井上陽水「氷の世界」に入り込んだプログレ人脈
2022年8月30日をもって74歳になる井上陽水に関して、ほとんどのことが語られ尽した感もある。とはいえサイゾーWEBに「井上陽水とアンビエント」という野心的な記事が掲載されているのを見つけて、まだまだ斬新な切り口はあるのだなと感心した。そこで今回のコラムでは変わった角度から、すなわち「初期の井上陽水はプログレ」(!)という一部プログレッシャーの間でまことしやかに囁かれてきた噂を検証してみたいと思う。
この俗説が浮上した要因は、日本初のミリオンセラーを達成した陽水の三枚目のアルバム『氷の世界』(1973年)にあると思しい。本作はポリドール・レコードの多賀英典の判断で半分ほどの楽曲がロンドン・レコーディングされたのだが、セッションミュージシャンとして雇われたのがほとんど当地のプログレ人脈なのだ。
クォーターマスという、アルバム一枚を残してすぐ解散するもリッチー・ブラックモアに多大な影響を与えたプログレ系バンドから、ジョン・ガスタフソン(ベーシスト)とピーター・ロビンソン(キーボーディスト)の二人が参加している。ガスタフソンはロキシー・ミュージックの名曲「ラブ・イズ・ザ・ドラッグ」でもベースを弾いている名セッションミュージシャンで、とてもファンキーなプレイスタイルで知られる。
その他、アコギで参加しているレイ・フェンウィックも、プログレ系のイアン・ギラン・バンドに後に加入した人物だ(ちなみにガスタフソンもこのバンドに加わった)。詳細は不明だが、その筋(?)のサイトによると、セッションドラマーのバリー・デ・ソウザもプログレ人脈らしい。
このあたりが “初期陽水プログレ説” を加速させた原因と思しい。たしかにアルバムがリリースされた1973年はピンク・フロイド『狂気(The Dark Side of the Moon)』が出たのと同年であり、この年にロンドン録音に行くとはプログレ全盛時代の空気を浴びることに等しい(グラムが台頭した時期でもある)。しかしアルバム全体を通してプログレと形容するのはやや困難で、むしろスティーヴィー・ワンダーの「迷信(Superstition)」から着想を得たタイトル曲「氷の世界」など、ファンクやハードロック色の方が際立っている。
井上陽水はキング・クリムゾンだった?
とはいえ注目すべきは「小春おばさん」という楽曲であろう。タイトルおよび歌詞に出て来る貸本屋などから『三丁目の夕日』的な昭和レトロを擬態しつつも、サウンドの方は見事に荘厳なキング・クリムゾン風のブリティッシュ・プログレなのである。フュージョン系ミュージシャンの深町純の奏でるメロトロンなど、プログレを象徴する楽器が用いられている点もその連想を逞しくさせる。「心もよう」という楽曲でもメロトロンは多用され、フォーク的叙情とは明らかに異なるプログレ的メランコリーを演出している。
思わずキング・クリムゾンに喩えたが、セカンドアルバム『陽水Ⅱ センチメンタル』(1972年)に入っている「夜のバス」も異様なアレンジで、ほとんど『クリムゾン・キングの宮殿(In The Court Of The Crimson King)』期の「エピタフ(墓碑銘)」のような、ストリングスやモーグ・シンセサイザーまで導入した荘厳でシンフォニックな6分超えの大曲である(ドラムとベースの計算された巨大建築性が正にプログレ)。
ネットの意見を覗くと、グランド・ファンク・レイルロードの名曲「ハートブレイカー」から着想された陽水の代表曲「傘がない」も、クリムゾン的と評する声があるほどだ(ライブの壮絶なギターソロが尚さらプログレ度を上げるゆえか?)。
編曲家・星勝のクリムゾン趣味と手掛けた和製クリムゾンサウンド
このクリムゾン感は陽水の趣味や素質ではなく、編曲の星勝(ほし・かつ)に依るところが大きいのではないか。
星は元祖ジャパニーズ・サイケバンドのモップスに所属し、初期陽水を支えた名編曲者でもある。一枚目の『断崖』では全12曲、二枚目の『陽水Ⅱ』では12曲中7曲、三枚目の『氷の世界』では13曲中12曲、四枚目の『二色の独楽』では14曲中7曲を編曲し、最後に名前を挙げたアルバムでレコード大賞編曲賞を受賞している。
この星勝のアレンジが、どうも陽水のプログレ色(というよりクリムゾン色)を強めたようなのだ。『氷の世界』の翌1974年に、小椋佳の最高傑作の呼び声高い『残された憧憬~落書~』がリリースされたが、このアルバムはフォークからニューミュージックへ音楽シーンが移行する過渡期にあたる作品として有名で、キング・クリムゾンを意識したポップを狙ったことが明らかとされている(小椋佳のWikipedia参照のこと)。そしてこの和製クリムゾンサウンドの編曲を行ったのが、他ならぬ星なのである。
あるいは、BSプレミアムで放送された番組「名盤ドキュメント RCサクセション『シングル・マン』」によると、「甲州街道はもう秋なのさ」(1973年)で最終的なトラックダウンの段階で削られたというストリングスも、「クリムゾンを意識した」と星は明言していた。こうした星のクリムゾン趣味が「傘がない」「夜のバス」「小春おばさん」まで流れ込んで陽水プログレを生み出したと思われる。
小椋佳、梅沢富美男でも聴けるクリムゾンサウンド
星勝が所属したモップスの、中野サンプラザでのさよならコンサートを記録したアルバム『EXIT』(1974年)でも、10分を超えるメロトロンの洪水が圧倒的な「わらの言葉」というジャパニーズ・プログレ史に残る名演が残されている。「エピタフ」に始まり「スターレス」で終わるようなクリムゾンサウンドがここで聴ける。特筆すべきは、陽水の「氷の世界」でメロトロンを奏でていた深田純が、「わらの言葉」でも同楽器を奏でている点だ。
さらに付け加えれば、「21世紀の精神異常者」にイントロが似ているという理由から、クリムゾン演歌(?)として一部プログレッシャーたちからよくネタにされる、梅沢富美男の「夢芝居」(1982年)も、先述した小椋佳作曲であるのは単なる偶然か?
以上から、初期の井上陽水まわりにはプログレ系のセッション・ミュージシャン、あるいは明らかにクリムゾン趣味の人間が跋扈していたことが分かり、そうした人々の直接・間接の作用で「初期陽水はプログレ説」が噂されるようになったことが分かったかと思う。
元祖和製プログレといえば四人囃子、元祖和製クリムゾンといえば美狂乱、といった定説をひっくり返すのは、このあたりのフォーク系プログレの捉え返しの作業であるかもしれない。同時代フォークが濡れそぼった男女の情愛を四畳半でこじんまりと唄うなか、井上陽水と小椋佳という、フォーク領域から大きく逸脱した二人のみが、超巨大なクリムゾン・キングの宮殿に住まっていたのだった。
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2022.08.30