6月21日

圧倒的な “声” の魅力、太田裕美は「木綿のハンカチーフ」だけじゃない!

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太田裕美のアルバム「TAMATEBAKO」がリリースされた日
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photo:SonyMusic  

太田裕美は「木綿のハンカチーフ」だけじゃない!


多くの人は、太田裕美=「木綿のハンカチーフ」というイメージでとらえているのではないかと思う。もちろん、「木綿のハンカチーフ」は1970年代を代表する曲のひとつだし僕も大好きだけれど、太田裕美はけっして「木綿のハンカチーフ」だけの人じゃない。その魅力をこの曲だけに押し込めてしまうのはもったいない。僕はずっとそう思っている。

その意味で、僕が Re:minder 読者に改めてプレゼンテーションしたいのが、彼女が1980年代に発表した3枚のアルバム『Far East』(1983年)、『I do, You do』(1983年)、『TAMATEBAKO』(1984年)だ。

その前に、少しだけデビュー当時の太田裕美の印象について触れておきたい。

既成の歌謡ポップスには無い新鮮な感覚、なによりも魅力的な透明な声


太田裕美は、1974年11月にシングル「雨だれ」でデビューした。「木綿のハンカチーフ」は1975年12月に出たサードアルバム『心が風邪をひいた日』(なんと、彼女はこの年に3枚ものアルバムを出しているのだ。それだけでも期待のされ方がわかる)のリード曲だったが、同じ月に別テイクで4枚目のシングルとしてもリリースされた。

経歴を見ると、スクールメイツ、NHK『スタジオ101』のヤング101出身、しかも渡辺プロダクションという、典型的な歌謡曲フィールド育ちだけれど、太田裕美の歌には既成の歌謡ポップスには無い新鮮な感覚があった。“太田裕美はフォークと歌謡ポップスの両面を持っている” というのが、僕だけじゃなく、当時彼女の歌を聴いた多くの人の実感だったんじゃないかと思う。松本隆×筒美京平による優れた作品の力もあったろうし、ピアノの弾き語りを主体にした演奏スタイルもフォークに通じる親近感があった。

しかし、なによりも魅力的だったのは彼女の透明な声だった。なにを歌おうとも自分の色に染めてしまうその声こそが、太田裕美の最大の才能だったのだと思う。その声の力を評価したからこそ、大瀧詠一は、自らのアルバム『A LONG VACATION』収録曲の「さらばシベリア鉄道」を、アルバムリリースより早い1980年11月に、太田裕美のシングルとして発表することを許したのだと思う。

ニューヨークで学んだ “自分ならではの音楽を追求する姿勢”


この前後、太田裕美自身も変化の時期を迎えていた。松本隆×筒美京平というデビュー以来彼女を支えてきた鉄壁の楽曲制作チームとのコラボレーションに一区切りをつけ、新たな作家陣との音楽づくりを試みたり、自ら作曲した楽曲を積極的に発表するようになった。さらに、1982年には活動を休止して、その後の予定を決めずに単身ニューヨークに移住している。

結果的に、このニューヨーク滞在は8カ月で終わったが、彼女にとって非常に実りの多いものだったのだと思う。ニューヨークで活動するさまざまなミュージシャンに接して、彼女は “自分ならではの音楽を追求する姿勢” を学んだのだ。

帰国した彼女は、83年にアルバム『Far East』(太田裕美の担当になりました。実は全然合わなかった吉田保と大村雅朗… 参照)を発表する。また、同じ年に『I do, You do』(大村雅朗との仕事 ― 効率の悪い、こだわりと追求の積み重ね。 参照)をリリース。これらのアルバムについては、すでに Re:minder で、これらの作品のディレクターだった福岡知彦さんが詳しく書かれているのでそちらをお読みいただければと思うが(※1)、太田裕美はこの2作で、大胆でコンテンポラリーなサウンドの中に、“今” を生きる女性の存在感をしっかりと表現している。

例えば、「ロンリィ・ピーポーⅡ」、「満月の夜 君んちへ行ったよ」といったこの時期のシングル曲にも、自分の意志ではつらつと生きる女性たちが居た。それは「木綿のハンカチーフ」の “けなげに待ち続ける女性” とはまったく逆の “強い女” のようにも思えたけれど、最初にこれらの曲を聴いた時から、僕にはまったく違和感は感じられなかった。そこには、まさに “太田裕美の声” の輝きがあったからだ。

その声は本当に楽しそうに音楽とたわむれていた。この声の力で表現されるからこそ、「木綿のハンカチーフ」も「満月の夜 君んちへ行ったよ」も理屈抜きの説得力で伝わってくるのだ。

いまこそ聴くべき「Far East」「I do, You do」「TAMATEBAKO」


僕のそんな想いを確信に変えたのが、1984年に発表されたアルバム『TAMATEBAKO』だ。ジャケットのビジュアルを見ても、“あえてハメを外してやりたいことをやってやったぜ!” という気配が伝わってくるし、音楽づくりにも、作曲家としての太田裕美、この時期の作詞のパートナーでもあった山本みき子(銀色夏生)、『Far East』からサウンドづくりに参加しているチャクラの板倉文、さらに井上陽水の『バレリーナ』他のサウンドメイキングなどで脚光を浴びていたBANANA(川島裕二)といった気鋭の才能が参加して、テクノテイストを踏まえたクオリティが高くオリジナリティあふれる音楽世界を構築している。

しかし、それでもこのアルバムを支配しているのは圧倒的に “太田裕美の声、そして歌” なのだ。デビューの頃から変わらない透明感、スウィートネス、そして圧倒的な存在感。この声で歌われていさえすれば、どれほどアヴァンギャルドな “世界” であろうと、少なくとも僕はニコニコしながら浸り込んでしまうのだ。

『Far East』から『TAMATEBAKO』にかけての一連の作品で見せてくれる太田裕美の姿は、もしかしたらあまり知られていないかもしれない。けれど、ここで “自分の音楽に向かう姿勢” を確認するというステップがあったからこそ、彼女は、その後のナチュラルに作品と向き合う活動を続けることが出来たし、今も現役感を失わないアーティスト活動を続けることができているのだと思う。

でも、僕が強調したいのは、そんな彼女のアーティストとしてのキャリア上の意味だけでなく、これらの作品が、いま聴いてもとても純粋に魅力にあふれているということなのだ。


本文中にありました、アルバム『Far East』や『I do, You do』につきましては、カタリベ・福岡智彦さんのコラム、
■ 太田裕美の担当になりました。実は全然合わなかった吉田保と大村雅朗…
■ 大村雅朗との仕事 ― 効率の悪い、こだわりと追求の積み重ね。
■ 天才・銀色夏生との出会い、彼女が書きためた100編の作品
…に詳しいので、こちらも是非ご覧ください


2020.06.04
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カタリベ
1948年生まれ
前田祥丈
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