1970年 8月5日

細野晴臣が日本の音楽シーンに与えた影響 ③ 日本語ロックの元祖 “はっぴいえんど” 誕生

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細野晴臣が日本の音楽シーンに与えた影響 ③

現在に至るまで多くのミュージシャンに影響を与え続けている、はっぴいえんど


日本のロックの始祖として語られているはっぴいえんど。実際には、グループサウンズや、ジャックス、ブルース・クリエイションなど、はっぴいえんど以前にもロックは存在していたが、現在に至るまで多くのミュージシャンに影響を与え続けているという点では唯一無二の存在感を放っている。

もともとは、細野晴臣(b)と松本隆(ds)が在籍していたエイプリル・フールが、デビューアルバムのリリース前に解散が決定したことからはじまる。ボーカルの小坂忠、細野、松本の3人は、新たなバンドの結成を画策するが、小坂がミュージカル『ヘアー』のオーディションに合格。バンドの計画は暗礁に乗り上げてしまう。そんなとき、細野とお茶飲み会を行っていた大滝詠一(vo、g)より電話があり、ひらめきから大滝をボーカルとしてのバンドを構想。さらに演奏力を重視するため、スカイにいた鈴木茂(g)を迎え入れ、1969年9月にヴァレンタイン・ブルーが結成された。その際、日本語と英語のどちらで歌うかを松本と議論し、松本はいい歌詞を書くために日本語でなければならないと主張、日本語詞にすることとなった。

1970年、ファーストアルバム「はっぴいえんど」をURCよりリリース


1969年9月27日にエイプリル・フールのデビューアルバム『エイプリル・フール』が日本コロムビアよりリリース。その後、いくつかのライブをこなした後に同バンドは10月に解散。新たに結成されたヴァレンタイン・ブルーは、10月28日にイベント『ロックはバリケードをめざす』に出演してデビューライブを行った。この頃、大滝と松本によるオリジナル曲「雨あがり」にとりかかる。この曲は、後にはっぴいえんどの「12月の雨の日」となる楽曲の原曲だった。彼らは、1969年のうちに「12月の雨の日」と「春よ来い」の2曲を完成させた。

1970年に入ると、ヴァレンタイン・ブルーからはっぴいえんどに改称。3月には遠藤賢司『niyago』や岡林信康『岡林信康アルバム第二集 見るまえに跳べ』の録音に参加して、演奏力を向上させる。8月には、林清一によるジャケットのイラストから通称 “ゆでめん” と呼ばれているファーストアルバム『はっぴいえんど』をURC(アングラ・レコード・クラブ)よりリリース。サウンドの根底は、バッファロー・スプリングフィールドとモビー・グレープの影響によるもの。さらには、細野が傾倒していたプロコル・ハルムの影響もあった。

細野は、その影響が強い「飛べない空」ほか、「あやか市の動物園」「はっぴいえんど」などを提供した。松本による日本語の歌詞はオリジナリティを生み出し、のちに『ニューミュージック・マガジン』誌での日本語ロック論争へ発展する。なお、9月に行った日比谷野外音楽堂でのライブでは、後にムーンライダーズを結成する鈴木慶一(g、cho)がサポートミュージシャンとして参加している。

アルバム『はっぴいえんど』は、業界から高い評価を得たが、細野は自分の歌が習作の域を出ていないとシビアにとらえていた。後年に細野は、“どうやって歌ったらいいかわからなかった。歌うことに気を取られて全体がわからなくなっちゃう。とたんに無力感に襲われて、非常に不安な状態になったんです” と語っている。

はっぴいえんどを代表する作品となった「風街ろまん」






1971年には、その演奏力の向上から高田渡『ごあいさつ』や加川良『教訓』などの作品にも呼ばれる。そして11月にはセカンドアルバム『風街ろまん』をリリース。鈴木茂も作曲を担当することとなり、楽曲の質も向上し、彼らを代表する作品となった。細野は、「風をあつめて」「夏なんです」「あしたてんきになあれ」などを提供する。彼にとって大きな課題は歌うことだったが、この頃ジェームス・テイラーを聴き始め、彼の低い声や歌いまわしに影響を受けて、自らの歌唱法を発見した。

中でも、「風をあつめて」は、ドラムス以外の演奏を細野が担当。楽器を録音後のスタジオで生まれたというメロディは多くの人に響き、矢野顕子、坂上香織、太田裕美、和田アキ子など多くのアーティストにカバーされた。2003年にはアメリカ映画『ロスト・イン・トランスレーション』に挿入曲として使用され、海外での高い評価にもつながった。また、「あしたてんきになあれ」は解散後の1999年にシングルカット。解散後にリリースされた唯一のシングルとなっている。

1972年には、細野がライブでベースを弾きながら歌うのは困難ということで、ブルース・クリエイションの野地義行(b)が参加。その際は、細野はギターやピアノを担当することに。
この時期、前年よりソロでシングルをリリースしていた大滝詠一のアルバム制作が決定。細野もベースのほか、宇野主水名義でオルガン、ピアノ、ギター、ドラムスで参加した。ほか、鈴木茂、松本、野地も参加して、同年11月に『大瀧詠一』がキングレコード系列のベルウッド・レコードよりリリースされた。ただし、『大瀧詠一』のレコーディングが終わるころには、バンドとしても終焉を迎えており、正式に解散も決まった。

1972年、バンドは正式解散。翌年ラストアルバム「HAPPY END」をリリース





1972年7月に『ラスト・はっぴいえんどツアー』を行った後に、渡米してロサンゼルスでアルバム『HAPPY END』をレコーディング。使用したスタジオ『サンセット・サウンド・レコーダーズ』は、バッファロー・スプリングフィールドが『バッファロー・スプリングフィールド・アゲイン』をレコーディングしたスタジオだった。

レコーディングには、リトル・フィートのローウェル・ジョージ(g)とビル・ペイン(key)らが参加。さらに、ヴァン・ダイク・パークス(key)もふらりとスタジオに現れて、「さよならアメリカ さよならニッポン」を共作した。細野は、小坂忠や森高千里がカバーした「風来坊」や「相合傘」などを提供。そして12月31日にバンドは正式解散となった。『HAPPY END』は、1973年2月にベルウッド・レコードよりリリース。メンバーそれぞれの方向性が提示され、今後の活動を示唆する作品となった。

現在でもフォロワーを増やし続けているはっぴいえんど


​​はっぴいえんどは、わずか3年ほどの活動ながら、その後にデビューした乱魔堂、センチメンタル・シティ・ロマンス、荒木和作&やまだあきら、銀河鉄道など、多くの後継者を生んだ。1985年6月15日には、国立競技場で開催された『国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW』に、Mari(福原まり / key)、Shi-Shonen(cho)、ピチカート・ファイヴ(cho)、ワールドスタンダード(cho)、越美晴(cho)を加えた編成で再結成して出演。その模様は、同年9月にアルバム『THE HAPPY END』としてリリースされた。

1990年代以降も、サニーデイ・サービス、フリーボ、コークベリー、benzo、キンモクセイ、ママレイド ラグ、ラリーパパ&カーネギーママなどに影響を与え続け、現在でもそのフォロワーを増やし続けている。


参考文献:
『ライトミュージック』 1973年1月号(ヤマハ音楽振興会 / 1973年)
前田祥丈:編『音楽王細野晴臣物語』(シンコーミュージック / 1984年)
大川俊昭、高護共:編『定本はっぴいえんど』(SFC音楽出版 / 1986年)
北中正和 編『細野晴臣インタビュー THE ENDLESS TALKING』(平凡社 / 2005年)
門間雄介『細野晴臣と彼らの時代』(文藝春秋 / 2020年)

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