アルバム「スリラー」。史上最高のセールスを記録
マイケル・ジャクソンの『スリラー』は、史上最高のセールスを記録したアルバムだ。正確な売上枚数には諸説あるようだが、2位と3位の枚数を足しても『スリラー』には届かないというのだから、まったく想像もつかないレベルである。
とはいえ、発売当初の僕の認識は、ポール・マッカートニーとのデュエット曲「ガール・イズ・マイン」が収録されているアルバムという程度のものだった。実際、この曲がアルバムからのファーストシングルとしてリリースされ、全米2位まで上がるヒットを記録していたので、そういう人はけっして少なくなかったと思う。
「ビリー・ジーン」から始まったマイケル・ジャクソンの時代
しかし、これが単なる助走だったとわかるのに時間はかからなかった。アルバム発売から1ヶ月後、新しい1年の幕開けを待っていたかのように、マイケル・ジャクソンの時代はやって来たのだ。
1983年1月、セカンドシングル「ビリー・ジーン」が発売。
不穏なイントロとしゃくりあげるようにして歌うマイケルの声にぞくりとした。13歳になったばかりの僕にとって、「ビリー・ジーン」は大人の歌だった。「ガール・イズ・マイン」にはミュージックビデオがなかったから、僕はこの曲で初めて動くマイケル・ジャクソンを観た。マイケルは踊るように歩き、そのたびに彼の足元が奇跡のように光った。
その「ビリー・ジーン」がまだチャートを上昇中だった2月、サードシングルの「今夜はビート・イット(Beat It)」がリリースされた。
明快なリズムをもったスピード感のあるロックナンバーで、「ビリー・ジーン」とはまた違うかっこよさを感じた。本物のギャングを雇ったというミュージックビデオもわかりやすく、よく友達同士で役を振り分けては真似をしたものだった。
ヒットチャートの1位はいつもマイケル。ムーンウォークが決定打!
そして、発売から3ヶ月が経とうとしていた2月下旬、遂に『スリラー』はアルバムチャートのトップに躍り出る。すると翌週、今度は「ビリー・ジーン」がシングルチャートのトップに立った。そして、7週間その座を守ると、入れ替わるようにして(実際は1週だけ間を置いて)「今夜はビート・イット」が3週連続で1位になった。
この時期、ヒットチャートの1位はいつもマイケル・ジャクソンで、それが当たり前のことのように思えた。勢いは誰にも止められなかった。
そして5月、僕らは目を疑う出来事に遭遇する。『モータウン25周年記念コンサート』において、マイケルが初めてムーンウォークを披露したのだ。その模様がテレビで放送されると、これが決定打となった。
あのときの驚き、新鮮さ、すごいものを見てしまったという興奮、誰かに話さずにはいられない衝動、そんな感情がいっぺんに僕を襲った。あの瞬間、新しい時代の扉が開いたのだと今でも思っている。
「スリラー」前と「スリラー」後。マイケルを取り巻く環境の変化
その後も『スリラー』は売れつづけた。僕は中学2年になり、1学期が終わって夏休みに入っても、『スリラー』は1位のままだった。曲も次々とシングルカットされ、ヒットチャートを賑わせた。ただ、どの曲も1位にはならなかった。それはミュージックビデオを作らなかったせいかもしれない。
『スリラー』からは全9曲のうち7曲がシングルカットされたが、ミュージックビデオが作られたのは「ビリー・ジーン」、「今夜はビート・イット」、そしてラストの「スリラー」の3本だけというのは、今となってみれば意外な気がする。
マイケル・ジャクソンが再びシングルチャートのトップに立ったのは12月、ポール・マッカートニーとの1年振りのデュエット曲「セイ・セイ・セイ」でだった。これも不思議な巡り合わせだと思う。わずか1年でマイケルを取り巻く環境は大きく様変わりしていた。
このヒットに合わせるかのように、『スリラー』は再びアルバムチャートのトップに返り咲くと、翌年4月までその座を明け渡さなかった。ちなみに、「セイ・セイ・セイ」を収録したポールのアルバム『パイプス・オブ・ピース』はトップテン入りを逃し、明暗が分かれる結果となった。
グラミー賞で史上最多の8部門を受賞!
1984年1月、タイトルチューンの「スリラー」が満を持してシングルカットされた。惜しくもナンバーワンは逃したが、マイケルが特殊メイクでゾンビになるミュージックビデオは大きな話題となった。そして2月、グラミー賞で史上最多の8部門を受賞。これをもって長くつづいた『スリラー』狂想曲は、華やかに幕を閉じた。
言うまでもないが、『スリラー』は歴史に残る作品だ。その音楽、マイケルのパフォーマンスが、後のシーンに与えた影響は計り知れない。それだけに、セールスの巨大さばかりに注目するのはフェアじゃないことくらい、僕もわかっている。とはいえ、こうして改めて振り返ってみたとき、中学1年の終わりに1位だったアルバムが中学3年のはじめにも1位だったことに、やっぱり驚いてしまうのだ。あれは一体なんだったのだろうと。
音楽を熱心に聴き始めた入口でこのアルバムと出会ったことが、僕にとってどのような意味をもつのか? 今度ゆっくり考えてみたいと思う。
※2017年12月3日、2020年11月30日に掲載された記事のタイトルと見出しを変更
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2022.11.26