若くしてミュージックマスターと呼ばれたスティーヴィー・ワンダー
スティーヴィー・ワンダーにとって、60年代を成長期、70年代を充実期(全盛期)とするなら、80年代は安定期と言えるだろう。後半に多少失速はするものの、全米1位を記録した「心の愛(I Just Called To Say I Love You)」や「パートタイム・ラヴァー」をはじめ、たくさんのヒット曲に恵まれた時期だった。また、請われれば他人のレコーディングにも快く参加し、素晴らしい貢献を果たしてきた。
ポール・マッカートニーとのデュエット「エボニー・アンド・アイヴォリー」、エルトン・ジョン「ブルースはお好き?(I Guess That's Why They Call It the Blues)」、チャカ・カーン「フィール・フォー・ユー(I Feel for You)」、U.S.A.フォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」、ユーリズミックス「ゼア・マスト・ビー・アン・エンジェル」、ディオンヌ&フレンズ「愛のハーモニー(That's What Friends Are For)」etc.
どのレコードを聴いても、スティーヴィーの歌声は伸びやかで、ハーモニカの音色は澄み渡っていた。だからだろうか、「とても無垢な人」というのが、当時の僕の印象だった。
ところが、70年代の名作群を聴いて驚いた。そこにいたのは、ヒリヒリとした緊張感の中で、神がかった才能を爆発させているスティーヴィーだった。音楽が清濁併せ呑み、奔流のように突き進んでいく。クリエイティヴィティは圧倒的で、他の追随を許さないものがあった。なぜスティーヴィーが若くして「ミュージックマスター」と呼ばれたのか。その理由を思い知らされる作品ばかりである。
「心の愛」で表現したシンプルなメッセージ
80年代のスティーヴィーからは、こうしたカオスは感じられない。音楽そのものは相変わらず複雑に構築されていたが、サウンドは明快になり、シンプルな言葉で綴られた歌詞が目立つにようになった。例えば「心の愛」のプロモーションビデオでは、受話器を持って「ただ愛していると言いたくて電話したんだ」と歌っている。その姿に尖ったところはなく、無邪気で天真爛漫にさえ映る。
こうした変化について、スティーヴィーの才能の枯渇を指摘する人もいるようだが、僕は少しもそうは思わない。というのも、スティーヴィーが70年代の激動と混沌から抜け出した先に見つけたものこそ、こうしたシンプルなメッセージなのだと思うからだ。
どんなに複雑な事象であれ、突き詰めれば、使い古された陳腐な言葉に集約されるものだし、言い換えれば、そうした退屈な表現でしか、僕らは真実を語ることなどできないのだと思う。スティーヴィーの場合、それが「愛」だったのではないだろうか。これ以降、スティーヴィーの表現は一層わかりやすく、裾野が広いものになっていく。
作品から感じる“人間のリアリティー”
僕は80年代のスティーヴィーが歌うシンプルなラヴソングが好きだし、政治的な意志を明確にして歌うメッセージソングをリスペクトしている。そこにかつてあった才能の爆発を見つけることは、確かにできないかもしれない。しかし、こうした変化があったからこそ、「ハッピー・バースデイ」のようなスタンダードを書き得たのだと思うし、「レイトリー」や「オーバージョイド」といったバラードの名曲が生まれたのもこの時期だ。
30代になり、精神的に成熟したひとりの男が、今よりも先の世界を見据え、もっと広くて普遍的な音楽を創造するために努力した。そこにスティーヴィー・ワンダーという人間のリアリティーがあるのだと、僕は思っている。
※2019年5月13日掲載された記事のタイトルと見出しを変更
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2022.05.13