1981年にイギリスで刊行された『COOL CATS - 25 YEARS OF ROCK‘N’ROLL STYLE』の冒頭に近所の不良の先輩について書かれていた。近所の不良の先輩という存在が絶大な影響力を持っている事は、実際にそれを経験した人にしかわからない。
これが不思議な事に一つ上の先輩だとただ威張り散らしているだけで近寄りたくもないのだが、二つ以上離れていると完全に兄貴分となってくれるのでとても頼りになる。幸い、ティーンの頃、僕にもそういう先輩がいた。
出会いは強烈だった。ポンパドールリーゼントのガッシリした男。顔だけは知っていた。というよりその髪型を、そして反抗的な態度を。家が近所なのでほぼ毎日見かけてはいた。それもかなり頻繁に。通学の時、綾小路翔を更にボリュウミーにした頭を揺らしながら… 絶対関わってはいけないと一目で思う様な風体だった。
その時の僕は、原宿のガレッジパラダイスに行った同級生に買ってきてもらったクリームソーダの財布をケツポケットに突っ込み、胸ポケットには髑髏印のコームを差し、これ見よがしに粋がって歩いていた。自宅近くで幼馴染みも多く、安心していたのかも知れない。突然路地から現れた、ポンパドールにビビっていると先輩が言った。
「その櫛、クリームソーダ…」
どう反応して良いのかわからない。「ええ、そうです」とだけ言って、さりげなくかわそうと決意を固めていたのだがケツポケットに宝物の長財布を入れている。コームだけで済めば御の字だが宝物の財布まで取られたら危険を冒してまで買ってきてくれた親友に合わす顔がない。中身は全く入っていないにせよだ!
戦うか? 逃げるか? 戦っても絶対負ける。逃げても家がバレてるから待ち伏せされたら終わり。そんな想像を膨らませていると――
「ストレイキャッツ、知ってるか?」
ここからはお察しの通り、エルヴィスからザ・ロカッツ、そしてブラック・キャッツまで先輩のロカビリーレッスンがはじまった。これをきっかけに急速に打ち解け頻繁に先輩の家に行き、レコードを聴かせてもらったり、クリームソーダの服を見せてもらったり、『GORO』『スコラ』『PLAYBOY』といった禁断の雑誌を見せてもらったり…
そんなある土曜日の午後―― 学校が終わりクリームソーダの服に着替えると先輩の家まで行った。先輩はバカでかいラジカセ担いで単一電池を大量に家から持ち出す。そして、近所の遊亀公園まで大股で歩いていくのだった。田舎だったので人影もまばらだがすれ違う人は皆、二度見した。
ロカビリーな中学生は少なかったから皆振り返ったのかと思っていたが、当時は全国的に 50'sブームだったからリーゼントも坊主ロカビリーも一杯いた。だから、僕らも “One of ロカビリアン” だったはずで、皆が振り返ったのは先輩が放っていた強烈なオーラのせいだったんだろう。
公園に着くとザ・クラッシュのメンバーが抱えてたような巨大ラジカセを先輩はフルボリュームにしてかけた。踊り狂っていると憧れの和美ちゃんがコッチをみてクスクスと笑っている。呆れた感じと、ウケてる感じと、今まで全く気にならなかったというより存在さえ知らなかった僕の事を和美ちゃんが初めて認識した瞬間だった。あの時の彼女の顔は今でも忘れられない。そこから仲良くなって… みたいな漫画のような展開にはならなかったけれど…。
それからしばらくして、リーゼント先輩に会いに行くと血相を変えて「日本に凄いバンドがいる!」と、かなり興奮している。そのアルバム『HANDS UP』からは、ジャケを見ただけで傑作としか思えない雰囲気が漂っていた。それが、僕たちと THE MODS との出会いだった。1曲目の「KID WAS…」からぶっ飛んだ。
ロカビリーをこよなく愛していた先輩も THE MODS のスタイルや信条、演奏の虜になっていた。僕はと言えば、高校に入ってようやく THE MODS のライブを初体験する。それは、1986年11月17日に行われた初の武道館公演だった。
時は流れて―― 今、リーゼント先輩は地元の食品スーパーで働きながらハーレーダビッドソンを走らせている。このイカしたロカビリアンからは将来を左右する大切な事を学ばせてもらった。
先輩に感謝!
2019.03.06
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