6月9日

アダム&ジ・アンツからTFF経由でポール・マッカートニーへと繋がる道

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ポール・マッカートニーのアルバム「フラワーズ・イン・ザ・ダート」が日本で発売された日
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photo:Discogs  
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別稿で書いた通り、1989年6月8日にポール・マッカートニーの『フラワーズ・イン・ザ・ダート』の日本盤CDをフラゲした僕は、耳に入って来た「フィギュア・オブ・エイト」に涙ぐみ、結局アメリカ盤のカセットも買い早速ウォークマンで聴き始めたのだった。

その僕が渋谷ハチ公前で再び涙ぐんだ曲があった。アルバムの最後を飾るバラード「モーター・オブ・ラブ」である。

当時の妻、故リンダに捧げられた美しいバラードで、「どん底から救い出してくれた」と感謝の意が歌われているのだが、サビでは「父なる神(Heavenly Father)よ、天より見下ろし給え」と、幼い頃に母を亡くしたポールには珍しく父性が歌われる。ポール復活を高らかに告げる名バラードだ。

しかしそのアレンジはエレクトリックできらびやか。いかにも’80年代の音であった。それでもこのバラードは強い説得力を有し、僕の心を動かしたのであった。

曲毎にプロデューサーの異なる『フラワーズ・イン・ザ・ダート』。「モーター・オブ・ラブ」はこのアルバムで唯一、クリス・ヒューズ、ポール、ロス・カラムの3人による共同プロデュースの曲であった。

ヒューズとカラムはティアーズ・フォー・フィアーズ(以下TFFと略)の’83年の1stアルバム『ザ・ハーティング』をプロデュース。ヒューズは’85年の2ndアルバム『シャウト』もプロデュースし、「ルール・ザ・ワールド」と「シャウト」を相次いで全米No.1に送り込んだ。

いずれの曲でもドラムも叩き、前者では何と作曲にも加わっている、正に立役者。TFFのプロデュースを気に入っていたポールは、自らでは上手く行かなかった「モーター・オブ・ラブ」のプロデュースを2人に任せ、「よりモダンでハイテクに仕上げてくれた」とその結果に満足していた。

「モーター・オブ・ラブ」でもヒューズはコンピューターとドラムのプログラミングも担当。この曲にTFFの面影が感じられるのは何も不思議なことではないのだ。

しかしヒューズのキャリアはこれだけに留まらなかった。今回改めて調べて初めて知ったのだが、彼は’80年代初頭イギリスで旋風を巻き起こしたアダム&ジ・アンツの全盛期のドラマーであり、また3枚のアルバム全てをプロデュースしていた。そしてカラムも3枚めにエンジニアとしてクレジットされていたのである。

生憎僕は寡聞にしてアダム&ジ・アンツは全く聞いたことが無いのだが、解散後の1982年のアダム・アントのソロデビューシングルにして全英No.1ヒット「グッディ・トゥー・シューズ」は瞬く間に好きになった。

日本のCMでもお馴染みのこの曲のUKシングルヴァージョンでドラムを叩き共同プロデュースに名を連ねていたのがヒューズだったのである。ほーら、アダム&ジ・アンツからポール・マッカートニーまで繋がっちゃったでしょ。

別稿の「フィギュア・オブ・エイト」はフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのプロデューサー2人とポールによるもの。この2人は他にもアルバムの3曲をプロデュース。『フラワーズ・イン・ザ・ダート』は’80年代中盤以降試行錯誤を続けたポールが、ようやく’80年代の才能との共同作業を結実させたアルバムだったのである。

しかし1993年の次作『オフ・ザ・グラウンド』ではこれらの才能と早くも袂を分かち、ほぼ単独でプロデュース。この変わり身の早さ、そして潔さもポールらしい。

ポール・マッカートニーもまた、絶えず変化を求める人なのである。

2017.04.19
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1965年生まれ
宮木 宣嗣
『フラワーズ・イン・ザ・ダート』では「プット・イット・ゼア」もポールの父ジムの言葉を元に作ったであり、この頃ポールは何らかの理由で父性を意識していたのかもしれません
2017/04/19 12:28
2
返信
カタリベ
1965年生まれ
宮木宣嗣
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