「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」に魅了された山口百恵
宇崎竜童率いるダウン・タウン・ブギウギ・バンドの名前を一気に知らしめたのは、1973年に「知らず知らずのうちに」でデビュー後、3枚目のシングルとして1974年末に出された「スモーキン・ブギ」だった。もともとはカップリングの「恋のかけら」がA面だったが、ちょっとコミカルな味付けがされたB面曲が脚光を浴びてAB面がひっくり返る。
続く1975年に出されたシングルが「カッコマン・ブギ」で、そのカップリングとなったのが彼らの人気を決定的なものとした大ヒット曲「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」である。この曲に魅了されたのが、当時デビュー3年目、横須賀育ちのアイドル・山口百恵であった。「ひと夏の経験」や「夏ひらく青春」などをヒットさせていた頃。思春期の少女の危うさが描かれた “青い性路線” で人気が拡大していたが、感受性豊かな時期の少女にとっては抵抗心もあったことだろう。
ターニングポイントといえる「横須賀ストーリー」
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのアルバムも聴いていた彼女は、宇崎竜童の曲をすっかり気に入り、この人に曲を書いてもらえないかと思うようになる。ある日意を決し、珍しくスタッフに申し出たところ、幸運にも実現する運びとなった。1976年4月に発表されたアルバム『17才のテーマ』には、阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲による「木洩れ日」「碧色の瞳」「幸福の実感」の3曲を収録。追って6月にリリースされたシングルが「横須賀ストーリー」であった。
山口百恵の出身地である横須賀を舞台に、強い意思を持った女性像が描かれた作品はそのまま百恵自身のイメージに重なる。それまでの最大ヒットとなったこの「横須賀ストーリー」以降、阿木・宇崎夫妻によるシングル提供は12作品にのぼり、山口百恵の歌世界の核となってゆく。その影響もあって、この年はプロマイドの年間売上げで1位にも輝いた。正にターニングポイントといえる重要な作品である。

メロディアスな傑作として支持されている「夢先案内人」
1977年4月に出された17枚目のシングル「夢先案内人」も夫妻の作品。翳りのあった「横須賀ストーリー」とは一転して多幸感に満ちた優雅なメロディーで4作目のチャート1位獲得曲となった。20歳を迎え、大人っぽいバラードソングも増えてきた中で登場した作品であり、彼女のレパートリーの中でも群を抜いてメロディアスな傑作として支持されている。第6回『東京音楽祭』世界大会の銅賞受賞曲であり、後に中森明菜が『スター誕生!』に出場した際に歌って合格に導かれた曲でもある。
次のシングルとなった「イミテイション・ゴールド」は、映画の1シーンを思わせるような導入から徐々に激しさを増してゆくメロディーが圧巻で、阿木燿子の歌詞との融合ぶりも秀でている。2003年には倉木麻衣がB`zの松本孝弘のソロプロジェクトとしてカバーし、時代を超えて色褪せない作品の魅力を改めて証明した。
さだまさしが提供した「秋桜」、ドラマ主題歌の「赤い絆」を間に挟み、1978年2月のシングル「乙女座 宮」はまた阿木燿子 × 宇崎竜童の作品となる。「秋桜」の評判がよかったことで、宇崎はもう自分たちの作品提供の機会は終わってしまうのかと危惧したそうだが、そんなはずはなかった。乙女座をはじめ蟹座、獅子座など星占いに登場する星座の名称が歌詞に織り込まれたファンタジックな雰囲気で、同系列の「夢先案内人」に勝るとも劣らない傑作が生まれた。サビのコーラス部分はビートルズの「ガール」がヒントにされたという。
芯の強い女性像が頂点を極めた「プレイバック Part2」
続いて1978年5月にリリースされたシングルが、これまた大きなヒットで代表作のひとつとなる「プレイバック Part2」。「横須賀ストーリー」以来、阿木燿子 × 宇崎竜童コンビが描いていた芯の強い女性像が頂点を極めた作品。途中で一瞬無音になり、再び演奏が再開されるパートの静寂の美が崇高である。"Part2" とは、もともと別の作家が手がけていた曲を宇崎が作り直したことに由来する。歌詞にある「♪真赤なポルシェ」が、NHKで歌われる際に「♪真赤なクルマ」とされたのは有名な話。
谷村新司による「いい日旅立ち」をヒットさせた後、三浦友和との婚約発表のちょうど1年前、1979年3月にリリースされたシングル「美・サイレント」は、サビで口パクになる箇所が何と言っているのかが話題となった。「イミテイション・ゴールド」や「プレイバック Part2」の流れに属し、少々気気だるさを感じさせる中に、力強く凛々しい歌声が際立っている。件の口パク箇所は『ザ・ベストテン』で種明かしされ、"情熱"、"ときめき" と説明された。間奏で印象に残るアコースティックギターは、元・愛奴の青山徹によるもの。
宇崎のロック魂が炸裂した傑作「ロックンロール・ウィドウ」を経て、引退記念作となった「さよならの向う側」は1980年8月リリース。現役時代のラストシングルとなる。7年余の歌手活動の最後を飾るに相応しい壮大なバラードも阿木燿子 × 宇崎竜童夫妻によって紡ぎ出された。1980年10月5日、日本武道館で開催されたファイナルコンサートでも最後の挨拶の後で涙ながらに歌われている。歌い終わって深々とお辞儀をした彼女はステージ上へ静かにマイクを置いて、華やかな舞台から去っていった。山口百恵が伝説から神話になった瞬間であった。
以後、一切復帰することなく現在に至ることで、歌手・山口百恵はますます神格化されているわけだが、その遺伝子をしっかりと受け継いだ長男の三浦祐太朗が作品の数々を見事に歌い継ぎ、魂の籠った歌唱を聴かせてくれていることは素晴らしい。そして阿木燿子、宇崎竜童もしっかり現役として活躍を続け、最近では2人でステージに立つ機会も見受けられる。
▶ 宇崎竜童のコラム一覧はこちら!
2026.02.21