2021年 3月4日

村井邦彦とアルファミュージック、見出した才能を信じ抜くプロデューサーとしての覚悟

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アルファミュージック50周年記念作品「ALFA MUSIC LIVE-ALFA 50th Anniversary Edition」がリリースされた日
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アルファミュージック50周年! 創始者・村井邦彦の音楽ビジネス


2021年3月4日、アルファミュージック50周年記念作品として『ALFA MUSIC LIVE-ALFA 50th Anniversary Edition』(Blue-ray+CDBOX完全限定生産盤)が発売された。

これはアルファミュージックの創設者、村井邦彦の古希(70歳)を記念して2015年9月27~28日に渋谷のBunkamuraオーチャードホールで行われたスペシャルライブの完全収録映像と、そのセットリストのオリジナル音源CDで構成されたセット。

松任谷正隆が構成・総合演出したこのライブには、荒井由実(松任谷由実)、細野晴臣、高橋幸宏、鈴木茂、林立夫、吉田美奈子、小坂忠、サーカス、シーナ&ロケット、雪村いづみ、ブレッド&バターなど、多くのアルファミュージックゆかりのアーティストが参加している。

村井邦彦は慶応大学在学中に、名門ビッグバンドサークル、ライトミュージックソサイティに所属する一方、レコード店を持つなど音楽ビジネスにも手を染めていった。その後、作曲家として、テンプターズの「エメラルドの伝説」(1968年)、赤い鳥の「翼をください」(1971年)などのヒット曲を出す一方、1969年にアルファミュージックを発足させ、「マイウェイ」をはじめとする外国曲の日本での版権を獲得するなど、本格的に音楽ビジネスにも進出。レコードの原盤制作にも乗り出し、1970年にマッシュルームレコードの設立に参加。ガロ、小坂忠などをレコードデビューさせた。さらに1972年には原盤制作会社アルファ&アソシエィツを設立し、赤い鳥、荒井由実、ハイファイ・セットなどを売り出していく。

村井邦彦がもたらしたフリープロデューサーという概念


60年代までの日本のレコード産業は、コロムビア、ビクターなどの大手レコード会社がコントロールしていて、歌手だけでなく、作曲家もレコード会社と専属契約をしていて、他社の歌手には楽曲を提供できなかった。また、レコード制作もあくまで会社の仕事として捉えられ、ディレクターなどの制作スタッフも自社の仕事しかできなかった。

そんな情況が変わり始めたのが60年代後期。グループサウンズ(GS)、カレッジフォークなど、若者のなかで自然発生的に生まれた新しい音楽ムーブメントが台頭してきた。既成のレコード会社は、こうしたムーブメントもいわゆる “流行” のひとつとして自分たちのシステムに取り込もうとした。

しかし、海外のロックやフォークムーブメントの影響を受けて活動をスタートした若いアーティストの中には、既成の枠に収まらずに自由に活動する動きも生まれ、アングラレコードクラブ(URC)などのインディーズレーベルも生まれていった。

村井邦彦は、こうした時期にレコード会社に所属せずにフリーで活動するというスタイルを切り拓いた作曲家のひとりであるとともに、やはり特定のレコード会社に所属せずにレコードを制作するフリープロデューサーという概念を日本につくり出した先駆者だった。

洗練されたサウンド、アーティストを紹介したアルファレコード


新しい時代の動きを理解し、積極的に新しい音楽制作の環境をクリエイトしていった結果、アルファミュージックは70年代から80年代の日本の音楽シーンをリードする存在となった。

その象徴的な事業が、村井邦彦が1977年にスタートさせたアルファレコードだと思う。それまでは原盤制作会社として他のレコード会社に作品を供給してきたアルファが、自らディストリビューターとしての活動を開始したのだ。そして、アルファレコードは洗練されたサウンドとともに、さまざまな新しいアーティストを世に紹介していった。

個人的イメージで言えば、発足当初のアルファレコードは、オシャレなフュージョン系レーベルという匂いが強かった気がする。所属アーティストも、カシオペア、サーカス、吉田美奈子などフュージョン色の強い人たちが多かった。

YMOや荒井由実など、大胆に次の時代の音楽を提案


そんなイメージを大きく変えたのがイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)だった。コンピュータを使ったテクノサウンドを打ち出すYMOは、最初はイロモノ扱いされたが、海外で大きな反響を得たことで大ブレイクし、時代の最新サウンドとしてクローズアップされた。同時にアルファレコードも、それまでのレコード会社とは違う次の時代を切り拓くアーティストと出会えるレコード会社として脚光を浴びることになった。

それまでの流行の流れに乗るのではなく、大胆に次の時代の音楽を提案していくアルファレコードのカラーは、まさにプロデューサー村井邦彦の本質から生まれているのだと思う。

ソングライター志望の荒井由実をいきなりアーティストとしてデビューさせた姿勢と、まったく時流の音楽ではなかったYMOを世に送り出した姿勢に共通しているのは、自分が見出した才能を信じ抜くというプロデューサーとしての覚悟だという気がする。アルファレコードから登場したアーティストの多くにオリジナルティを強く感じるのも、そうした村井邦彦の意志か反映しているのではないだろうか。

しかし、アルファレコードの80年代は必ずしも順風満帆ではなかった印象がある。時代に対するアグレッシブな挑戦の姿勢は維持していったが、それがビジネス的な成功には結びつかず、村井邦彦も1985年にアルファから離れることとなった。

メインレーベルと並ぶ存在感、個性的な社内レーベル


個人的な感想だけれど、80年代のアルファレコードについて印象に残っているのはメインレーベルの動向よりも、個性的な社内レーベルを設立していったことだ。

1982年にはYMOの細野晴臣、高橋幸宏を中心にしたYENレーベルを発足させ、ゲルニカ、戸川純、サンディ&サンセッツ、立花ハジメなどのアバンギャルド・ポップテイストのアーティストを積極的に紹介していった。その中には、1984年に細野晴臣が発表したおそらく世界初のゲーム音楽アルバム『ビデオ・ゲーム・ミュージック』も含まれている。さらに、1986年には日本初のゲームミュージックレーベル、G.M.Oを設立するなど、アルファレコードはゲーム音楽の時代も先取りしていたことも忘れられない。

アルファレコードには山下達郎との関係もあった。1982年にRCAとの契約を解除した山下達郎は村井邦彦らのバックアップを受けてアルファ・ムーン株式会社を設立。松下誠、村田和人らに続き、山下達郎も1983年に同レーベルのファーストリリースとして『MELODIES』を発表している。

彼のその後のシンガーソングライターとしてのスタイルの出発点となると共に、名曲「クリスマス・イブ」が初めて収められたアルバムを、アルファレコードが後押ししていたというのも80年代の不思議なエピソードだったと思う。



2021.03.04
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  YouTube / Sony Music (Japan)
 

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カタリベ
1948年生まれ
前田祥丈
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