8月7日

甲斐バンド「THE BIG GIG」Ⅰ 都会のど真ん中で行われた大型野外コンサート

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甲斐バンドの野外イベント「THE BIG GIG」が都有5号地で開催された日
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中津川フォークジャンボリーに始まる日本の大型野外イベント


1983年8月7日に行われた甲斐バンドの野外コンサート『THE BIG GIG』は、日本のコンサート史から見ても、甲斐バンドの音楽的足跡から見ても、大きな意味をもったライブイベントだった。

日本の大型野外コンサートイベントは、1969年から1971年にかけて行われた日本のウッドストック・フェスこと『中津川フォークジャンボリー(全日本フォークジャンボリー)』を皮切りに、ヨーコ・オノなど海外アーティストも参加した1974年の『ワンステップフェスティバル』といったフェスティバル形式のイベントだけでなく、オールナイトで行われた1975年の『吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋』、1979年の『吉田拓郎アイランド・コンサート イン篠島』など、アーティストによる大型野外コンサートも大きな話題となった。

普段は何もない場所がコンサート会場になり、何万もの人が集まり祝祭が行われる。そうした非日常的魅力をもった大型野外コンサートは、80年代に入ると、1981年に阿蘇でタートして10年続けられた南こうせつのオールナイトコンサート『サマーピクニック』など、新たなライヴエンターテインメントのスタイルとして発展していく。

甲斐バンドがクリエイトしていった新しいコンサートの形


甲斐バンドも、新しいコンサートの形を積極的にクリエイトしていったアーティストだった。たとえば80年8月10日にはバンドとして初の野外コンサー『100万$ナイト in HAKONE』を芦ノ湖畔の箱根ピクニック・ガーデンで開催し、クライマックスの「100万$ナイト」演奏中に、ステージの上のミラーボールに向けて湖の対岸からサーチライトを照射するというスケール感あふれる演出で2万人以上を魅了した。僕も現場にいたけれど、この時のミラーボールは本当に美しく演奏を幻想的に彩っていったシーンを今でも覚えている。

さらに、翌1981年9月13日には、誰もコンサートに使うことを想定していなかった大阪の花園ラグビー場で『KAI BAND SPECIAL LIVE 1981』を開催する。それまで野球場でコンサートが行なわれることはあったが、ラグビー場でコンサートが行なわれるのは初めてだったと思う。しかもこの時は、ラグビー場というワイルドな “場の空気” に興奮したのか、観客がステージ近くに殺到して、危険を感じた甲斐よしひろが演奏を中断し、20分間に渡って観客を説得したという伝説も生まれている。

これらの画期的な大型野外コンサートを成功させることによって、ライブバンドとしての圧倒的評価を受けていった甲斐バンドが、さらに新たなチャレンジとして実現させたのが『THE BIG GIG』だった。

場所は新宿副都心、都会の中心で開催された「THE BIG GIG」


それまでの大型野外コンサートは人里離れた自然のなかで行うのが普通で、その会場までの旅もイベントの楽しみの一部だった。花園ラグビー場も周囲に住宅はあったが公園の中だった。しかし、『THE BIG GIG』が行なわれたのは新宿西口の都有5号地、新宿駅からも徒歩数分で行ける、まさに大都市の中心での野外コンサートだった。

1960年代まで、新宿西口には都民の飲み水をまかなう広大な淀橋浄水場があった。しかし、郊外の村山浄水場が完成したことによって1965年に廃止され、広大な空き地となった。この空地を “副都心” として再開発しようとする動きが始まり、1971年に完成した京王プラザホテルをはじめ、日本初の超高層ビル街建設がはじまった。

『THE BIG GIG』が行われた1983年夏までには、10棟ほどの高層ビルが建っていた。しかし、多くはまだまだガランとした空き地だった。コンサート会場となった都有5号地は、京王プラザホテルに近い空地で、1990年にはここに新しい東京都庁が完成し、新宿副都心は新宿新都心と呼ばれるようになった。

都有5号地周辺に3万人を動員!日常の場所が特別な場所に…


1983年の新宿西口には、高度経済成長の波に乗って未来のフロンティアに向かう “夢” にあふれた開拓地のイメージがあった。まさに、このタイミングで「ここでコンサートをやろう」と思いついただけでもすごいと思うが、当時は今ほど社会的な認知のなかったロックイベントを都有地で行うには多くの困難な課題の克服が必要であったことも想像に難くない。

ニューヨークでは、チャリティを目的にセントラル・パークで、1980年にエルトン・ジョンが40万人を集めたコンサートを行い、翌1981年にはサイモン&ガーファンクルの再結成コンサートが50万人を集めて行なわれるなど、この頃には大型野外コンサートが音楽による社会活動としても認知される土壌ができあがっていた。しかし、音楽… そのなかでもロックに対する当時の日本の社会的認知を考えれば、都心の公有地を舞台にした野外ロックイベントは、まさに画期的な試みだった。

コンサート当日、都有5号地の会場には2万人以上が集まり、その周囲の歩道橋などにも多くの… 今でいう “会場推し” の人々が押し寄せ、その数は約3万人に上ったという。会場横には京王プラザホテル、ステージの後方には新宿住友ビルがそびえる。しかも会場の周囲の道路でクルマが盛んに行き交うというロケーションは、これまで自分が体験してきた野外コンサートとは明らかに違っていた。

そこは馴染みのある都市の景色だった。しかし同時に非日常の空間でもあった。イベントのために日常から離れた空間に出かけていくのではなく、日常の場が突然特別な場所に変容するという感覚はとても新鮮だった。とくに、ステージの後ろにそびえていた新宿住友ビルの壁面に照明が当てられる演出は、まるでそこに蜃気楼のように虚構の大都市が立ち現れるような感覚を抱かせるものだった。

この日の甲斐バンドの演奏は、1983年という時点での彼らの到達点を示すとともに、イベントに参加していた全員に、自分たちはどこから来たのか、そしてどこに向かおうとしているのか、と問いかけていた。そんな気がしてならなかった。

新宿西口と音楽の関係、後に東京都庁となる場所で…


『THE BIG GIG』から3年後の1986年8月3日、アルフィーが東京湾13号埋立地(現・台場)で10万人規模の野外コンサート『TOKYO BAY-AREA』を成功させ、都市型の大型野外コンサートのビジョンはさらに次のステップへと引き継がれてゆくことになる。それは現在の『JAPAN JAM』などの都市型野外フェスにもつながっていると思う。

そして、これはちょっとうがち過ぎかもしれないが、もうひとつ思い出すのが、新宿副都心計画によって最初に作られたのが新宿駅西口地下広場だったということだ。この西口広場は、1969年に新宿フォークゲリラがムーブメントを起こした場所でもあった。もちろんこれは70年安保闘争に関連する社会政治的出来事ではあるけれど、ひとつの見方としては、権力が音楽を弾圧した出来事でもあった。

それが同じ新宿副都心計画の流れの中、後に東京都庁となる場所で『THE BIG GIG』を行うということは、“新宿西口と音楽” の関係に落とし前をつける… という意味もあったのかもしれない。

2020年8月8日掲載の『甲斐バンド「THE BIG GIG」Ⅱ 新しい時代にふさわしいリアルなメッセージ』へつづく



2020.08.07
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