先日、日本に於けるニューロマ御三家の話になり、真っ先に思い浮かぶのは満場一致で中川勝彦。文武両道の本物の昭和の王子。誰も異論が有ろう筈もありません。
次に、本田恭章。
JAPANの来日公演を見に行った時に撮影された写真がデビューのキッカケなのでニューロマとの繋がりが深い。仙八先生に出演していたので知名度も高い。
一番意見が分かれたのが…
三番手に、土屋昌巳。
ニューロマと言うよりもこの人は「別枠」でしょうよ⁈ という意見が多かった。前述の二人に比べて年を取りすぎている等。
しかし、僕の中で日本のニューロマと言えば土屋昌巳なのだ。最先端を独走し、かつセンスが良い。ルックスは勿論の事、服装、髪型、化粧。『沙耶のいる透視図』という映画をご覧になれば、一目瞭然のニューロマ感。生活感が全くしない。
特筆すべきはカッティングギターの演奏で当時こんな弾き方出来るのは清志郎さん位しかいなかった。さらにプロデューサーとしても超一流。ますます非の打ち所がない。
残念ながら現状は偉業の割に過小評価されている。彼自身の自己評価が極端に低く、控えめで「俺が、俺が!」という卑しい所が全くない。そういった人間性もあるのかも知れない。
才能とセンスが有り余っているのに、それでいて控えめという… 人として見習いたい資質が仇となり、誤解されてしまっている。それでも見てる人はちゃんと見てるし、その才能は再評価されるべきだという事が、昨年末やっと形となった。
2017年12月20日、オーダーメイドファクトリーから、ソロ35年を記念して『土屋昌巳 SOLO VOX -epic years-』が完全受注生産で発売開始――
長い間、廃盤のままとなっていた名作の数々が商品化され、ファンの切なる願いは叶えられたのだった。私も狂喜し、購入。ただ単に音を大きくしました的なリマスターではなくギターの音色が際立っているのと土屋さんの声がきれいに響き滑っているのだ。
1969年、静岡県富士市。奇しくも私が生まれた年。レコードを正座して聴いていた土屋少年15才、ローディーになろうと決意を固め家出をする。そして、東京を素通りして横浜の本牧に降り立った。降り立つと言っても今も昔も鉄道は走ってないので横浜から市営バスに乗り、多分「小湊」辺りで降りたのではないかと想像する。
何故、本牧なのか?
そこにはゴールデン・カップスを擁する伝説的なナイトクラブ、ゴールデンカップがあったから。本物のR&B、東京の最先端な人達でも憧れずにはいられない正真正銘の不良達がそこにいた。短期間とはいえ、そこでの経験が原風景と言えるだろう。基礎がブレないからどんな服でも曲でもバンドでも見事に自分の物にしてしまう。
不良文化を大きく吸い込んだ事が、後のザ・モッズやブランキー・ジェット・シティのプロデュースに繋がっていったのではないかと推測する。
一風堂での成功は有名だが、JAPANのサポートメンバーに抜擢されていた事も日本人ミュージシャンとしては坂本龍一と並ぶ評価を受けていた証明と言えよう。このツアーでのギターカッティングと動きは土屋さんの初期衝動を具現化していた。
そしてソロ―― 傑作を何枚も作るのだが、その中でも最高傑作は2nd 『Tokyo Ballet』だと思う。
滝真知子さんの詩が素晴らしく、そこに打ち込みの音を乗せていく。無機質に陥りがちな編成にギターを被せていく演奏で今聴いても古くさくない。タイトルトラックは当時大ブームだったハウスマヌカンの事を歌っているのだが、これを現代の丸の内OLと置き換えても成り立ってしまう普遍性―― 時代がやっと彼に追いついたのだ。仕事に疲れてしまった都心会社員の皆さんに是非聴いて欲しい。
少しホッとするはず。
2018.01.25
YouTube / seibun0816
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