デビュー39周年から1年をかけて全作品を配信 1987年に「STAR LIGHT」でデビューし、ローラースケートで歌い踊る姿で社会現象を巻き起こした光GENJIの楽曲群が、デビュー39周年となる2026年8月19日からサブスクリプションとダウンロードで配信される。1980〜1990年代の男性アイドルには長らくデジタル配信で聴けない楽曲が多かったが、近年は配信解禁も相次いでいる。そこへ大物・光GENJIも加わるのである。
光GENJIは1995年9月3日の活動終了までに、25枚のシングル、15枚のアルバム、5枚のベストアルバムを発売した。このほかにもソロやユニット、企画盤など数多くの作品を残している。今回は全作品を一気に解禁せず、当時の発売日を追う形でデビュー40周年の2027年まで1年かけて順次配信される。
第1弾として配信されるのは、1995年8月19日発売の3枚組アルバム『See You Again』である。前年に2人が脱退。 “光GENJI SUPER 5” と改称後、活動終了直前に残した最後の作品だ。Disc1は最後のオリジナルアルバム、Disc2にはコンサートでのみ披露されたソロ曲や「Diamondハリケーン」「ガラスの十代」「STAR LIGHT」の別バージョン、Disc3はメンバーが選んだ過去の楽曲を収録したベスト盤である。この3枚組は公式資料で “光GENJIの卒業アルバム” とされている。
昭和末期のテレビから生まれた社会現象 光GENJIがデビューした1987年、日本はバブル景気の高揚感があり、何事にも物量感が求められた。そして、まだまだテレビが家庭の娯楽の中心にあった。『ザ・ベストテン』(TBS系)、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)などの歌番組が大きな影響力を持ち、ヒット曲を幅広い世代が共有する時代だった。
ただし、アイドル黄金時代に陰りが見え始めた時期で、1980年代前半にデビューした男性アイドルのレコードセールスはピークを過ぎていた。一方で、ロックバンドの人気も高まっていた。前年にはBOØWYがブレイク。HOUND DOGは年初に日本武道館10DAYS+1DAY公演を成功させ、5月にはTHE BLUE HEARTSが「リンダ リンダ」でメジャーデビュー。そんな年の8月、ローラースケートを履いた7人組として登場したのが光GENJIだった。
13歳から19歳まで1歳刻みでそろった7人 光GENJIは、内海光司と大沢樹生の “光” 、諸星和己、佐藤寛之、山本淳一、赤坂晃、佐藤敦啓の “GENJI” を合わせた7人組である。デビュー時は内海19歳、大沢18歳、諸星17歳、佐藤寛之16歳、山本15歳、赤坂14歳、佐藤敦啓13歳と、13歳から19歳まで1歳刻みで1人ずつそろっていた。年長の “光” と年少の “GENJI” が同居し、中学生から20歳目前の青年までを1つのグループに収めたメンバー構成も特徴だった。デビューから約3か月後に発売されたセカンドシングル「ガラスの十代」までは、7人全員が実際に10代であり、曲名そのままに、大人になる前の不安や衝動を歌った。また、当初は声変わり目前の赤坂晃のハイトーンボイスが作品のアクセントになっていた。
光GENJI以前にも男性アイドルグループは存在したが、当時、シブがき隊や少年隊は3人、男闘呼組はバンド編成の4人で、7人組の光GENJIは大所帯だった。現在ではJO1(9人)、Snow Man(9人)、&TEAM(9人)、timelesz(8人)、なにわ男子(7人)、SixTONES(6人)、BE:FIRST(6人)など、多人数の男性グループが数多く活躍している。個性や年齢の異なるメンバーが集まり、多彩なフォーメーションを見せる。ファンは、好きな1人を選んで推しつつ、グループ全体も応援するという現在では当たり前の楽しみ方を、光GENJIは1980年代末にすでに見せていた。スタイリングはテレビ映えが計算され、スパンコールやサテンなど光を反射する素材を用いた派手な衣装が多く、深く開いた胸元やノースリーブ、短パンなど肌の露出も多かった。
ローラースケートが子どもたちの遊びまで変えた 光GENJIを強く印象づけたのが、ローラースケートを履いて歌い踊るパフォーマンスだった。その背景には、1987年日本公演が実現し、大々的にプロモーションが展開された英国ミュージカル『スターライト・エクスプレス』がある。出演者がローラースケートを履いて列車を演じる作品で、光GENJIはそのイメージソングを歌うために編成された。ローラースケートを履くというスタイルもこのミュージカルからきている。
ローラースケートを履くことで、光GENJIはそれまでの歌やダンスとは違うステージを見せることができた。7人が高速でステージを横切り、すれ違い、隊列を入れ替え、円を描いて回る。これまでにないスピードと移動量によって、7人という人数を最大限に生かしたパフォーマンスが生まれたのである。光GENJIの登場後、ローラースケートが爆発的に売れるブームも起きた。
飛鳥涼が生んだパワーワードとは? さらに光GENJIの人気を後押ししたのは楽曲の力も大きい。デビュー曲「STAR LIGHT」は作詞・飛鳥涼(現:ASKA)、作曲・飛鳥涼とCHAGE。続く「ガラスの十代」、そして最大のヒット曲となった「パラダイス銀河」も飛鳥涼が作詞・作曲を担った。3曲は曲調こそ異なるが、その歌詞には、10代特有の純粋さやナイーブさ、未来へ向かう前向きな気持ち、その一方で大人になることへの葛藤などが描かれている。
VIDEO 光GENJIのデビュー時、飛鳥涼はまだ29歳だった。1985年、CHAGE and ASKAはキャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)へ移籍。翌1986年の2月に発売した「モーニングムーン」がヒット。光GENJIも翌1987年、同じキャニオン・レコードからデビューしている。今回配信される『See You Again』のDisc3にも、上記3曲のほか、ライブで人気だった「THE WINDY」など、13曲中6曲の飛鳥涼作品が収められている。
当時、ソングライターとして脂が乗りまくっていた飛鳥涼を象徴するのが、「パラダイス銀河」の歌詞にあるフレーズ「♪しゃかりきコロンブス」である。“しゃかりき” と “コロンブス” という、一般の作詞家ではおそらく生み出せない2つの言葉を組み合わせた造語で、その突拍子のなさが強烈だった。理屈を飛び越えた言葉の勢いは、過剰なほど活気があった時代の空気を掴んでいた。
1988年の年間シングル1位から3位を独占 デビュー2年目の1988年、光GENJIの人気はスーパー絶頂期に達した。オリコン年間シングルランキングで「パラダイス銀河」が87.4万枚で1位、「ガラスの十代」が2位、「Diamondハリケーン」が3位。「剣の舞」も7位に入った。シングルがまだレコード中心だった時代の最末期、前年1987年の年間1位曲である瀬川瑛子の「命くれない」が42.2万枚だったことを考えても、「パラダイス銀河」の87万枚は突出した数字だった。同曲は日本レコード大賞も受賞した。
テレビでの扱いも異例だった。前年10月からテレビ東京系ドラマ『あぶない少年』に主演し、1988年1月から9月まで続編『あぶない少年II』が放送された。1988年3月4日からは『ミュージックステーション』にもレギュラー出演し、1992年10月23日まで4年7か月にわたって、毎週のようにその時々の新曲を歌った。
そしてコンサートの規模も大きかった。1988年には光GENJI名義のツアーだけで計60公演以上を行い、このほか日本武道館、大阪城ホールでの男闘呼組、少年忍者との “少年御三家” 公演にも出演した。映画にも進出し、1988年12月18日には “光” の内海光司、大沢樹生が主演する『…これから物語 〜少年たちのブルース〜』と、「GENJI」の5人が主演する『ふ・し・ぎ・なBABY』が2本立てで公開された。翌1989年1月には東京ドーム2DAYSも実現している。歴史上、男性アイドルの人気の瞬間風速が最も高かったのはあの時の光GENJIではないだろうか。
13歳から19歳までの7人のメンバー、ローラースケートによる新しいパフォーマンス、飛鳥涼らが生んだ強烈な楽曲、そしてテレビへの圧倒的な露出。それらが、誰もが同じ番組を見て同じヒット曲を知っていた昭和末期、バブル景気の高揚感の中で一つになったことで、光GENJIは単なる人気アイドルを超えた社会現象になった。
『See You Again』から始まる今回の配信は、2027年8月19日のデビュー40周年まで続く。約40年前、なぜ7人があれほどの熱狂を生んだのか。その答えを、配信される楽曲から改めて確かめることができる。
Information 光GENJI『See You Again』 ▶︎ 配信開始日:2026年8月19日(水)
▶︎ See You Again / Linkfire
https://HikaruGENJI.lnk.to/SeeYouAgain ▶︎ 光GENJIアーティストページ / Linkfire
https://HikaruGENJI.lnk.to/Streaming
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2026.08.19