OLや女子高生にとって憧れの存在、松任谷由実
「へぇ~、ユーミン聴くの? カッコいいね」
1982年、高校1年の最初の席替えで隣になった女子に好きな音楽は何かを聞かれ、僕が答えたときに返ってきた言葉だ。
当時の僕はひどく無口だった。元々人見知りではあったのだが、中学の友だちが同じ高校にいなかったこともあり、なかなか学校にもクラスにも馴染めなかった。そんな中での初めての席替え。隣の席の女子が声をかけてきてくれたことに戸惑いもあったものの、話すきっかけが出来たことがとても嬉しかった。
「最近はユーミンかなぁ、よく聴いてるのは」
「へぇ~、ユーミン聴くの? カッコいいね」
もちろん「カッコいいね」という言葉はユーミンに対してであって、僕に向けて放たれたものではない。当時のユーミンはOLや女子高生にとって憧れの存在だったから。しかし今思えば、あのとき「カッコいい」と言われたことが、僕の妙な自信に繋がっていたのかもしれない。
気がつくと僕は彼女のことがとても気になっていた。紛れもなくそれは “恋” だった。
僕は無口で目立たない上に、勉強がスゴくできるわけでもなければ、運動神経もすこぶる悪かったのだが、音楽室でピアノを弾いているときだけはちょっとしたヒーローになれた。『明星』の「歌本」を片手に様々な曲を奏でる姿に「うわ! なんでも弾けるの? スゴいやん!」とあちこちから声がかかった。もちろん、あの彼女からも。
その頃ユーミンは『PEARL PIERCE』というアルバムをリリースした。上質のアダルトコンテンポラリーサウンドで、歌詞の世界も大人の女性の魅力に溢れたこのアルバムは、少し背伸びをしたい女子高生世代にもかなり支持されていた記憶がある。
僕がこのアルバムの曲をいくつかピアノで弾いていたら、「私もそのアルバムちゃんと聴いてみたい!」と言うので、僕はさっそくSONYのカセットテープ(BHF)にダビングして、翌日彼女に渡した。
ソウルフルなグルーヴのチルナンバー「夕涼み」
数日後、彼女が僕に言ってきた。
「ユーミン、スゴく良かったよ! 特に「夕涼み」! あの曲いいよね!」
「うん、うん! やっぱりそう思う? 自分も好きやねん」
「夕涼み」はゆったりとした、でもソウルフルなグルーヴのチルナンバー。同じアルバムに収録されている「ようこそ輝く時間へ」「真珠のピアス」といった、アッパーな曲との対比も心地よい。ほぼ同時期にリリースされた松田聖子「小麦色のマーメイド」(ユーミン作曲)と曲の雰囲気が似ている気がする。
DAYDREAM 灼けつく午後
水撒きしてはしゃいだあのガレーヂ
HEY! DREAM ゴムホースで
きみがふと呼び込んだ虹の精
みがいたルーフを金の雲が
um… 流れた
この曲、決してハッピーな曲ではないのだが、単純な僕はいつしか「夕涼み」に出てくる男女に自分と彼女を重ねていた。楽しそうにはしゃぐ二人の風景… いいなぁ。こんなふうになれたらなぁ… なんて。
―― 歌詞最後まで読めよ、俺(笑)。
ユーミンのカセットと手紙に想いを託して
さて、学校は夏休みに入った。部活もやっていなかった僕は、家でユーミンの曲を聴きながら彼女への気持ちが日々募っていった。
「そうだ! もっと彼女にユーミンを聴いてもらおう!」
彼女がユーミンのアルバム『14番目の月』を聴いてみたいと言っていたことを思い出し、SONYのBHFにダビングして送ることにした。
しかし、気がつくと僕は彼女に想いを伝える手紙を書いていた。「好きです」と書いたのか、「付き合ってください」と書いたのかまでは覚えていない。しかし、その時の素直な気持ちをしたためたのは間違いない。
想いを乗せた手紙と、SONYのBHFを入れた封筒をボストに落とした(あの頃はまだクラス名簿があったので住所がわかったのだ)。
夏休みが終わる少し前、彼女からの返事がポストに届いていた。
「他に好きな人がいます。ごめんなさい」
わざわざダビングしたSONYのBHFとともに、僕の想いはあっけなく返却された。
窓の外に広がる「夕涼み」の情景
「夕涼み」をなんとも言えない気持ちで聴きながら、団地の4階から窓の外を眺めた。焼け付くような日差しの中、1階に住んでいるおばさんがゴムホースで水を撒いていた。
おお、まさに「夕涼み」に出てくる情景。気づいたらユーミンと一緒に歌っていた。
窓を開けて 風を入れて
むせるくらい吸い込んだね
二人きりの夕涼みは
二度と来ない季節
二人きりの夕涼みは
哀しすぎる記憶
―― あっ、そうか! そういう曲なんだよな、この曲は…。
ネガティブだった僕が、なぜあの時手紙を出して気持ちを伝えようとしたのかはわからない。もっと時間をかけてコミュニケーションを取っていけば、結果は違っていたのかもしれない。結局その後はギクシャクとしてしまい、あまり会話を交わすこともなくなってしまった。
今回このコラムを書くに当たって、当時の記憶を紐解いていくことになったのだが、いろいろと思い返してみたら、あのときの自分の行動がとても愛おしくなった。あれから恋愛に関しては失敗ばかりだったけど、それもこれも、きっと運命が用意してくれた大切なレッスンだったんだよな…。
おいおい! それは「ダンデライオン」だよ!(笑)
ところで、この失恋から11年後の1993年7月26日、僕は初めて行ったユーミンの逗子マリーナコンサートで「夕涼み」を聴いた。真夏の夜、潮風に吹かれながら、ほんの少しだけ切ない恋を思い出していた。彼女は僕のことを覚えているだろうか。いや、覚えてくれていなくてもいい。今でも彼女がユーミンを聴いていてくれたら嬉しいな、と思う。
※2021年8月27日に掲載された記事をアップデート
特集 夏の終わり -Growing up-
2022.08.20