高校に入学したばかりの頃、電車でたまたま乗り合わせた中学時代の友達から、「夏にでっかいコンサートがあるらしいよ」と聞かされたのは、1985年の春だった。
当時、バンド・エイドの「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」に端を発するチャリティブームは、瞬く間に音楽業界を席巻し、USAフォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」が世界的な大ヒットを記録したことで、ひとつのピークを迎えていた。
「とにかくでっかいコンサートだよ。みんな出るみたいだよ」とその友達は言ったが、僕は半信半疑だった。そんなことが本当に可能なのだろうか?
しかし、彼の話は本当だった。そのコンサートは『ライヴ・エイド』と名付けられ、アメリカとイギリスで同時開催されるらしい。これまでにない規模のチャリティコンサートで、その模様は日本でもテレビで衛生中継されるというのだ。
僕は15歳になり、ロックの歴史を少しずつ知り始めていた。50年代のエルヴィス・プレスリー、60年代のビートルズ、70年代のセックス・ピストルズのようなアーティストが、80年代にも登場することを期待していた。そして、世界を揺るがし変えてしまうような、大きな音楽的事件が起きるのを心待ちにしていた。
『ライヴ・エイド』こそが、その時かもしれない。そんな期待が胸の中でどんどん膨らんでいった。テレビ中継とはいえ、このコンサートにリアルタイムで立ち会える幸運に、僕は興奮していた。
今になってみると、『ライヴ・エイド』は僕が期待していた通りのものではなかったことがわかる。世界的な規模のイベントだったし、時代を象徴する出来事のひとつではあったが、事件ではなかった。
でも、僕にとっては、事件と呼びうるほどの大きな出来事だった。というのも、それまで写真や PV でしか知らなかったアーティスト達が、実際に演奏する姿を、初めて観ることができたからだ。
レッド・ツェッペリンも、エリック・クラプトンも、ビーチ・ボーイズも、ボブ・ディランも、クイーンも、U2も、ホール&オーツも、みんな初めて観た。なにより、「レット・イット・ビー」を歌うポール・マッカートニーを、ほぼリアルタイムで観ることができたのだ。
今も手元にはそのとき録画したビデオテープが残っている。好きなアーティストのセットは全曲、知らないアーティストでも1曲は録画することにしたのは、この歴史的なコンサートを記録に残そうと思ったからだった。そのために、僕は生まれて初めて徹夜をした。デヴィッド・ボウイのところで20分ほど寝落ちしてしまったので、完徹とはいかなかったけれど。
夏休みに入ってすぐ、2人の友達がそのビデオを観に、僕の家まで電車とバスを乗り継いでやって来た(それまでは近所の友達しか来たことがなかった)。
よく晴れた夏の日で、少し外にいるだけで汗が滲んでくるような暑さだった。
普段は制服姿しか知らない、数ヶ月前までは顔も知らなかった友達が、自分の家のリビングに座っていることが、やけに新鮮に思えた。母親が3人分の冷やし中華を作ってくれたのを覚えている。だから、友達のひとりは今でも、「ライヴ・エイドといえば冷やし中華だよ」と言うのだ。
僕らは冷たいカルピスを飲みながら、ほんの1週間前にあったばかりの世界的なコンサートを、ダイジェストで6時間かけて観た。
「あ、スティングが出てきたぞ」
「ボノが着てるの、あれって学ランか?」
「やべーよ。クイーン、まじでやべーよ」
「おい、デュラン・デュランはまだか?」
「まだだよ」… 等々。
33年前の夏の日の出来事は、蜃気楼のようにぼんやりと、でも消えることなく、僕の記憶の中に残っている。あの頃は、音楽で世界を変えられるかもしれないと思っていた。
けっこう本気でそう思っていた。
2018.07.13
YouTube / Simon Christensen
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