰り返しにコーラスがイン。このタイミングで画面下から「レコード総合売上ベスト10」がせり上がり、久米サンは驚異的な早口で曲目と歌手名の両方を読み上げる。これがもはやエンターテインメントの域!次に「有線放送ベスト10」がせり上がり、こちらは久米サンは曲名のみ読み上げる。

4. ここでBメロに変わり、トランペットがイン。画面は「ラジオ総合ベスト10」がせり上がり、今度は久米サンは歌手名のみ読み上げる。続いて「はがきによるベスト10」がせり上がり、久米サンは再び曲名のみ読み上げるが、途中でアップテンポなCメロに変わる。トランペットに加え、ギターがイン。

5. 画面は久米・黒柳の2ショットに戻り、久米サンは、今読み上げた4データをもとにランキングを選出するシステムを紹介。「~JNN25曲をネットしてお送りいたします」と、早口パートは一旦シメ。オケはCメロのまま。

6. このあと、2人は背後のテレビモニターに振り返り、黒柳サンの「追いかけます。お出かけならばどこまでも」の決まり文句で、中継先の映像に切り替わる。ここでDメロに変わり、コーラスがイン。

7. 中継先の映像が続く。2ヶ所目を紹介しているあたりで、Eメロに。トランペットが勇壮に響き渡るパート。いわゆるサビである。

8. スタジオに戻るが、Eメロのまま。司会の2人が雑感を語り、そろそろ締めに入るモードに。

9. 突如、タタターン、タタターンと、畳みかけるようなFメロ。カットアウトのタイミングで久米サンが締めコメント。

―― とまあ、緊張感と情報が満載のオープニングショーが毎週2分20秒繰り返されるが、それを盛り上げ、お茶の間にこれから始まるカウントダウンショーのワクワク感を届けるのが、服部克久さんが作ったテーマ曲だったんです。

ⓒTBS


失礼ながら、日本テレビの『ザ・トップテン』との “差” が、このオープニング。あちらが、今ひとつ “場” としての臨場感やプレミアム感に欠けていたのは、そういう理由である。また、昨今のバラエティの作りだと、この2分20秒のオープニングはカットされかねず、そうなると、お茶の間のテンションも一気に下がると思いません?

カノッサの屈辱で魅せた、服部克久のシャレ


最後に、服部克久さんのもう一つの代表作を紹介しておきたい。それは―― 1990年から91年にかけてフジテレビの深夜枠で放送された『カノッサの屈辱』である。あの壮大にして教養あふれるオープニングもまた、稀代の音楽家ゆえに生まれた傑作の1つ。

言わずもがな、同番組はホイチョイ・プロダクションズが企画した歴史教養番組を模したシャレ―― 要するにパロディである。だが、人を笑わすには、徹底して真面目に作り込む必要がある。そのため、番組の “フレーム” は、70年代半ばにNHKで放送された歴史探求ドキュメンタリー『未来への遺産』を模している。あとは、その世界観を盛り上げる音楽である。

そこで、服部克久さんに白羽の矢が立った。
彼は作り手の意図を理解し、名曲『夕陽』を書いた。演奏は、かのロンドン交響楽団という徹底ぶりである。

そう、稀代の音楽家は、シャレの分かる御仁でもあった。


※2022年6月11日に掲載された記事をアップデート

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2024.06.11
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カタリベ
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