1983年夏のツアー『アン・ドゥ・トロワ』で松田聖子のコンサートを初めて観て以来、40年以上会場に足を運んでいる筆者だが、今回は、セルフプロデュースによる “松田聖子 第3章” が深化していった、1993年の松田聖子を振り返ってみよう。
着実に進むセルフプロデュース 1989年6月、デビューから所属していた事務所・サンミュージックから独立した松田聖子は、苛烈ともいえるマスコミの総バッシングにあった。オリコンでの連続シングル1位記録が途絶え、年末の紅白歌合戦にも選ばれず、盛んに “落ち目” “人気低下” と各メディアから揶揄され続けた。
しかし、そんなバッシングの渦中でも着実に歩みを続ける松田聖子は、1990年と91年の2年間で音楽制作に対して様々なトライアルを繰り返し、1987年のコンサートで縁のできたダンガン・ブラザーズ・バンドの小倉良と組んで、セルフプロデュースの方向に舵を切った。
そう、1992年のアルバム『1992 Nouvelle Vague』から始まった、全曲を小倉と共同作曲し、作詞は聖子自身が担当するというスタイルの音楽制作を深化させていったのが1993年である。
脚本は大石静。連続ドラマで幕を開けた1993年 前年に引き続き、1993年4月期のTBS系金曜ドラマ『私ってブスだったの?』で主演。脚本は『おとなの選択』と同じく大石静。刺激的なタイトルは大石静が週刊文春で当時連載していた人気コラムのタイトルを流用したもの。略して “わたブス” とも呼ばれていた。
『おとなの選択』では耐える若妻という “静” の演技が多かったが、『私ってブスだったの?』では超強気でバリバリ仕事をこなすコピーライターの役であり、メリハリの効いた “動” の演技が中心。
大手広告代理店のエースでありながら、ある事を機に独立、その後は逆風に負けず前進する強い女性という役柄は、事務所を独立してバッシングの嵐に立ち向かっていた松田聖子の姿と重なる。80年代のぶりっ子やママドルのイメージしかない視聴者からすれば、ズケズケとはっきり物を言う強気な演技が新鮮に映ったようだ。
時任三郎、西島秀俊、石橋蓮司、長塚京三、長谷川初範、高木美保、高橋ひとみ、など達者な共演者に恵まれ、視聴率的には苦戦したようだが、松田聖子の連続ドラマの代表作と言えるほど印象に残る作品となった。と、ドラマの内容もさることながら、注目すべきはドラマの主題歌である新曲の「大切なあなた」である。
思うに、洋楽のトレンドを意識した意欲的な前年のアルバム『1992 Nouvelle Vague』に決定的に欠けていたものは “松田聖子のパブリックイメージ" にフィットするアイドルソングだった。この「大切なあなた」は松田聖子らしい可愛さの中に、大人の雰囲気をふりかけたようなポップな仕上がり。サビの部分などはアイドルソングらしい振り付けも功を奏したか、90年代にリリースしたシングルでは2番目の売上枚数となり、多くのファンに愛される曲となった。近年でもコンサートやディナーショーで選曲される機会も少なくない。
「DIAMOND EXPRESSION」1曲目の歌詞に込めた強い信念 シングルに続き、翌5月21日にはニューアルバム『DIAMOND EXPRESSION』をリリース。前作『1992 Nouvelle Vague』に見られた洋楽志向のテイストは継続しながら、そこに「大切なあなた」「コットンとマーガレット」「海辺のカフェテラス」といった、アイドル松田聖子らしい曲が加わったことで、音楽的な幅の広さを感じさせる1枚となった。
つまり、セクシーなダンスナンバーや壮大なバラードなど、洋楽テイストの世界を追求すると同時に、80年代に松田聖子プロジェクトが作り上げた “アイドル松田聖子” の世界を、聖子自身が再構築していった。この結果、2000年代以降は、セクシーなダンスナンバーよりも聖子本人が作る “アイドル松田聖子” らしいポップスが中心となっていくのだが、それはまた機会があったら言及したい。
さらに特筆すべきは、アルバム1曲めの「Move On」の歌詞だ。それは、バッシングの渦中でも芸能記者の取材に応じることもなくノーコメントを通してきた聖子が、当時感じていた思いをかなり赤裸々に記したもの。前年の「1992 ヌーヴェルヴァーグ」にも通じるのだが、“まわりの人がいくら中傷してこようとも、自分の信じた道を進んでいくことで、気づけば周囲から評価されるようになる” という彼女の強い信念を表明している。
“アイドル松田聖子” の再構築 93年6月21日にはミュージックビデオ集『Seiko Clips 3 DIAMOND EXPRESSION』をリリース。アルバム収録曲のうち4曲のビデオとメイキングを収録しているが、もっとも印象に残るのが「大切なあなた」の映像だ。まさにこれが、“アイドル松田聖子” の世界を聖子目線で再構築したものといえる。
純白のフリルのドレスで、チューリップをマイク代わりにしたり、カメラを見つめて歌う姿はアイドルそのものという可愛さ。同時に当時のコンサートでメインのダンサーだったアラン・リードとイチャイチャしまくり、ただ可愛いだけではない ”大人の女性” という面も強調する。極め付けは、バスタブにつかりシャワーを浴びながら見せるバックヌード。自然光(に似せた光)にきらめく真っ白な肌は、もはや ”妖艶さ” をも感じさせ、成熟した大人の女性であることを深く印象付ける。
1970年代以降、幾多の女性アイドルが ”大人の歌手” へ変貌しようともがく姿を見せてきたが、松田聖子は結婚・出産、スキャンダルに見舞われて30代になっても ”大人のアイドル” でい続けるという、日本の音楽史上で誰も成し遂げられなかった世界を、この「大切なあなた」で切り拓いたと言っても過言ではない。
少々バランスに欠けるコンサート 1993年6月9日、日本武道館3daysを皮切りにコンサートツアー『DIAMOND EXPRESSION』がスタートした。筆者が行った日本武道館(前半と後半で各1回ずつ)、大阪城ホール、大宮ソニックシティは、いずれも立ち見がでるほどで、独立以後 “落ち目” だの “人気低下” だのマスコミにバッシングされ続けたことが嘘のような盛況ぶりだった。
コンサートの前半は、アルバム『DIAMOND EXPRESSION』からの選曲を中心に見せる構成だが、前作『1992 Nouvelle Vague』から2曲、さらに前年のツアーで初披露した英語曲「Wanna Know How」も選曲しており、その分ニューアルバムからは数曲が選曲されなかった。
コンサートの演出・構成も聖子自身が担当しているので、自分が追求しようとする世界をどう見せていくのか悩んだ末のセットリストであることは理解できるのだが、洋楽志向のダンスナンバーが中心になってしまい、アルバムで見せた幅の広さがツアーには活かせなかったことは少々残念な思いがした。
さらにこのツアーで特筆すべきは、アラン・リード推しがすごかった、ということだ。コンサート中盤、聖子の衣装チェンジタイミングで登場したアランは、自身のシングル「愛するほどに…」と、ミニアルバム収録の「スイート・メモリーズ」を熱唱した。ただ残念ながら聖子ファンにはあまり響かなかったようで、武道館ではトイレに立つ女性客が少なくなかったことが記憶に残っている。
一方で、MC時の観客との掛け合いは、一層冴えを見せるようになってきた。聖子のMC が始まると、客席から「(出演しているCMの)タンスにゴンやって〜」とか、「ドラマのセリフしゃべって~」などの声がかかる。そのリクエストに即座に反応してみせて客席を爆笑させるという、聖子の機転の良さが回を増すごとに磨かれていった。
こうした観客とのやりとりの応酬がいつしか、ファンがそれぞれ歌ってほしい曲をボードにして客席で一斉にかかげそれを片っ端から歌っていくというリクエストコーナーへと発展していったのは興味深いところだ。
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年末まで意欲的な活動が続く 夏のコンサートツアーの後は、11月1日にツアーのライブ映像ソフト『LIVE DIAMOND EXPRESSION』を、さらに11月21日にはクリスマス企画アルバム『A Time For Love』をリリース。このアルバムには、洋楽志向のセクシーなダンスナンバーは存在せず、明るく可愛いポップスを揃えたホリデーシーズンならではのアルバム。松田聖子のセルフプロデュース作品の中でも、ここまで “アイドル松田聖子” を前面に押し出したものはなく、聞き逃せない1枚だ。
1993年秋はもうひとつだけ言及しておかねばならないことがある。それは、11月10日に “MATSUYAKKO(まつやっこ)” 名義でリリースしたシングル「かこわれて、愛jing」。これは、子供の頃に由紀さおりが好きだったという音楽的ルーツの歌謡曲を聖子流に解釈した企画シングル。カラオケでは「津軽海峡冬景色」が得意という聖子の本領を発揮したムード歌謡で、なかなか面白い曲ではある。しかし本人がテレビやコンサートで歌う機会がなく、幻の1曲になってしまったのは残念なところだ。
1992年に4カ所8公演でスタートした年末のディナーショーは、13ヶ所21公演に拡大。会場によっては5万円弱の高額チケットが完売続出で、“ディナーショーの女王” としてメディアがとりあげる機会も増加していった。
1993年は “アイドル松田聖子” の再構築をはじめ、セルフプロデュースの音楽の幅が広がり、深化を始めた年。様々な挑戦により得た成果を活かして、今なお深化を続けている松田聖子なのだ。
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2024.09.13