8月1日

松田聖子「ガラスの林檎」松本隆が歌詞に閉じ込めた “聖性” の極み

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松田聖子のシングル「ガラスの林檎 / SWEET MEMORIES」がリリースされた日
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1983年、レコード大賞を射程範囲にとらえた松田聖子


1982年の日本レコード大賞、大賞は細川たかし「北酒場」となったが、松田聖子「小麦色のマーメイド」も善戦、次点という、惜しくも一歩のところまでたどり着いていた。当時の松田聖子はデビュー3年目、大賞に挑戦できるようになってはじめてのエントリーである。これは十分すぎる結果であった(ちなみに当時のレコード大賞は、1年目は新人賞の対象、2年目はゴールデンアイドル賞の対象となり、大賞を獲得することはシステム上不可能であった)。

また同じ年のFNS歌謡祭で松田聖子は「野ばらのエチュード」でグランプリを受賞。これは松田聖子にとってテレビ局主催の音楽賞の初のグランプリ受賞であった。

「来年こそは、松田聖子でレコード大賞を獲る!」

聖子スタッフにそのような野心が芽生えるのも、けだし当然である。1983年8月1日発売の「ガラスの林檎」は、「レコード大賞が獲れる曲を」というオファーによって生まれた。

春リリースだと年末には印象が薄れる。とはいえ秋リリースだとセールスが未知数の時期に戦いを挑むことになる。通常のローテーションで考えた時に、リリースタイミングは真夏だ。ついでにテレビCMで「誰が歌っているの?」と話題の「SWEET MEMORIES」をカップリングに入れ込んで、レコードセールスの積み増しも図る。スタッフの計算もベストだ。

松田聖子陣営は「ガラスの林檎」で年末の賞レースに挑んだ。

賞レースを背景に生まれた「ガラスの林檎」そこから見える彼岸の風景


賞レースに焦点を絞って生まれた曲だからだろう「ガラスの林檎」には松田聖子のこれまでのシングルにはない気配が漂っている。それは、一種聖的な、宗教的な気配である。

松本隆は、これまで松田聖子の歌において、常に具象の恋愛風景を描いていた。「いつ、どこで、だれが、どうした」の5W1Hが明確で、歌から絵が見える、物語が見える。それが松本隆と松田聖子のタッグによって生まれた歌の最もフックとなる部分でもあった。しかし、この歌は違う。

 蒼ざめた月が東からのぼるわ
 丘の斜面にはコスモスが揺れてる

雄大で美しい情景描写から歌は滑り出す。しかし、ここはいったいどこなのだろう。歌に明確な答えは提示されない。心象風景だろうか、あるいは夢の世界、または神話の風景だろうか。

「ラベンダー色の夜明けの海が見える渚のバルコニー」も「青い入り江の秘密の花園」も「赤いスイトピーが咲く線路の脇」もたどり着ける(ように思える)場所であったが、この「コスモスが一面に咲き誇る月夜の草原」は、細野晴臣の浮遊感のあるメロディーと相まって、けっしてたどり着けない彼岸の場所のように耳に響く。

 眼を閉じてあなたの腕の中
 気をつけてこわれそうな心
 ガラスの林檎たち

歌詞はさらに抽象度を深めていく。

「ガラスの林檎」の「林檎」とは何なのだろう。わたしは、アダムとイブの林檎を想起する。欲望と歓喜のメタファーである「林檎」だ。

アダムとイブは禁断の果実である林檎を口にすることで神の怒りを買い、楽園を追われることとなる。

「ガラスの林檎」は、失楽園の直前、禁断の林檎を口にする直前の風景を歌のようにも、わたしには聞こえるのだ。

まさに「聖子」。神聖で透明な香気を放っていた1983年の松田聖子


おそらく脳裏に鮮明に記憶している人も多いだろう―― 1983年の松田聖子は、とにかく、美しかった。

人という生き物は、少年・少女から大人の男女に移ろうその瞬間に、神聖で透明な香気を放つ。

1983年の松田聖子は、まさにその透明な香気を、テレビカメラの向こうから、異様なほど、溢れんばかりに、振りまいていた。

あの頃の彼女は他の誰よりも神々しかった。思わず拝みたくなるような、聖性の極みのはてに存在する、まさに「聖子」であった。しかしこれは、大人になる瞬間にだけ宿る聖性、世阿弥の言うところの「時分の花」である。

賞レースという特殊な事情を背景としたシングルのオファーが届いたその時、おそらく松本隆は、今この瞬間にしか放つことのできない松田聖子の “聖なる匂い” をテーマにしようと考えたのではなかろうか。

松本隆も神かがっていた。恋愛の果てにある天上的世界



 愛しているのよ
 かすかなつぶやき
 聞こえない振りしてるあなたの
 指を噛んだ

この歌の一度だけのサビは、ドラマチックに、どこか悲劇の予感も漂いながらも、荘厳に流れる。

ここはやがておとずれる、性の愉悦のメタファーであろう。次の瞬間、ふたりは結ばれる。それは愛の極みの瞬間であり、そして失楽の瞬間でもある。

大人の男女となったふたりは楽園に住み続けることはできない。ここで「噛む」という動詞を用いたのも「禁断の林檎を噛む」というイメージを想起させる。

 眼を閉じてあなたの腕の中
 せつなさも紅を注してゆくわ
 ガラスの林檎たち

そして透明だった林檎は熟して罪深い赤い果実となり、聖なる瞬間も終わりを迎える。

「ガラスの林檎」は恋愛の果てにある天上的世界を描いた作品である。

松本隆の作品においては、薬師丸ひろ子「Woman “Wの悲劇” より」と同じ世界観にある双璧の傑作といっていいだろう。

松本隆自身も、おそらくこの時期は神かがっていたのではないだろうか。天才であっても常に居続けることができない境地に、この時期の彼はたどり着いている。

1983年音楽賞の結果は?


1983年の主な音楽賞のグランプリ・大賞の結果は以下の通りである。

・日本レコード大賞:細川たかし「矢切の渡し」
・日本歌謡大賞:田原俊彦「さらば…夏」
・日本テレビ音楽祭:細川たかし「矢切の渡し」
・FNS歌謡祭:細川たかし「矢切の渡し」
・全日本歌謡音楽祭:松田聖子「ガラスの林檎」
・日本有線大賞:都はるみ・岡千秋「浪花恋しぐれ」

本命視されていた松田聖子であったが、大賞を受賞できたのは、テレビ朝日主催で視聴者が投票できるシステムを用いた『全日本歌謡音楽祭』のみにとどまった。

これは、これまでの松田聖子の歌の世界と「ガラスの林檎」が隔絶しすぎたことで、「SWEET MEMORIES」が脚光を浴びるまでのレコードセールスが伸び悩んだこと、また「SWEET MEMORIES」が想定を超えたヒットを放ったことで「ガラスの林檎」が霞んでしまったこと、当時同じ事務所であった都はるみとの兼ね合いで事務所の力点が分散したこと… など様々な理由があるのだろう。

この結果をもって松田聖子は賞レースからは勇退、1984年から彼女とそのスタッフは基本的に賞レースを辞退する方向へと舵を切ることとなる。

そして松田聖子が、少女と女性の、あるいは聖と俗の淡い境目に立つことも二度とおとずれることはなかったのであった。


※2021年7月29日に掲載された記事をアップデート

特集 松本隆 × 松田聖子



2022.08.01
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