マイケル・ジャクソン「スリラー」リリース40周年
1982年12月1日、マイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』が日本で発売された(アメリカでの発売日は11月30日)。
マイケル・ジャクソンを知ったのは、もちろんジャクソン5時代だった。ジャクソン5は1969年に「帰ってほしいの(I Want You Back)」でモータウンからレコード・デビュー。「ABC」「アイル・ビー・ゼア(I'll Be There)」(1970年)などをヒットさせていった。これらの曲は嫌いじゃなかったし、当時12歳だったリード・ヴォーカルのマイケル・ジャクソンも凄い才能だとは思ったけれど、ジャクソン5に対しては子どものアイドルグループというイメージが拭えなかった。それは、1972年にジャクソン5をモデルに登場した、フィンガー5の印象も重なっていたのかなとも思うけれど。
1960年代に、白人をもターゲットにしたポップなソウルミュージックという前代未聞のコンセプトを打ち出し、ヒット曲を次々に世に送り出していったモータウンは、70年代に入るとマーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダーなど、よりクリエイティブなアーティストも輩出するようになっていった。
しかし、その中においてジャクソン5には1960年代のモータウンポップ路線を引きずっているという印象があったのだ。実際、彼らのヒット曲はザ・コーポレーション(モータウン創始者であるベリー・ゴーディ Jr.らによるプロデュースチーム)が中心になって作られていて、彼ら自身がアーティスティックな才能を発揮する余地はあまりなかったとも聞く。だから、正直な話1970年代のマイケル・ジャクソン(ジャクソン5)に対して、僕はやや偏見を持っていたという気もする。
そんなマイケルに対する認識を変えたのが『スリラー』だった。
「オフ・ザ・ウォール」に続くクインシ―・ジョーンズ・プロデュース作品
ジャクソン5のメンバーも、自分たちが置かれていた状況に不満を持っていたようで、1975年にモータウンからEPICに移籍し、ジャクソンズとして再出発する。
マイケル・ジャクソン自身は、1971年以降ジャクソン5、ジャクソンズの活動と並行してソロ活動を開始し、「ベン」(1972年)をヒットさせたりもしていた。
そしてEPIC移籍後の1979年、クインシ―・ジョーンズをプロデューサーに迎えたソロアルバム『オフ・ザ・ウォール』を発表し、音楽作品としての完成度の高さを評価されると共に世界で200万枚以上を売り上げる大ヒットアルバムとなった。
『スリラー』は『オフ・ザ・ウォール』に続くクインシ―・ジョーンズ・プロデュース作品だが、『オフ・ザ・ウォール』がコンテンポラリーソウル色が強いアルバムだったのに対し、『スリラー』はロック色を強めるなどより柔軟な音楽性を打ち出し、さらに幅広い層にアピールする作品になっていた。
しかし、この時期のマイケル・ジャクソンの動きに対して僕はリアルタイムで反応できてはいなかった。マイケル・ジャクソンが “来ている” 気配は感じていたけれど、積極的には食指が伸びなかった。
当時、映画の『ブルース・ブラザーズ』(1980年)に夢中になったり、日本でも放映されていたテレビショウの『ソウル・トレイン』を欠かさず見ていたり、さらにはアース・ウインド&ファイアーやグラハム・セントラル・ステーションなどのファンクムーブメントに興味こを持つなど、ソウルシーンに関心が無かったわけではない。けれど、1970年代の後半におけるマイケル・ジャクソンは、どうしても過去の人という印象が残ってしまっていた。
初めてのムーンウォーク。モータウン25周年ライブでの「ビリー・ジーン」
そんな偏見をちょっと変えさせたのがマイケル・ジャクソンがポール・マッカートニーと共演したシングル「ガール・イズ・マイン」(1972年)だった。けれど正直に言えば、ポールとの共演には話題性を感じたけれど、この曲を書いたのがマイケル・ジャクソン自身だということも、この曲が『スリラー』の先行シングルだということの意味もピンとはきていなかった。
そんなマイケル・ジャクソンに対する見方が、アルバム『スリラー』からの2曲目のシングル・カットとなった「ビリー・ジーン」で一気に覆った。切迫感と緊張感のあるビートとヴォーカルのマッチングがなんともカッコ良かった。そしてどこか謎めいたPVのキレキレのダンスパフォーマンスも鮮やかだった。
そして、決定的だったのが『モータウン25周年ライブ』での「ビリー・ジーン」のパフォーマンスだった。このライブは1983年3月25日に行われ、アメリカでは5月にテレビ放映されたが、その直後にこの曲、そしてアルバム『スリラー』の売り上げがグンと伸びたという。
実はどうして手に入れたのか思い出せないのだけれど、僕はそのライブ映像をかなり早い時期にビデオで視ている。(たぶん、誰かに勧められたのだと思う)そして、初めてムーンウォークを披露したと言われるそのパフォーマンスの美しさにノックアウトされた。
たぶん、あのライブを視た人全員がそう感じたのではないかと思う。このライブと前後して視た「今夜はビート・イット」のPVも圧倒的だった。この頃になると、新曲やアルバムのリリース時にPVを制作するケースが増え、アメリカでは1981年にMTVが発足するなど、映像を使ったレコードプロモーションが当たり前になっていった。
マイケル・ジャクソンは『オフ・ザ・ウォール』の時もシングルカットした楽曲のPVを作っているが、それは単に歌っていたりパフォーマンスを映像化しただけのシンプルなものだった。
音楽とダンスの融合。PVの重要さを決定づけた「今夜はビート・イット」
しかし、「今夜はビート・イット」のPVは、不良同士の決闘をテーマにていねいに作り込まれ、ストーリーと曲を融合させた印象的な映像が、エディ・ヴァン・ヘイレンのギターをフィーチャーしたビートサウンドと見事にマッチして、見る人に強烈な印象を残した。
ダンスと決闘の融合というシチュエーションは、少し上の世代には名作『ウエスト・サイド物語』へのオマージュを感じさせるものだった。『ウエスト・サイド物語』ではモダンバレエがベースだった決闘シーンを、マイケル・ジャクソンはロック、ソウルなどの要素を融合したダンススタイルで表現して見せた。
その意味で、このPVは “音楽とダンスの融合” というテーマの継承でもあったのだけれど、若い世代にとっては理屈抜きに新しくカッコ良いパフォーマンスとして映ったのだろうと思う。その結果として「今夜はビート・イット」は、新曲プロモーションにおけるPVの重要さを決定づけるとともに、その後のPVのつくり方に大きな影響を与えた。
そしてもうひとつ、音楽表現におけるダンスパフォーマンスの重要性にも決定的な影響を与えることになった。R&B系のヴォーカルグループでは、伝統的にパフォーマンスにダンスステップを取り入れるケースが少なくなかったけれど、1980年代以降のヴォーカルダンスグループの原点が「今夜はビート・イット」にあると言っていいんじゃないだろうか。
アーティストとしてのステイタスを確立させた「スリラー」
マイケル・ジャクソンはアルバムのタイトルソングでもある「スリラー」のPVでさらに大胆なチャレンジをおこなった。5分57秒の曲に対して、なんとサイズが13分42秒というPVを作ったのだ。監督は『ブルース・ブラザーズ』でも知られるジョン・ランディス。彼のヒット映画『狼男アメリカン』(1981年)をヒントにマイケル・ジャクソンと脚本をつくった本格的ショートムービーで、1億円以上の経費がかけられたという。
「PVにこれほど贅沢をするのは本末転倒ではないか」という声もあったが、このPVによってアルバム『スリラー』は圧倒的にセールスを伸ばし、結果として史上もっとも売れたアルバムとなるとともに、マイケル・ジャクソンのアーティストとしてのステイタスを確立させる作品となった。
ちなみに、冒頭で触れたように、日本で『スリラー』が発売されたのは1982年12月1日だが、チャート1位になったのは1984年に入ってからのことだ。この事実からも、「今夜はビート・イット」「スリラー」というシングルのためのPVが、日本でもアルバムセールスに多大な貢献をしていたということが伺える。
もうひとつ『スリラー』で感じたのが、アイドルとアーティストとの関係だ。
よく日本でも「〇〇はアイドルではなくアーティストだ」という評価を耳にする。けれど、果たしてアイドルとアーティストというのは対立する概念なんだろうか? そんなことを考えてしまったのだ。
本文中、僕はジャクソン5を “子どものアイドルグループ” と書いたけれど、それはあくまで売り出し方や人気の出方の話で、アイドルとアーティスト性とは別の話だと思うのだ。だから『スリラー』のマイケル・ジャクソンは、かつてのアイドルからアーティストになったのではなく、その両方を持ち続けていたに過ぎないのだと思う。
アイドルであり続けたマイケル・ジャクソン
僕は『スリラー』時代、いや、それ以降も、マイケル・ジャクソンはアイドルであり続けたのだと感じている。たとえば大ヒット曲の「ビリー・ジーン」や「今夜はビート・イット」を書いたのがマイケル・ジャクソン自身だということを強く意識していない人が多いのではないかと思うし、その作家としての才能が、マイケル・ジャクソンの人気を左右したとも考えられないのだ。たとえて言えば、アイドル性とはよく言う “華がある” ということ、アーティスト性とは “腕がある” ということと同義語なのだと思う。スーパースターは “華があって腕がある” からこそ、カリスマとして時代に迎えられるのだ。
それは決してマイケル・ジャクソンに限ったことではないが、彼は自分の想いを作品、パフォーマンスで表現し続けたアーティストであると同時に、世界中のリスナーや後継者に夢を与えたアイドルでもあったのだ。そして、『スリラー』は、まさにマイケル・ジャクソンのアーティスト性とアイドル性の結晶と言うべきアルバムなのだと思う。
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2022.11.18