私にとって『ハイ・ファイ・セット』というグループは特別な存在である。
1975年にシングル「卒業写真」でデビュー。洗練された美しいコーラス。「フィーリング」「冷たい雨」「風の街」「素直になりたい」などで知られる3人グループ。フォークグループで最も成功したと言われる『赤い鳥』で活動していた山本俊彦、山本潤子(旧姓・新居)、大川茂らが結成。
まず、彼らを語るには、グループの前身である赤い鳥から始めなければならない。
1969年の10月、赤い鳥は「ライト・ミュージック・コンテスト」(ヤマハ・ポピュラー・ソング・コンテストの前身)の全国大会で、オフコースを抑えてグランプリを獲得。当時、オフコースは東北地区代表として出場していて、本番前の練習で互いに凄いグループがいるものだと意識し合っていたそうである(「赤い鳥物語」ライナーノーツより)。
両親が好んで赤い鳥を聴いていたので、私は「竹田の子守唄」「誰が鳥を」などを聴いて育った。幼い私の心の奥深く刻まれたのは優しいアコースティックギターの響きと美しいコーラス。毎晩眠りにつくとき聴かされていたのは「明日に架ける橋」だった。サイモン&ガーファンクルのオリジナルよりも先に赤い鳥のカヴァーを子守唄代わりに聴いていたのである。だから山本潤子さんの歌声は私にとっては母の子守唄のようなもの。赤い鳥が解散した時、私は小学生だったが、その後もずっと父がエアチェックしたカセットテープを聴くのが好きだった。誕生日に両親からプレゼントされた全集「赤い鳥物語」は今尚、私の手元にあり宝物となっている。
「翼をください」(1971年)はビートルズの「イエスタデイ」と並んで、合唱曲として記憶している人も多いはず。私は学校でこの曲を教師から指導され歌わされることがとても嫌だった。赤い鳥は誰にでも歌える心の歌を目指していて、私はそれを幼いながらに感じ取っていたのだろう。私にとってこの曲は人から強制されるものではなく、いつも身近にあってやさしく包んでくれるものであった。
赤い鳥の作品群は、子守唄や各地で伝承されている歌をベースにした日本的な楽曲と「翼をください」のようなポップでリズミカルな楽曲が同居している。それらは解散後に分裂したハイ・ファイ・セットと紙風船、各グループにそれぞれ引き継がれていく。そして、フォークソングの呪縛から解き放たれたハイ・ファイ・セットはファッショナブルでより充実したサウンドを追い求めることになる。「冷たい雨」「朝陽の中で微笑んで」など、若き日の松任谷由実(荒井由実)を巻き込んで、そのすぐ後にやってくる1980年代、ニューミュージックの扉を開くのである。 つづく
明日に架ける橋 / 赤い鳥
作詞・作曲:Paul Simon
発売日:1970年(昭和45年)10月5日
翼をください / 赤い鳥
作詞:山上路夫
作曲:村井邦彦
発売日:1971年(昭和46年)7月25日
卒業写真 / ハイ・ファイ・セット
作詞・作曲:荒井由実
編曲:服部克久
発売日:1975年(昭和50年)2月5日
2016.07.14
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