4月25日

通算5回のレコード大賞!阿久悠にとって80年代とはいったい何だったのか?

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25週連続で阿久悠作品が首位を獲り続けるという大記録


80年代を迎える頃には歌謡界の環境が変化し、作詞に対する創作意欲が衰えていったということは本人も書き遺しているが、それは決して才能の枯渇ではなかった。小説を中心とした文筆業がメインとなり、作詞仕事は数こそ減ったものの、「居酒屋」や「熱き心に」然り、80年代以降には作家として円熟を極めた素晴らしき作品群が多々生み出されている。

阿久悠こと本名・深田公之は1959年に広告代理店の宣弘社へ入社後、64年から放送作家としての活動をスタートし、翌65年には作詞の処女作となったザ・スパイダース(当時は田辺昭知とザ・スパイダース名義)の「モンキー・ダンス」がシングル「フリフリ」のB面として発売された。そして宣弘社を退社した67年にはザ・モップス「朝まで待てない」で本格的に作詞家デビュー。68年からスタートしたオリコンチャートにも初ランクインを果たした。

以降の活躍ぶりは目覚ましく、尾崎紀世彦「また逢う日まで」(71年度)をはじめ、都はるみ「北の宿から」(76年度)、沢田研二「勝手にしやがれ」(77年度)、ピンク・レディー「UFO」(78年度)、八代亜紀「雨の慕情」(80年度)と通算5回のレコード大賞を受賞したほか、77年のオリコンチャートでは年間39週も首位を獲得し、6月20日付で首位となった沢田研二「勝手にしやがれ」から、12月5日付首位のピンク・レディー「ウォンテッド(指名手配)」まで、なんと25週連続で阿久悠作品が首位を獲り続けるという大記録を打ち立てたのである。



また、70年代の印象的な仕事として、オーディション番組『スター誕生!』の審査員があった。番組の企画から関わり、合格者がデビューする際には殆どのケースでデビュー作品を手掛けるなど、プロデューサー的な役割を担ったことで、一見コワモテの独特な風貌がすっかり有名になる。アイドル、演歌、フォーク、アニメソング、CMソングに至るまでの幅広い作風は、広告代理店時代のコピーライター経験の賜物にほかならない。

作詞家・阿久悠の転換期とは?


その『スター誕生!』から輩出されたひとり、山口百恵が引退した1980年は、作詞家・阿久悠にとっても転換期だったのかもしれない(阿久は百恵には殆ど作品を提供しなかったのであるが…)。ニューミュージックの台頭などから歌謡曲の変貌を悟った阿久は、作品の主軸を演歌といった大人向けの方向へ移してゆく。また、その一方で作曲家の筒美京平は80年代アイドルとも相性の良さを見せてヒットを連ね、阿久とは対照的に第二期黄金時代を築いていった。

もちろん阿久も『スタ誕』出身者を中心に80年代アイドルにも詞を提供したが、70年代ほどのヒットを連続させるには至らなかった。79年から80年にかけて八代亜紀に書いた三部作「舟唄」「雨の慕情」「港町絶唱」の中から、「雨の慕情」が見事レコード大賞を獲得するが、同じ演歌でも76年の「北の宿から」の時とは賞の受け止められ方は少し違ったはずである。



―― とはいえ、五木ひろし「契り」(82年)、森進一「北の蛍」(84年)、小林旭「熱き心に」(85年)といった珠玉の傑作群は、紛れもなく演歌の最高峰であり、作詞家・阿久悠の到達点と言えそうだ。それと同時にこれらは歌謡曲からの実質的な卒業を促すものとなった。

80年代に阿久悠が手がけた隠れた名曲


ところで、数多く遺された著書の中に『なぜか売れなかったが愛しい歌』と題された一冊があるが、この機会にヒット曲に限定せず、80年代に阿久が手がけた作品から個人的に私が好きなものを拾っておきたい。

まずは81年、実写版ドラマ『サザエさん』の主題歌として書かれ、主演の星野知子が歌った「DOMO DOMO コンチェルト」と「びっくりマークの日々」のカップリング。私事だが、2013年に CD『サザエさん音楽大全』の制作に関わった折に選曲したのだが、これらは発売元のユニバーサルミュージック所有の音源(レコード発売当時は、東芝EMI)にもかかわらず、諸事情で収録出来ずに地団駄を踏んだ2曲である。それが先頃、コロムビアからリリースされたコンピ『誰もが勇気を忘れちゃいけない~大事なことはすべて阿久悠が教えてくれた』でようやく初CD化が実現して感謝している。



同じく81年には井上佳子おねえさん時代のピンポンパンの歌「ロボラボ・ピンポンパン」を、かつての「ピンポンパン体操」の小林亜星とのコンビで書き下ろして、子供歌の世界でも時代に即した進化の形を聴かせてくれた。ちなみに同曲のテクノ調のアレンジは鈴木慶一であった。

81~82年は再結成したザ・タイガースの「十年ロマンス」「色つきの女でいてくれよ」、リメイクされた劇場用アニメ『巨人の星』の主題歌「マイ・チャンプ」、さらに83年は『宇宙戦艦ヤマト 完結編』の一連の歌など、この辺りは “復活モノ” が目立つ。

83年の作品で特に好きなのは、坂上二郎が歌った「森さん」。バラエティ番組に登場し歌う機会が度々あったが、なかなかまともに歌わせてもらっていなかったことを思い出す。かなりユニークな歌詞に二郎さんが真摯に取り組んでいた姿が印象深く、結局しみじみさせられる歌。そして、あまり話題にならなかったが、坂本九が “XQS(エクスキューズ)” という変名で出した「ぶっちぎり NO文句」も83年。ロカビリアン九ちゃんが復活し、B面の「おとなの童話」も良かった。作曲は井上大輔。

ジャズのスタンダードナンバー「イン・ザ・ムード」に詞を付けた、映画『瀬戸内少年野球団』の主題歌「瀬戸内行進曲(IN THE MOOD)」(84年)を歌ったのはクリスタルキング。かなり無理やりな言葉の当てはめがヴォーカル力とも相俟って妙に耳障りがよく、何度も聴きたくなってしまう。

85年に「熱き心に」をヒットさせた後、続けて86〜87年に小林旭に書き下ろした「旅空夜空~いうもはずかし~」「駅」「古城の月」も、いずれ劣らぬ名曲ばかり。そして88年には加山雄三への久々の提供曲にして雄大なメッセージソング「さらばオーシャン」を書いている。バックはザ・ワイルドワンズが務めた。



子供から大人まで、どんなタイプの作品にもかならず印象に残るフレーズを盛り込み、独自の詞世界を作り上げる才気は最後まで全く衰えることがなかった。阿久悠はやはり日本一の作詞家――。

こんな天才はもう二度と現れまい。


※2019年2月7日に掲載された記事をアップデート

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2023.02.07
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