1975年 2月25日

日本人が体感したクイーン名曲ランキング!9月5日はフレディ・マーキュリーの誕生日

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クイーンのシングル「キラー・クイーン」が日本でリリースされた日
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日本でのクイーン人気、誰もが名を知る“洋楽ロックグループ”


2022年9月、クイーンのリードボーカルだったフレディ・マーキュリーが76回目の誕生日を迎えた。もちろん生きていたら… という話で、周知のとおりフレディは1991年45歳の若さで亡くなっている。世界を駆け巡ったあの衝撃的な悲報から30年以上の歳月が経過した…。

クイーンというのは実に不思議なグループで、デビューからおよそ50年、フレディの死からおよそ30年が経過した2020年代においても、現役バンド感を伴いながら老若男女から厚い支持を得続けている。1970年代中盤から1980年代にかけて世界を席巻したクイーンは、フレディ・マーキュリーの早い死、『ウェインズ・ワールド』による「ボヘミアン・ラプソディ」のリバイバルヒット(1992年)、ポール・ロジャース / アダム・ランバートを加入させたワールドツアー、そして記憶に新しい映画『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年)の世界的ヒット… これらを経過して、今現在カリスマ性を伴った伝説的グループのひとつとして君臨する。

こと日本において誰もが名を知る “洋楽ロックグループ” として、ビートルズやローリング・ストーンズにも並ぶ立ち位置を確保しているのではないだろうか。そう、日本でのクイーン人気は、実に特異なものだと言えよう。

1975年には初来日武道館公演!


そもそも本国イギリスではそこそこ人気があったものの、まだ世界的ヒットを放っていないころ(1973年のデビューから1974年にかけて)から、日本での黄色い歓声人気は高いものがあった。ロジャー・テイラーの美青年っぷりを筆頭に、ルックス先行人気という側面も否定はできないが、後のチープ・トリックやデュラン・デュランに先駆けて、“米国(=世界)ブレイク前から日本で人気を獲得した洋楽ロックバンド” の先駆者的存在だったのだ。

1975年に入りようやく「キラー・クイーン」が米国初ヒットとなったころ、なんと日本では(ほぼほぼ女性からの支持によって)初来日が実現、なんと武道館ライブを敢行している(1975年4月)。「ボヘミアン・ラプソディ」ヒットのおよそ1年前というのが、あらためて振り返れば驚きとしか言いようがない。翌1976年「ボヘミアン・ラプソディ」が世界的ヒットとなり、広く一般層にクイーンの名が知れ渡り、日本でも男性を巻き込んでの若者層からの人気は盤石となった。

1970年代から1980年代にかけて、クイーンのヒットソングはとにかく多い。特に3枚目のアルバム『シアー・ハート・アタック』(1974年)以降、ヒットの1曲1曲毎に多彩な表情を加えており、それらに夢中になった若者たちはそれぞれが“思い入れのクイーン像”を、大なり小なりで抱いていたと思う。海外でのヒット度合いとは別次元で、“オレのヒット、私のヒット” を心の中に秘めていた。ホント日本でのクイーン人気は、不思議な根強さを持っているものだ。

ではそんなクイーン関連の、日本における人気ヒットソングのベスト10を挙げてみたい。基本シングル楽曲を中心に、もちろん英米でのヒット規模は無関係に、ここ30~50年間における日本でのヒット体感を基盤にした10曲… したがって “あの曲が入っていない、この曲が選ばれていない” というクレームは一切受け付けませんのであしからず。( )内は、ヒット年、及び米ビルボード「Hot 100」あるいは全英シングル・チャート順位となる。

第10位:バック・チャット




デヴィッド・ボウイと共演した「アンダー・プレッシャー」収録アルバム『ホット・スペース』より。ファンク / ソウル色を濃くした賛否両論のアルバムながら、まだシングルヒットは連発していた時代の作品。「ファン・イット」(アルバム『ジャズ』)、「地獄に道づれ」に続くファンキー・ダンス・ミュージック。翌1983年田原俊彦「シャワーな気分」(作曲:筒美京平)のインスパイア元として、当時話題になった。(1982年 英40位)

第9位:炎のロックンロール(Keep Yourself Alive)


初アルバム『戦慄の王女(Queen)』(1973年)に収録、記念すべきデビューシングル。ハードロックを基盤として、劇場的で煽情的なグラム / プログレッシヴロックを纏った粗削りな勢いをそのままパッケージしたような作品。英米では全くヒットしていないが、結果としてただただかっこいい、デビューに相応しい楽曲だったのではないか。1990年代以降何度か日本のTVCMでも使用されている。(1973年)

第8位:誘惑のロックン・ロール(Now I’m Here)




初期クイーンがハードロックバンドであったことが明確にわかる典型的シングル。レッド・ツェッペリン的な「グレイト・キング・ラット」、後の『華麗なるレース』からの「タイ・ユア・マザー・ダウン」、『世界に捧ぐ』からの「シアー・ハート・アタック」に置き換えてもいいか。初来日近辺で日英独自のヒットシングル化した作品であると同時に、『オペラ座の夜』で確立されたオペラティックかつ劇場的で大仰な中期クイーン・サウンドが堪能できる。(1975年 英11位)

第7位:レディオ・ガ・ガ


アルバム『ワークス(The Works)』より。アメリカでは中ヒットだったが欧州各国では軒並みトップ3に入る大ヒットを記録した作品。キャッチーなタイトルも相まって、日本でも数年ぶりにお茶の間ヒットとなった感のあるシングル。映画『メトロポリス』の映像を使用したMVも印象的だったが、翌1985年の『ライヴ・エイド』にて最新ヒットを歌うクイーンの面々はもっと印象的だった。(1984年 米16位 / 英2位)

第6位:ドント・ストップ・ミー・ナウ


名盤アルバム『ジャズ(Jazz)』(1978年)に収録、「バイシクル・レース」に続いてリリースされたシングル。前作『世界に捧ぐ』からのメガヒット「伝説のチャンピオン」と比すれば、大きなヒットは輩出されなかった『ジャズ』だが、「バイシクル・レース」のB面「ファット・ボトムド・ガール」やその次のシングル「ムスターファ」等含め、新境地を垣間見られる魅力的な作品集だった。当作は当時のヒット感よりは、90年代以降の継続使用によって今やクイーンの代表曲にも挙げられる。(1979年 米86位 / 英9位)

第5位:ウィ・ウィル・ロック・ユー




問答無用、今や「ボヘミアン・ラプソディ」と並んで、クイーンを語る際に必ず挙げられる代表曲。当初は1977年にリリースされた「伝説のチャンピオン」のB面だったが、特にアメリカでラジオオンエアが激増し、AB両面ヒットとなった。というより人心を鼓舞する力強い曲調ということで、1980年代以降スポーツシーンで使用されはじめ、世界的に独り歩きしたようなアンセム化した楽曲。そういう意味では、実に特殊な背景を持ったヒットソングだ。アルバム『世界に捧ぐ(News Of The World)』収録。(1978年)

第4位:手をとりあって(Teo Toriatte(Let Us Cling Together)


アルバム『華麗なるレース(A Day At The Races)』(1976年)に収録、サビ部分が日本語で歌われ、日本独自のシングルとしてリリースされた作品。英米でヒットを連発する海外アーティストが日本語で歌うというのは、えてして失敗例の方が多いのだが、クイーンの場合(世界的人気絶頂期であったにも関わらず)まったくイメージダウンにはならなかった。米より先に日本でブレイクしたという経緯、フレディを筆頭にメンバーたちが親日家といった背景が、ごく自然に日本のファンに受け入れられたようだ。そもそも原題が「Teo Toriatte」なのだから。(1977年)

第3位:ボヘミアン・ラプソディ




説明不要、もはやクイーンと言えばのこの1曲。「キラー・クイーン」、「誘惑のロックンロール」のヒットで、認知度の上がった新進ロックバンドが、満を持して投下した自信作。一介のハードロックバンドが(…というわけでもないが)、ワン・アンド・オンリーな “クイーン・サウンド” を確立したアルバム『オペラ座の夜(A Night At The Opera)』(1975年)に収録した、狼煙のような名刺代わりとなった逸品。1976年と1992年、さらにいえば映画『ボヘミアン・ラプソディ』時の2018年と、3度にわたってメガ・ヒットを記録した。(1976年 米9位 / 英1位、1992年 米2位 / 英1位)

第2位:ボーン・トゥ・ラヴ・ユー(I Was Born To Love You)




フレディ・マーキュリーのソロアルバム『Mr.バッド・ガイ』(1985年)より。アメリカでは不発だったフレディ・ソロだったが、日英ではヒットシングルに。当時日本ではノエビアのTVCMで使用された。フレディの死後作成されたアルバム『メイド・イン・ヘヴン』(1995年)には新たなグループバージョンが収録、以降日本では多くのCM/ドラマ等で本曲が使用されているが、基本的にはこのクイーン版が充当されている。(1985年 米76位 / 英11位)

第1位:キラー・クイーン


世界進出への実質的キックオフとなった、メンバーたちにとってもファンにとっても一生忘れられないヒットシングル。当時の洋楽系ラジオチャート番組に軒並みチャートイン、この曲でクイーンの名が頭に刻まれたという人が続出したエポックメイキングな作品。数年後(1979~1980年)に空前のブームとなった漫画『がんばれタブチくん』を彷彿とさせる “がんば~れ、タブチ!” のソラミミ元になったことも、日本での認知度増幅の一助なったのかもしれない。(1975年 米12位 / 英2位)

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2022.09.05
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カタリベ
1962年生まれ
KARL南澤
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