9月28日

最高視聴率 41.9% 伝説の音楽番組「ザ・ベストテン」終焉へのカウントダウン

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光GENJI、男闘呼組、工藤静香…新しいスターが続々と登場


1978年にスタートし、89年まで12年間放送したTBS系『ザ・ベストテン』。私は1987年から89年まで、番組最後の2年間ディレクターを務めてきた。

配属されたのは87年10月、視聴率30%を誇った番組も10年経ち、クオリティを保ちながら次なる展開を求められていた。この間、司会者も変動があり、黒柳さんは変わらずだが、久米宏は番組を去り、私が行った時はTBSの松下賢次アナウンサー、最後の年はコント赤信号の渡辺正行が担当していた。内容も基本的なコンセプト、フォーマットは変えることはできないが、“月間ベストテン” のコーナーを月1回設けるなど、時代に合わせて企画も少しずつ変えていった。

先輩たちが築いたものを継承しながら時代に合った見せ方を模索し続けてきたわけである。新しいスターたちも続々と登場してきた。それまで番組を支えてくれたトシちゃん、マッチ、少年隊、聖子、明菜、キョンキョンらは健在。そして光GENJI、男闘呼組、工藤静香、浅香唯、南野陽子、Wink、プリプリ、森高千里など新しいスターが次々と登場、まだまだ音楽番組のトップを走る人気番組だった。

「ザ・ベストテン」はなぜ終わりを迎えたのか?





そして89年、6月か7月だったと思う。ディレクター、ADら社員スタッフが突然集められ、山田修爾プロデューサーから「番組終了の話があるが皆どう思うか?」と聞かれ、1人ずつ意見を述べることになった。まだまだいけると思っていた私には寝耳に水の驚き、でもどこか「ついに来たな」という印象もあった。私は「まだ終わるべきではない。やめてから再開するのは大変だし、まだ続けるべきだ」と言ったが、他のスタッフたちは「そろそろ潮時かな」という意見が大半だった。

今思えばボロボロにならず、いい時に終わったのは正解で、十分使命を果たしたと思う。番組がなぜ終わりを迎えたのか? 1つには視聴率の問題もあっただろう。とはいえ、まだまだ20%前後の視聴率をキープしており、一概にそれだけが原因とは思えない。やはり音楽シーンの変化、番組を観る側、出る側、作る側それぞれにこの10年間の変化があったからではないだろうか?

観る側としては、音楽の多様化で聴き方が変わり、お茶の間でみんなで1つのテレビを観ることから、多様化で個人個人が好きな音楽を聴くようになってしまった。特にライブやカラオケの普及、ウォークマンなどで自分の好きな音楽を聴く環境の変化が大きい。また、楽曲を支持する傾向が強くなり、歌手の個性や人となりに対する興味が減退していった。

一方出演する側も、一緒にいい番組を作るという意識が薄れ、番組に出ることが目的ではなく、出ることで宣伝になる、すなわち出演することが目的から手段になり、その結果毎週の出演に消極的になってゆく。加えてテレビとは共存しないアーティストも増えていった。さらに作る側もそういった状況に振り回されるようになり、次第に番組作りが難しくなっていった。

番組開始から12年、その集大成で1位に輝いたのは意外な曲だった


そうした中、9月の最終回に向けて番組はいつもと変わらず粛々と毎週進行していった。番組は603回で終わったが、私が担当した第600回で、それまでの12年間の集大成として、1回目から600回までの12年間のベストテンを放送した。

12年間で何が1位か? 1位に輝いたのは、最高得点9,999点を獲得した「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」でも、12週1位に輝いた「ルビーの指環」でもなく、五木ひろしの「長良川艶歌」という意外な結果だった。

そして89年9月28日、いつもどおりの内容で最終回を迎えた。最終回の1位、2位は、『ザ・ベストテン』最後の大スター、工藤静香の「黄砂に吹かれて」と光GENJIの「太陽がいっぱい」。この年のレコード大賞を受賞するWinkの「淋しい熱帯魚」が6位、宮沢りえのデビュー曲「ドリームラッシュ」が7位初登場と、最後に 『ザ・ベストテン』の歴史に名を刻むことができた。




「ザ・ベストテン」の終了は、1つの時代の “終わりの始まり”


この年はアイドルが光り輝いていた最後の時代。女性アイドルは錚々たる顔ぶれがそろい、男性アイドルグループも大活躍した年だった。翌90年にはフジテレビ系『夜のヒットスタジオ』、日本テレビ系『歌のトップテン』も終了し、アイドルの歴史もいったん終わってしまう。

90年代に入ると女優やバラエティ系、アーティスト系が主流となり、その後アイドルはモーニング娘。、AKB48、乃木坂46とグループの時代になり、ソロの女性アイドルはほぼ消滅してしまう。男性アイドルも光GENJIに続くSMAPは、ドラマやCM、バラエティに力点を移して、やがてそこから国民的アイドルに成長してゆく。

時代はまさに昭和から平成、80年代から90年代、そしてバブルから崩壊へと大きく変わっていく中、『ザ・ベストテン』の終了は、1つの時代の “終わりの始まり” だったように思う。

『ザ・ベストテン』最終回(1989年9月28日)総合ランキング

1位 黄砂に吹かれて / 工藤静香
2位 太陽がいっぱい / 光GENJI
3位 リゾ・ラバ / 爆風スランプ
4位 GLORIA / ZIGGY
5位 世界でいちばん熱い夏 / プリンセス プリンセス
6位 淋しい熱帯魚 / Wink
7位 ドリームラッシュ / 宮沢りえ
8位 シングル・アゲイン / 竹内まりや
9位 MISTY〜微妙に〜 / 氷室京介
10位 VIRGIN EYES / 中山美穂

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2023.12.23
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あなた
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さかいけんじろう
「ザ・ベストテン」をリアルタイムで楽しみ、そのきっかけで1970・80年代の曲にのめり込むことになったので、番組に関わった方の話は大変興味深かったです。黒柳さんが最終回を迎えるとお話された時の衝撃…思い出しました。
2023/12/24 07:50
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返信
カタリベ
1955年生まれ
齋藤薫
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