マーティン・スコセッシの異色作、というか問題作のサントラである。 映画『沈黙ーサイレンスー』の記憶もまだ新しいスコセッシであるけれども、キリスト教と真正面から向かい合った映画としては『最後の誘惑』が既にある。ニコス・カザンザキスというギリシャ人作家の小説が原作で、神 / 人間の二面性に引き裂かれる、ハッキリ言って優柔不断でビビリのイエス像を描いた「超」がつく問題作。 NY のストリート的実存を叩きつける『ミーン・ストリート』や『タクシードライバー』のような作風から一変、本作では「十字架こわい」と言い、奇跡が起きるたびに嫌な顔をし、ユダに「このヘタレ!」とお説教され、挙句は十字架上で悪魔にそそのかされ、マグダラのマリアと結ばれ家庭を持つ誘惑(「最後の誘惑」!)にさえ駆られる、なんとも弱っちいイエスを描いている。もちろん原理主義者たちからはこっぴどく叩かれ、上映禁止運動なども起きた。 この映画はローマ軍のピラト提督役がデヴィッド・ボウイ(元々はスティングの予定だった)で、使徒役がジャームッシュ映画でお馴染みのジョン・ルーリー、あるいはザ・コ―ルというバンドのマイケル・ビーンだったりと、音楽好きのスコセッシならではの配役も見どころだ。 こういうロック畑の人材を使ったりする狙いは『ジーザス・クライスト・スーパースター』と一緒で、一種の反逆的で悩める若者像のイエスにしたかったからだろう。冒頭の地べたに寝そべるイエスが『理由なき反抗』のジェームズ・ディーンへのオマージュだとスコセッシが語っていることも、その裏付けになるはず。 そしてこの映画の雰囲気を決定づけたのが、何といっても音楽担当のピーター・ガブリエル。本作のサントラ盤である『パッション―最後の誘惑―(Passion:Music for the Last Temptation of Christ)』はワールドミュージックブームの道標となった作品と言われるくらいで、世界中のミュージシャンや珍しい楽器が総動員されている。例えば後にジミー・ペイジ&ロバート・プラントの『ノー・クォーター』にも参加することになる、エジプトのリズム伝道師ことホッサム・ラムジー(※注1)などはほとんどの楽曲で数々の民族楽器を奏で、八面六臂の活躍を見せている 。 そもそもスコセッシはナス・エル・ギワネというグループのモロッコ音楽を聴きながら本作のショット設計などを考案していたほどで、そのため世界中の音楽のリズムを吸収・咀嚼していたガブリエルが起用されることは当然の流れだった。スコセッシのガブリエルへのオファーの言葉が、映画およびサントラ、ひいてはイエスの本質さえ衝いているので引用してみよう。 「私はこう言った。この映画の音楽をやってもらえたらおもしろいと思うんだが。というのは、私にとって、あなたの使うリズムは原始的なるものを、そしてヴォーカルは崇高なるものを表しているからで、それはまるで精神と肉体が渾然とひとつになっているようだと」(※注2) つまりイエスの霊性と人間性という二面性を、音楽で表現していたのがガブリエルという人なのだ。僕がサントラを聴き込んでみたところ、リズムパーカッションが肉体性を、ヴォーカルやシンセサイザーのメロディーが霊性を担っていることが如実に分かって、改めて「大天使ガブリエル」の映画音楽家としての才能を思い知った次第だ。 何はともあれ耳慣れない異国のメロディー、聞き慣れない楽器名のオンパレードなので、(僕のコラムには珍しく)不慣れなリスナー向けに二、三行程度の全曲解説を付してみた。映画自体もスコセッシのキャリア最高傑作と思っているが、サントラの音楽的深みを知ることでますます映画の良さが見えてくるはずなので、ぜひともリストを眺めながら聴き通してみてほしい。■『パッション』全曲解説 1. The Feeling Begins(奇跡の始まり) アルメニアの曲「The Wind Subsides」がこの地域の伝統的木管楽器ドゥドゥクで演奏され、シンセサイザーによるドラムの低音とフィンガーシンバルの高音の交じり合いが心地よい。 2. Gethsemane(受難の園) 断片化されたフルートの音の配列が、異様なエキゾチシズムを掻き立てる。 3. Of These, Hope(望み) イントロのアーグル(エジプトの笛)の音色が不穏さを掻き立てるが、その後は本作で最も聞きやすいロックインスト曲になる。マニュエル・ゲッチングのテクノに近いミニマルなリズム感。 4. Lazarus Raised(ラザロの復活) クルディスタンの悲恋の物語の伝統的なメロディーが(一曲目でも使われた)ドゥドゥクによって奏でられる。 5. Of These, Hope -Reprise(望み‐リプライズ) 掠れたフルートの音色が印象的な楽曲だが、そこに勇壮なロック風サウンドが積み重ねられ、儚さと雄勁さが奇妙に同居している。「リプライズ」のほうではセネガル出身のバーバ・マールのヴォーカルも加わっている。 6. In Doubt(疑惑) シンセサイザーによって作られた、立ち込める靄のようなサウンド。ファウストといったクラウトロックの影響を感じさせる前衛的な音作り。 7. A Different Drum(異なる響き) 西アフリカのドラムの響きに、ガブリエルの雄々しいヴォーカルとセネガルのユッスー・ンドゥールの神秘的なヴォーカルが代る代る現れる。勇壮でシンプルなドラム音中心の構成は “Of These, Hope” 同様、物語を駆動させていく力を映画に付与する。 8. Zaar(ツァール) シンセサイザーが導入される中盤以降の展開がサスペンスフルな印象を与える楽曲。アンビエントな風情を残しつつも、タブラのパーカッションがグルーヴを与えている。 9. Troubled(難儀) モーターの振動音を模したようなシンセサイザーのサウンドで突如始まり、アフリカンパーカッションで盛り上げられる展開。バックヴォーカルにもエフェクトがかけられ、ほとんど電子楽器のように聞こえる。 10. Open(心を開いて) 最もアンビエント色が濃厚な楽曲。 11. Before Night Fall(日暮れ前) フィンガーシンバルの怪しげなリズムが前面に押し出され、それに続いてアルメニア伝統のメロディーを奏でるナーイの音が夜の静寂に響き渡る。 12. With This Love(愛に包まれて) 肉感的で野性的な打楽器系は一切使われず、かつシンセサイザーの音もアンビエントかつ崇高で、オーボエやコーラングレのような西洋楽器が使われていることもあり、もっとも霊的な神の「愛」を感じさせる楽曲になっている。 13. Sandstorm(砂嵐) 冒頭はアンビエント風の「静」のモードで、途中からモロッコで現地録音されたというパーカッションとヴォーカルが付け加えられ、「動」のモードに転じる。 14. Stigmata(聖痕) ケメンチェという三弦楽器の中東風の響きに導かれて、ピーター・ガブリエルのプロフェット5によるシンセサイザーの重低音が重なる。天上的なものと地上的なもののせめぎ合いに苦しむキリストを、ガブリエルのヴォーカルが代弁しているかのようだ。 15. Passion(受難) ジョン・ハッセルのトランペットがドローン風に咽び泣く瞑想的雰囲気のなか、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンのイスラム神秘主義伝統のカッワリーの声と、少年コーラスの天使的な声がリスナーをいよいよ霊界に導く。しかし後半に導入されるブラジル風の肉感的パーカッションが、天国を目前にしたイエスの「地上の思い出」のように鳴り響く。 16. With This Love -Choir(愛に包まれて‐クワイア) 「最後の誘惑」に負け十字架を逃れた「人間イエス」に捧げられる、少年少女の天使的なコーラス。しかし映画のラストで、この天使は誘惑するサタンであったことがわかる。 17. Wall of Breath(生命の壁) トルコ風のナーイの笛が、シンセサイザーの無変化なサウンドに絡まる冒頭が印象的。 18. The Promise of Shadows(闇の契り) インダストリアル風の不吉なサウンド。様々なシンセサイザーやエミュレーターを駆使して、ガブリエルは幽霊の声のようなサウンドを複数作り上げることに成功している。 19. Disturbed(妨害) スルドゥやタブラといった民族打楽器から、アフリカンパーカッションのループまで総動員されたビートに心乱される。 20. It is Accomplished(成就) 電子音が鳴り渡り、それに天使的な痙攣音が続き、ピアノやハモンドオルガンの崇高な音色によって一気にキリスト受難の成功を感じさせる、エンドクレジットにかぶさるようにして流れる本作最大の名曲。ガブリエルの盟友デヴィッド・ローズのスタインバーガー・ギターのエレクトリックサウンドも生命感を絶頂に押し上げる。 21. Bread and Wine(パンとぶどう酒) プロフェット5の穏やかでアンビエント風の低音が持続するなか、ブリキの笛の音色がキリストの壮大な物語全体を優しく包み込む。 ところで全体に鳴り渡っているらしいラヴィ・シャンカールのダブルヴァイオリンが、まったく存在感希薄に思えるのは僕だけでしょうか?※注1: 「純粋なるエジプト的パーカッションへの旅」を主題にしたホッサム・ラムジー『サブラ・トロ』シリーズ(Ⅰ~Ⅲ)はどれも大傑作なので絶対に聞いてほしい ※注2: デイヴィッド・トンプソン+イアン・クリスティ(編)、宮本高晴(訳)『スコセッシ・オン・スコセッシ 私はキャメラの横で死ぬだろう』(フィルムアート社、2002年新装増補版)、216頁。
2019.02.13
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YouTube / Peter Gabriel
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