「テレビまんが」と呼ばれていた時代のアニソン
1963年1月1日、国産初の連続テレビアニメ『鉄腕アトム』の第一話放送以来60年、番組の数だけアニソンがあった。
昭和50年頃までは『鉄腕アトム』のようなアニメーションであれ、『ウルトラマン』のような実写作品であれ、子供向けの番組はまとめて「テレビまんが」と呼ばれていた。そしてレコードの盤面には、メーカーの分類上の理由によるものであろうが “童謡” と表記されていたものだ。
アニメーションなどという横文字が一般化したのは、『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)や『機動戦士ガンダム』(1979年)といった作品が青年層の支持を集め、その大きなムーブメントが「アニメブーム」と呼ばれたことに因るのではないかと記憶している。それと共に、「テレビまんが主題歌」改め「アニメソング」のあり方にも大きな変化があった。
この場ではその変遷を辿りつつ、アニメも特撮も「テレビまんが」と呼ばれていたことに倣い、アニメソング(アニソン)も特撮ソング(特ソン)も併せて触れていく。
バラエティに富んだ「鉄腕アトム」以降1960年代のアニソン
『鉄腕アトム』以降1960年代のアニソンは、児童合唱によるマーチ調のものが多くを占めていた…… と思い込んでいたのだが、改めて作品リストを紐解くと、それは先入観であったと知った。
例えばデュークエイセスによる『鉄人28号』、克美しげるによる『エイトマン』や、シンフォニックな『ジャングル大帝』、ディキシーランドジャズ風の『魔法使いサリー』など、むしろバラエティに富んだ作品群ともいえる顔ぶれだが、言い換えればまだこの時代のアニソンは、そのあり方が混沌としていた揺籃期だったと言えるかもしれない。そんな中、1960年代の終わりに象徴的なアニソンが誕生する。『タイガーマスク』(1969年)である。
原作:梶原一騎、まんが:辻なおきによる劇画をアニメ化したこの作品、それまで可愛らしい画調の作品が多かった東映動画(現:東映アニメーション)にとって、荒々しいタッチでタイガーマスクと悪役レスラーの激闘を描いた本作は一大転機となったが、同時に音楽面でも画期的なものとなった。それは本作の音楽を担当した作曲家・菊池俊輔氏の登板である。
映画音楽畑出身の菊池氏は、既に『宇宙パトロールホッパ』(1965年)でアニメ音楽デビューを飾っていたが、『ホッパ』が当時の東映動画独特の可愛らしいタッチの作品であったように、その音楽も児童合唱によるマーチ調の明朗な曲であった。
それに比べ『タイガーマスク』の男性ボーカルによるウエスタン調の力強い曲は、今にして思えば1970年代以降、猛烈な勢いで後世に残るアニソン・特ソンを多発することになる菊池氏の活躍を宣言するファンファーレのような存在であった。
「タイガーマスク」以降、菊池俊輔が担当したアニメ・特撮作品
この『タイガーマスク』以降、菊池氏が1970年代に音楽を担当したアニメ・特撮作品をランダムに列挙してみる。
■ 菊池俊輔:
『仮面ライダー』
『バビル2世』
『超人・バロム1』
『変身忍者嵐』
『侍ジャイアンツ』
『ロボット刑事』
『アイアンキング』
『ジャンボーグA』
『新造人間キャシャーン』
『ミラクル少女リミットちゃん』
『ゲッターロボ』
『破裏拳ポリマー』
『電人サボーガー』
『少年探偵団』
『UFOロボグレンダイザー』
『てんとう虫の歌』
『がんばれ!!ロボコン』
『ラ・セーヌの星』
『シンドバットの冒険』
『ドカベン』
『惑星ロボダンガードA』
『ドラえもん』 などなど…
“枚挙にいとまがない” とは正にこのことで、決してアニソン・特ソン専業作曲家などではない菊池氏が、一般向けの東映アクション映画や、あるいはテレビ番組なら『Gメン‘75』『暴れん坊将軍』のほか、大映テレビ制作の『おくさまは18歳』『なんたって18歳』や、山口百恵・三浦友和主演の “赤いシリーズ” など、多岐にわたる作品を並行して担当しながらこの作品数である。
またシリーズ化された『仮面ライダー』は1作目のタイトルのみを表記したが、その後の『仮面ライダーV3』『X』『アマゾン』… と続くシリーズを1980年代前半までの7シリーズと1特別番組を連続して担当している。多くの番組で主題歌と劇伴音楽の両方を担当していたことを考えると、精力的なその仕事ぶりにはひたすら驚嘆するしかない。
菊池氏がはじめて手がけたヒーロー番組が、アニメでは『タイガーマスク』、特撮では『仮面ライダー』(1971年)だったのは象徴的である。
この両主人公はもともと悪の組織に作り出された存在でありながら、裏切りの末にその組織と戦いを続けるヒーローである。ゆえに両者とも影を、そして宿命を背負って生きている存在であり、神のごとくに正義をかざすヒーローとは一線を画す哀愁があった。
「シン・仮面ライダー」のエンディングでも使用されていた「ロンリー仮面ライダー」
以後の菊池作品も、一見ヒーローらしく勇ましい曲でありながら、インストゥルメンタルでスローに編曲されBGMとして流れる時にはえも言われぬ哀愁が滲み出た(のちに菊池氏は隠し味としてそのような曲作りをされていたと述懐している)。
当時でさえその哀愁はちびっ子の心の何処かに響くものがあったが、長じて社会に出た今になり改めて聴くと、苦しみに耐えながら戦いを続ける主人公像に新たな共感を覚え心が震えるのである。その典型に、先般公開された映画『シン・仮面ライダー』のエンディングでも使用されていた「ロンリー仮面ライダー」(作詞:田中守、作曲・編曲:菊池俊輔)がある。
もう一方の雄、渡辺宙明の登場
さて、1970年代初頭にはもう一方の雄ともいえる作曲家が登場する。菊池氏同様、映画音楽畑出身の渡辺宙明氏である。
既に劇場用作品『スーパージャイアンツ』(1957年)やテレビ作品『忍者部隊月光』(1964年)などでヒーロー音楽も発表済みだった宙明氏の、斯界における本格デビューとなったのは『人造人間キカイダー』(1972年)であり、続けて発表した『マジンガーZ』(1972年)は、先般逝去されたレジェンドアニソン歌手・水木一郎アニキの代名詞とも言える曲となった。
ここで、渡辺宙明氏が1970年代に音楽を担当したアニメ・特撮作品もランダムに列挙してみよう。
■ 渡辺宙明:
『人造人間キカイダー』
『マジンガーZ』
『キカイダー01』
『イナズマン』
『イナズマンF』
『グレートマジンガー』
『鋼鉄ジーグ』
『秘密戦隊ゴレンジャー』
『サザエさん(再)』
『新・みなしごハッチ』
『アクマイザー3』
『超神ビビューン』
『マグネロボ ガ・キーン』
『合身戦隊メカンダーロボ』
『おれは鉄兵』
『野球狂の詩』
『大鉄人17』
『ジャッカー電撃隊』
『スパイダーマン(東映版)』
『バトルフィーバーJ』 などなど…
この綺羅星の如きアニソン・特ソン群がテレビから流れ続けて僕らを夢中にし、それらのオープニング映像において「原作:石森章太郎」や「脚本:辻真先」といったクレジットを見ない日がなかったように、「音楽:菊池俊輔」「音楽:渡辺宙明」というクレジットもまた見ない日はなかったと言える。
菊池氏の作品がその独特のメロディーを「菊池節」と称されるのに対し、宙明氏の作品は「宙明サウンド」と称されることが多い。
『キカイダー』で本格的にアニソン・特ソンを手がけるにあたり、宙明氏はそれまでのアニソンのレコードを聴いたが特に参考にはならなかったという。今聴いても『キカイダー』のオープニングは、ヒデ 夕樹氏のアダルトな歌いっぷりとあいまって、その独特のバタ臭さと大人っぽさは、アニソン・特ソン界において革新的な存在であったといえる。
1970年代はアニソン “充実期”
私たちはこの2巨頭の音楽を聴いて幼い日々を過ごした幸運な世代であるが、もちろんこの二人だけがアニソン・特ソン界に君臨していた訳ではない。ここで紙数の許す限り、1970年代を彩ったアニソン・特ソンを作曲者名と併せて記してみる。
■ 渡辺岳夫:
『魔法のマコちゃん』
『天才バカボン』
『好き!好き‼ 魔女先生』
『原始少年リュウ』
『緊急司令10・4−10・10』
『荒野の少年イサム』
『キューティーハニー』
『サンダーマスク』
『アルプスの少女ハイジ』
『フランダースの犬』
『キャンディ♡キャンディ』
『ザ・カゲスター』
『魔女っ子メグちゃん』
『魔女っ子チックル』
『あらいぐまラスカル』
『無敵超人ザンボット3』
『機動戦士ガンダム』
■ 小林亜星:
『キックの鬼』
『科学忍者隊ガッチャマン』
『快傑ライオン丸』
『ファイヤーマン』
『宇宙の騎士テッカマン』
『超電磁ロボコン・バトラーV』
『超電磁マシンボルテスV』
■ 三沢郷:
『デビルマン』
『正義を愛する者月光仮面』
『サインはV』
『ミクロイドS』
『流星人間ゾーン』
『ジャングル黒べえ』
『エースをねらえ!』
―― などなど、その名曲の数々はいくら書き並べても書き足りない程だが、その絢爛たるラインナップに、私たちは何と豊潤な時代を過ごすことができたのかと、改めて感嘆の念を禁じ得ない。1960年代がアニソンの “揺籃期” だったとすれば、1970年代は “充実期” であったと言ってよいのではないか。
さて冒頭でも触れた通り、1970年代のアニソンといえば『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)を素通りする訳にはいかない。次回はこのアニソン充実期に生まれた『ヤマト』の音楽が、以後のアニメ音楽に如何に大きな影響を与えたか、について綴ってみる。
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2023.07.03