12月5日

横浜銀蝿の解散とチェッカーズの登場、ツッパリが終わって新しい風が吹いた!

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ヤンキーは危険と隣り合わせ? それともコミカル?


ヤンキー a.k.a ツッパリ―― 不良少年の総称がツッパリからヤンキーに移行したのは厳密にいつからだったか… という話は置いておいて、僕個人がヤンキーという言葉を強烈に意識したのは、1998年にリリースされたブランキー・ジェット・シティの7枚目のオリジナルアルバムにして最高傑作『ロメオの心臓』に収録されている「ぼくはヤンキー」だ。

 パパママごめんね ぼくはヤンキー
 さらさら流れる小川みたいさ
 パパママごめんね 僕はヤンキー
 まったく可愛い夕焼けだぜ
 パパママごめんね 僕はヤンキー
 泥だらけのハイエナが歩く

全くもって平易なリリックだが、言葉の組み合わせを注視すると極めて文学的に感じた。ドラムのループやウッドベースを導入した革新的かつ、時代が世紀末に向かう最中の終末観を体現したアルバム。その作風に準じ、90年代の不良カルチャーの代表格であるチーマーたちが携えていたバタフライナイフを肌にこすりあてたようなヒリヒリとした緊張感。この曲を聴くたびに思う。ヤンキーはいつでも危険と隣り合わせなのだと。

しかし、世間で語られるヤンキーはこれに相反し、常にコミカルな印象がまとわりつく。それは “ツッパリ” と呼ばれていた時代からの踏襲であり、これをイメージさせる多くの楽曲が80年代のヒットチャートを賑わせることになる。

その代表的な作品が、1981年1月21日にリリースされた横浜銀蝿のセカンドシングル「ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編)」である。ドカン、ヨーラン、赤テープといった当時のツッパリたちのスラングを織り交ぜた疾走感のあるロックンロールは、マイノリティであったツッパリ少年少女のみならず、全国を席捲しオリコン最高2位を記録する。

横浜銀蝿が影響を受けたダウン・タウン・ブギウギ・バンド


1979年に結成された横浜銀蝿が、70年代の不良少年、暴走族に愛されたキャロル、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドに強い影響を受けていることは、彼らの音楽性から鑑みても一目瞭然だ。が、彼らのヒットの要因は、なんと言ってもダウン・タウン・ブギウギ・バンドから踏襲した言葉遊びだったことに他ならない。

1974年にリリースされた「スモーキン・ブギ」では、「♪ 目覚めの一プク 食後の一プク 授業をサボって 喫茶店で一プク…」と歌い、続いてリリースされた「カッコマン・ブギ」では「♪ 銀座・原宿・六本木 バギートップにヒップボーン カッコマンになりたくて カッコマンになりきれない…」と歌う。

不良少年にとって当たり前の日常、当時の世相をコミカルに映し出す。70年代にヒットを飛ばしたツッパリの先人も、どこまで本気か分からないけれど、笑いとばすことにより不良少年たちの生き様を大衆にアピールし、市民権を得ていったのだった。

このコミカルさとは視点を変え、横浜銀蝿は、ドカンに革ジャン、リーゼントというドメスティックな不良スタイルで多くの信奉者を生んでいった。アフロパーマをかけて、サイドの部分だけグリースを塗りたくるリーゼントや、袴のようにぶっといドカンは、今の若い人たちからすると、「これ、みんな本気でカッコいいと思っていたんですか?」という疑問が沸くようだが、当時の僕らはみんな本気でカッコいいと思っていた。

ヒットチャートに大きな影響を及ぼしたツッパリブーム


今考えてみると、当時のツッパリのマストアイテムだったレディース物のサンダルをつっかける姿も、熱湯をかけてつぶしたノート一冊入るか分からない薄っぺらい学生カバンも、非常にコミカルだ。それでも当時は、みんなカッコいいと思ってやっていたわけだ。そう、ツッパリのコミカルさというものは世間一般の認識であって、当のツッパリ本人たちは、本気でこのような歌詞の世界観に共鳴していったのだと思う。

“見栄の美学” と言わんばかりの、こだわったファッションやケンカ、バイクでの暴走に明け暮れた日常からすると、コミカルなんてものは表層的な部分でしかない。しかし、このコミカルさがあってこそ、横浜銀蝿の後も、なめ猫ブームや、アラジンの「完全無欠のロックンローラー」、ビートたけし主演ドラマ『刑事ヨロシク』に登場し1983年に「やめてクレ…ROCK’N ROLL!」でデビューを果たすミッキーなど、ツッパリたちが続々と登場し世間に浸透していった。

こうした世間一般と当事者たちとの捉え方の異なる二重構造で、ツッパリブームはヒットチャートにも大きく影響を及ぼしていった。1982年のオリコンランキングを振り返ってみると、横浜銀蝿のギタリスト、Johnny のソロデビュー作「ジェームス・ディーンのように」が年間売上約50万枚で16位にチャートイン。同じく彼らの弟分としてデビューした嶋大輔最大のヒットとなった「男の勲章」は、37万枚の売り上げで25位にチャートインしている。

個性豊かな銀蠅一家! 島大輔、紅麗威甦、杉本哲太、岩井小百合…


周知の通り横浜銀蝿は、1983年の大晦日にわずか3年の活動期間をもって解散してしまうのだが、それ以降も銀蝿一家は継続し、幅広い層をターゲットにした個性豊かなタレントを輩出していったことは特筆すべき点である。

銀蝿一家には、先述の嶋大輔、現在俳優として活躍中の杉本哲太を擁した紅麗威甦(グリース)に始まり、1983年に、嶋大輔、杉本哲太+1としてデビューした矢吹薫、妹分だった岩井小百合、同じく妹分リーゼントのスケ番、麗灑(りさ)、ヘヴィメタル寄りだった BLACK SATAN(ブラックサタン)…といった顔ぶれが揃う。

また、銀蝿解散後の1984年にもその魂は継承されていた。リーダー嵐のプロデュース、ダーティでワイルドなロックンロールを得意とした WALTHER(ワルサー)がデビュー。同年には、銀蝿一家子役部門としてユタカと名乗る小学生が「今日もいのこりR&R」という楽曲をリリース。小学生までも一家に取り込んでいったことだ。また外タレ部門としては ROSEY ROLLY という白人女性シンガーが「TSUPPARI HIGH SCHOOL ROCK’N ROLL U.S.A.」という「ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編)」の英語バージョンのシングルをリリースしている。

この銀蝿一家のスタイルは、現在、EXILE が EXILE TRIBE FAMILY として継承し、今を生きるヤンキー少年の魂に火をつけるような精力的な展開をしているが、銀蝿一家ほど細分化され個性豊かなキャラクターは輩出してはいないだろう。

残念ながら、横浜銀蝿解散以降において、“銀蝿一家、お茶の間を席捲!”…とまではいかなかった。それでも、一家の百花繚乱ぶりを俯瞰してみると、音楽シーンだけでなく芸能界にまで及ぼした影響力は決して小さくはないはずだ。

大きな節目だった1983年、銀蠅の解散とチェッカーズのデビュー


そして銀蝿の解散は、そのままツッパリカルチャーの終焉を意味していた。それは、リーゼントに革ジャンという彼らに変わり、時代はキュートでファッショナブル、そしてポップさを兼ね備えた衝動に駆られる。そう。ザ・チェッカーズの登場だ。横浜銀蝿解散の約3か月前、1983年9月、チェッカーズはチェッカーズは「ギザギザハートの子守歌」でデビューを果たす。まさに日本の音楽シーンの新旧交代、大きな岐路だったと改めて思う。

もしチェッカーズが、彼らの総合プロデューサーとして、髪型、衣装などすべてのコンセプトづくりに携わった秋山道夫氏と出会わなかったらどうなっていただろう。もしチェッカーズが、アマチュア時代と同じくリーゼントスタイルで甘く切ないドゥーワップを得意とする硬派なバンドだったらどうなっていただろうか。きっと、彼ら自身のその後だけでなく、日本の音楽シーン全体は、今とは全く別の流れになっていたに間違いない。そしてツッパリカルチャーは、その後も継承されたのだろうか……。

歴史に “もし” はあり得ないが、興味は尽きない。それだけ、チェッカーズの登場は衝撃的であり、横浜銀蝿が日本の音楽シーンに与えた影響も大きかったのだ。

2020.06.05
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