関東ローカルの情報バラエティ番組「ぎんざNOW!」
「何故ロニーは小学生の時から洋楽アーティストのライブに行ってたの?」
―― と、たまに聞かれることがある。そしてこう応える。
「それは『ぎんざNOW!』という平日17時から30分生放送のテレビ番組を毎日学校から帰って観ていたから」
TBS系のこの番組、関東ローカルだったためか、残念ながら知らない人は知らない。それでも私の小学生時代、おそらく学校の8割の生徒が『ぎんざNOW!』を観ていたように思う。最初の『ぎんざNOW!』発のブームはフィンガー5。絶大な影響力があった。
『ぎんざNOW!』のメイン司会はせんだみつおで、曜日によって司会も特集も変わる。
たとえば「素人コメディアン道場」なるお笑いのオーディションコーナー。ちなみに、その初代チャンピオンはラビット関根(関根勤)だ。さらにいえば、後にこのコーナーから(小堺一幾や竹中直人、とんねるずなど…)沢山のスターが生まれる。おそらく当時一番話題のコーナーだった。
貴重な映像に釘付け、木曜日の「ポップティーンPOPS」
他にもいろいろあるが、なかでも私が一番楽しみにしていたのは木曜日の「ポップティーンPOPS」だ。
司会はサム(小清水勇)とミキ(水野三紀)。洋楽オンリーのベストテン番組で、当時は珍しいMVが流れる貴重な音楽番組だった。
家庭用ビデオもない時代、MVやインタビュー映像が流れる30分は真剣に見逃すまいと食い入るように観ていた。
クイーン、エアロスミス キッスをはじめ、BCR(ベイ・シティ・ローラーズ)、またそのファミリーのイアン・ミッチェルやパット・マッグリン、さらにバスター、フリントロック、ハローなど… いわゆる “アイドルロック” は毎週大人気だった。
ごく自然にクイーンやクールスが話題になる日常
そして木曜日の締めは「男のバイブル」という、清水健太郎が3分くらいティアドロップサングラスをかけながらあれこれ視聴者に語りかけるコーナーがあった。
「男たるもの色恋より友情を取れ!」とか、「弱い者は守る。それでこそ真の男!」みたいな格言で締めていた。
それが後に、このコーナーで、ある時から清水健太郎がギターを弾きながら「失恋レストラン」を歌うようになったのだ。
そして翌日の学校では早速、キッスの真似で舌出しながら眉間に皺寄せて「男たるものー」と清水健太郎気取りの男子達を横目で笑いながら「クイーンかっこいい!」「クールスのレコード買った!」と話す女子に溢れていた。
そう、ごく自然にクイーンやクールスが話題になる日常がそこにあった。
毎日17時からの生放送のため、通学に徒歩40分くらいかかる私は少しでも学校が遅くなると、よく他の子達と学校すぐ裏の淳子ちゃん宅にお邪魔して『ぎんざNOW!』を観た。
淳子ちゃん宅のお婆ちゃんは、夏には冷えた甘い麦茶と、すいかや梨、ところてんを出してくれた。夏は扇風機に当たりながら、冬には味噌田楽や磯部焼きを食べ炬燵に入りながら皆でBCRやABBAを大合唱。今でもBCRやABBAを聴くと淳子ちゃん宅の食べ物の記憶が蘇る。
お笑いだけじゃない! ロックにも力を注いだ情報番組
『ぎんざNOW!』は銀座三越の別館「銀座テレサ」と言う場所で放送されていた。
スタジオ観覧希望者は当日16時までに銀座テレサに並ぶ。上限250人だったはずで、淳子ちゃんと何回か15時に学校が終わってからそのまま最寄り駅に行き、銀座駅で降りて走って三越を目指して並んだ。長蛇の列を構成するのは殆どが制服で250人に達すると三越別館の屋上で待機、そして16時30分過ぎにスタジオに整理券順に入る。
30分の番組が終わると、今度はいわゆる “出待ち” をした。
ランナウェイズにサインを貰ったりブロンディと握手が出来たのは『ぎんざNOW!』のおかげである(
『ジョーン・ジェット、ランナウェイズの悩殺爆弾からアイ・ラヴ・ロックンロール!』参照)。
今思うと『ぎんざNOW!』は、かなりロック寄りな番組だった。
キャロル、クールス、ダウンタウン・ブギウギバンドなどをはじめ、ハリマオ、レイジー、銀星団 紫、以前コラムに書いたガールズ(
『元祖日本のガールズバンド、ガールズからのジューシィ・フルーツとピンナップス』を参照)、ローズマリー、チャコとヘルス・エンジェル、火曜日にコーナーを持っていた近田春男&ハルヲフォンやRCサクセション、そして番組後期にはサザンオールスターズが初出演するなど、かなりロックに力を入れていた印象だ。
京都のミック・ジャガー 山本翔にくびったけ
番組を通じて知った忘れがたいアーティストは沢山いるが、なかでも観覧で淳子ちゃんとハマったのが山本翔だった。
リーゼントやティアドロップのサングラスに革ジャンでド不良のロッカーが目立つ中、彼は白いハーレムパンツにベストで胸元にスカーフをして「デビル・ウーマン」を熱唱した。派手なマイクアクションにリズムを刻むダンス、京都のミック・ジャガーと呼ばれて愛称は「ミック」。
朧げな記憶だが、
「ミック・ジャガーに似てますね」
に対して、
「向こうが俺を意識してる」
… とサラッと応えてくれてびっくりした。
「サインが欲しいから出待ちしよう!」と言う淳子ちゃんの提案で、2人で出待ちした時に現れた山本翔はギラギラしたグラマラスなオーラを纏い、すぐに黒山の人だかりに。周りを綺麗なモデル風の女性達に囲まれて私達は全く近づけない。淳子ちゃんが警備員に押さえられて泣きそうになっているのを横目に、私は大声で去って行く彼に呼びかけた。
「ミックさん! 京都のミックさん!」
彼は足を止め、くわえ煙草でこちらを振り返り微笑む。淳子ちゃんがいつも携帯してるサイン帳とペンを見せたらすぐにサインをして去って行った。
山本翔からは凄く良い香りがした。その残り香は彼のサインしたページからも漂い、帰りの電車の中で2人でずっと興奮しながら匂いを嗅いで「カッコ良かったねー!」とはしゃいでいた。
リーゼントに革ジャンの不良と違う… ある意味、“プロの不良の匂い” を嗅いだのは彼が初めてだったと思う。
佐野元春につないだストリートロッカーのバトン
EPICソニーの第一弾アーティスト “ストリートロッカー” として大々的にデビューし、数枚アルバムをリリース。奇しくも山本翔のエピック最後のアルバム『Melting Pot』と同じ日に発売された佐野元春のデビューアルバム『Back To The Street』で山本翔はコーラスで参加している。
まるでストリートロッカーのバトンをつなぐかのように… その後、山本翔はぱったり音沙汰がなくなる…。
1995年、インディーでライブハウス活動をしていたらしい彼が僅か45歳で亡くなった訃報を聞いた。このとき思い出したのは、あの日の香りと、京都のミックの微笑みと、淳子ちゃん宅で皆で大声で歌った「デビル・ウーマン」だった。
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2022.09.11