史上最強の3人組女性アイドルとして芸能史に燦然と輝くキャンディーズ。3人のキュートなルックスと声の調和性、グループとしての団結力、楽曲の素晴らしさ、引き際の美学などなどなど... 魅力的な要素を語りだしたらキリがない。
バラエティー番組への適応力が群を抜いていたのは、彼女たちが所属していた渡辺プロダクションが自社のユニット番組として『ザ・ヒットパレード』(1959年〜 / フジテレビ系)や『シャボン玉ホリデー』(1961年〜 / 日本テレビ系)を制作してきた歴史が背景にある。
『シャボン玉ホリデー』がザ・ピーナッツやハナ肇とクレージーキャッツを中心とした番組であったように、キャンディーズは『8時だョ!全員集合』(1969年〜 / TBS系)や『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』(1976年〜 / 現:テレビ朝日系)で腕を磨いた。前者ではザ・ドリフターズ、後者では伊東四朗、小松政夫とのコントが見ものだった。キャンディーズというと、どうしても解散前後の話題が多くなりがちだが、まずはデビューに至るまでと瑞々しい初期アイドル時代の話を少々。
スクールメイツの一員だったキャンディーズの3人
渡辺プロがスター発掘と新人育成のために設立した東京音楽学院の生徒から選出されたメンバー、スクールメイツは布施明や森進一といったスターを輩出していた。そこで出会ったのが、伊藤蘭、藤村美樹、田中好子の3人である。同じ頃、後にソロデビューする太田裕美もスクールメイツの一員であったことはわりと知られているだろう。その4人がレコーディングに参加した「愛するハーモニー」(1972年)はテイチクからシングル発売され、ジャケットの写真にもそれぞれの姿を確認出来る。
1972年4月にスタートしたNHK『歌のグランドショー』(第2シリーズ)のオーディションでマスコットガールに選ばれた3人。番組出演にあたってユニット名を考えるも難航する中、プロデューサーの矢島敦美氏が提案したのが “キャンディーズ” だった。食べちゃいたいほど可愛いという意味合いだったというが、やはりスクールメイツ出身の渡辺プロの先輩で4人組アイドルグループ “ザ・シュークリーム” がいたことを鑑みても、食べもの繋がりの案外いいネーミングであったと思われる。
その年の『第23回NHK紅白歌合戦』にはキャンディーズとしてスクールメイツのメンバーと一緒にダンスをしたり、橋幸夫のバックコーラスを務めたりもしている。『歌のグランドショー』のアシスタントを務めながらダンスや歌の現場も多くなっていった3人は、1973年4月から『8時だョ!全員集合』のアシスタントにも抜擢される。次第にグループとしての意識が芽生えてゆき、歌手デビューを目指すようになる。
メインボーカルが伊藤蘭にバトンタッチされた「年下の男の子」でブレイク

そんな彼女たちを見初めた渡辺音楽出版のディレクターで元アウトキャストのメンバー、松崎澄夫氏が自ら担当を志願して、CBS・ソニーからのデビューが決定する。レコード会社側のディレクターは天地真理を担当していた中曽根皓二氏であった。デビュー曲となる「あなたに夢中」は1973年9月1日リリース。作詞:山上路夫、作曲:森田公一は天地真理に「虹をわたって」や「恋する夏の日」を提供していたコンビ。アレンジの竜崎孝路も天地の「ふたりの日曜日」や「若葉のささやき」を手がけていた。
スタッフの顔ぶれが一緒だったこともあり、大事なデビュー曲がトップアイドルの座にあった天地真理の陣営に委ねられたことは大きかった。「あなたに夢中」は実に初々しく魅力的なアイドルポップスで最高の出来映えである。同路線の第2弾「そよ風のくちづけ」、安井かずみの歌詞でグルーヴィーな曲調の第3弾「危い土曜日」、そしてやはり元アウトキャストの穂口雄右が初めて作曲に起用された哀愁篇「なみだの季節」と、いずれもセンターポジションを務めたスーこと田中好子の鼻にかかった甘いボーカルがサビで炸裂する傑作群だが、なぜかレコード売上げは今ひとつ上位まで行き着かなかった。

そこで、5枚目の「年下の男の子」の登場となる。メインボーカルがランこと伊藤蘭にバトンタッチされたタイミングで遂に大きなヒットとなってブレイクに至るわけだが、このことでグループ内のパワーバランスが崩れたりすることはなかったと、後に伊藤蘭も述懐している。コンサートでは均等にリードボーカルをとっていたし、実際には最も音楽的センスに長けていたミキこと藤村美樹がボーカルの要であったことから、彼女たちにとっては誰がセンターをとるかはさしたる問題ではなかった。
むしろメインを支えながらコーラスを重ねる方が気持ちもラクで楽しかったとは伊藤の弁。グループ内でライバル関係になることなどなく、むしろ結束を固めていったのはファンの目にも明らかであった。ヘアメイクも自分たちで行い、衣装もそれぞれ個人で管理していたという、あの時代ならではの同士感覚であり、3人の間には固い絆が生まれていた。
「年下の男の子」で初のトップテン入りを果たしたことで穂口作品が続き、5作ぶりに森田公一が提供したシングル「ハートのエースが出てこない」もヒット。そして穂口の作詞・作曲でアルバムからシングルカットされた「春一番」の大ヒットで人気を不動のものとする。

しかし、1976年8月にデビューしたピンク・レディーのライバルと称されて切磋琢磨する中で突然の解散宣言。人気絶頂期の解散となったわけだが、結成時に “3年間は頑張ろう" と誓い合っていた彼女たちにとってはとっくにタイムオーバーで必然的な帰結だったといえる。1978年4月4日に今は無き後楽園球場で開催された解散コンサートはもはや伝説と化している。
僅か4年半の間にシングル18枚、スタジオアルバム11作をリリース。猛烈に忙しいスケジュールの中で、オリジナルアルバムを年2枚のペースで作り続けられたことは称賛に値する。どのアルバムも優れた内容だが、これからキャンディーズを本格的に聴き込もうと思っている方が居られたら、ぜひとも3人がまだ10代だった初期のアルバムから聴いてみていただきたい。
公式YouTubeチャンネル「CANDIES Offcial Channel」から、オススメの5曲
といったわけで、2023年にスタートしたキャンディーズの公式YouTubeチャンネル『CANDIES Offcial Channel』から、はじめてキャンディーズを体験する方々へ向けてのオススメの5曲を選ばせていただく。もちろん長年のファンにとっても目を離せなくなる映像ばかり。まずは記念すべきデビュー曲の「あなたに夢中」から。2分7秒のワンハーフバージョン。ここでは、レコードとはひと味違う別テイクのボーカルが堪能出来る。語尾の伸ばしかたの微妙な違いなどを聴きくらべてみるのも一興。初々しすぎる!
パーカッションの音が響き渡る「危い土曜日」は1974年7月にTBS『アタック真理ちゃん』にゲスト出演した際のもの。大型フェリー、さんふらわあの船上で歌われている。竜崎孝路によるアレンジがとにかくカッコいい。シングルの中でも再評価の声著しい1曲だ。
「年下の男の子」はTBS系バラエティ番組『笑って!笑って!!60分』1975年5月放送分より。レコードより少し抑え目な伊藤のボーカルがたまらない。振り付けの可愛らしさも完璧で、売れるべくして売れた曲だったことを実感させられる。作曲の穂口がメインライターに定着する試金石となった。
この調子で選んでいたらとても5曲では足らないので、ここで少し大人になったキャンディーズを。1977年7月放送のテレビ朝日『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』から、MMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)をバックに歌う「暑中お見舞い申し上げます」。「およげ!たいやきくん」の佐瀬寿一が作曲したアイドルソング史上屈指の夏うたである。昭和のいたいけな少年だった我々は伊藤の放つ「♪ウウッウン!」にたちまちノックアウトされたものだったが、令和の若い男性諸氏はいかがであろうか。
最後は『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』の同名テーマ曲を。既に解散が決まっていた時期、1977年11月に千葉県文化会館でのコンサートで披露された貴重なパフォーマンスである。作詞:田村隆、作曲:渡辺茂樹、編曲:森岡賢一郎の布陣。
『CANDIES Offcial Channel』ではこれからも貴重な映像が続々とアップされていくことが期待される。これまでキャンディーズの実演を見聴きする機会がなかった若い世代の方々にも時代の空気とともにその魅力を堪能していただきたい。そこで新たなファンになったとしたら、再びステージに返り咲いた伊藤蘭のライブへ足を運ぶことも今なら可能なのだ。なんという幸せ!
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2026.01.13