1972年 7月5日

松任谷由実デビュー50周年!2022年はユーミンのアニバーサリーイヤー

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荒井由実のデビューシングル「返事はいらない」がリリースされた日
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2022年はユーミンのアニバーサリーイヤー


こんな朝ドラ―― NHK連続テレビ小説の企画を考えた。

主人公は、東京は甲州街道沿いの老舗の呉服屋の次女。子供の頃からおてんばで鳴らし、10代で音楽の才能を開花させる。中学時代から背伸びして都会のサロンに出入りするうち、ひょんなことからプロの音楽家たちと知り合い、彼らのツテでプロ歌手としてデビュー。しかし、最初は鳴かず飛ばずで――。

呉服屋の名前は荒井呉服店、都会のサロンはキャンティ、プロの音楽家たちは村井邦彦サンや、かまやつひろしサンら、デビュー曲は彼女自身が作詞・作曲した「返事はいらない」―― そう、ドラマの主人公はユーミン。タイトルは朝ドラらしく『ゆうみん』なんてどうだろう。

―― これ、冗談でもなんでもなく、まんま朝ドラのフォーマットだと思いません?

昭和が舞台で、働く女性の一代記で、ヒロインはその道の開拓者で、結婚して一度家庭に入るも、仕事が忘れられずにカムバック。やがて日本を代表するトップミュージシャンへ―― って、朝ドラが最も描きたがる理想のヒロイン像である。

もっと言えば、朝ドラのコア視聴層である40代~70代の女性たちって、青春時代をユーミンと過ごしてきた、筋金入りのユーミンファン。彼女たちにも突き刺さるはず。NHKさん、考えてもらえませんかね?

なぜ、いきなりこんな話を始めたかというと、今日、7月5日は、ユーミンが1972年7月5日にシングル「返事はいらない」でデビューして、ちょうど50周年となる記念すべき日。実に半世紀だ。これは只事じゃない。間違いなく、この2022年はポップスの女王・ユーミンのアニバーサリーイヤーとして大きな節目となる。

広く知れ渡る稀代のポップスの女王の偉業、だけど…


まぁ、朝ドラは無理としても(残念ながら、既に2023年の秋スタート作品まで発表済み)、Netflixあたりで彼女の半生をドラマ化して世界配信したら、昨今のシティポップの世界的ブームを追い風に、かなり盛り上がるんじゃないだろうか。なんたって劇中歌はユーミンのヒットナンバー。これがウケないはずはない。

実際、Netflixは昨年末に公開したビートたけしサンの原作本を映画化した『浅草キッド』(監督:劇団ひとり)が国内ランキングで1位になったし、こちらだってユーミン自身が1983年に書いた自伝『ルージュの伝言』という原作本がある。あとはシナリオ化して、役者をキャスティングすればいいだけ。監督は、映画『私をスキーに連れてって』でユーミンを主題歌や劇伴に使ったホイチョイ・プロダクションズの馬場康夫なんてどうだろう。

とはいえ―― 気になるのは、昨今の日本人のユーミンへのリスペクトの度合いである。もちろん、稀代のポップスの女王の偉業は広く知れ渡るところだけど、ぶっちゃけ、少々物足りなく感じません? これは日本人―― 特に若い人たちの悪い癖でもあるんだけど、音楽に限らず、あらゆる分野で先人たちの偉業に対する興味や敬意が、欧米人に比べて若干、不足していること。

かつて、漫画の神様・手塚治虫がスランプに陥った際や、“世界のクロサワ” こと黒澤明監督が日本の映画界から干された時期―― 日本の若い人たちは「手塚治虫は過去の人」「クロサワは終わった」などと揶揄したけど、その後に生まれた作品が、あの『ブラックジャック』であり、カンヌでパルム・ドールを受賞した映画『影武者』だった。ちなみに、資金集めに難航した『影武者』に出資したのは、黒澤監督を崇拝するフランシス・コッポラとジョージ・ルーカスである。

日本のポップスの扉を開けた「12月の雨」


さて―― ユーミン。彼女の50周年のアニバーサリーイヤーに際し、改めて訴えたいけど、彼女の何が偉大かって、日本にポップスを広めた開拓者であり、伝道者なんですね。大きく言えば、僕はユーミンの三大偉業は、

① 日本のポップスを発明した
② 日本においてポップスをヒットさせた
③ ポップスと歌謡曲の橋渡しをした(ルビコン川を渡った)

―― の3点だと思ってる。順に、それを説明しよう。



まず、①の「日本のポップスを発明した」について。これは、荒井由実時代の最高傑作とも評されるセカンドアルバム『MISSLIM』に収められた「12月の雨」を指している。同アルバムのリリースは1974年10月5日。その年は殿様キングスの「なみだの操」とか、中条きよしの「うそ」とか、中村雅俊の「ふれあい」とか、歌謡曲の全盛期。フォークソングもまだ勢いがあって、前年には南こうせつとかぐや姫の「神田川」がミリオンセラーの大ヒットを記録した。

そんな時代に、ユーミンはキャンティのオーナーである川添浩史・梶子夫妻の自宅にあるグランドピアノを背景に、自身が写り込むモノクロのジャケットの同盤をリリース。そのA面5曲目が「12月の雨」だった。加えて、同曲はアルバムリリース日と同じ日にシングルカットもされている。ジャケットはアルバムと同じ構図の別カットだ。

 雨音に気づいて 遅く起きた朝は
 まだベッドの中で 半分眠りたい

作詞・作曲は荒井由実。編曲は、後に夫となる松任谷正隆サンである。もう、8分音符で弾むピアノのイントロからしてポップ全開だ。メロディも明るく、リズミカル。これにシュガー・ベイブ時代の山下達郎サンと大貫妙子サンらがコーラスで参加してるんだけど、めちゃくちゃオシャレ。正直、これが「神田川」の翌年にリリースされたなんて信じられない。ちなみに、バックで演奏するのは、ティン・パン・アレーの面々―― キーボード:松任谷正隆、ドラム:林立夫、ベース:細野晴臣、ギター:鈴木茂らである。

断言する。日本のポップスの扉を開けたのはユーミンであり、それは「12月の雨」である。これ以降、日本でも少しずつポップスが作られるようになり、その輪は広がっていく。しかし―― まだ、マイノリティだった。

シティポップブームの元祖「中央フリーウェイ」




日本において、ポップスが広くヒットするのは、その2年後である。そう、先に挙げた②の「日本おいてポップスをヒットさせた」のもユーミンだった。時に1976年11月20日―― 彼女の4thアルバム『14番目の月』がリリースされ、ユーミン自身初となるオリコンアルバムチャート1位に輝く。そのリード曲こそ、A面5曲目の「中央フリーウェイ」だった。

 中央フリーウェイ
 調布基地を追い越し
 山にむかって行けば
 黄昏が
 フロント・グラスを 染めて広がる

同盤から、編曲を担当する松任谷正隆サンがプロデュースも手掛けるようになるが、リリースから9日後、2人は横浜山手教会で結婚する。つまり、それは荒井由実時代最後のアルバムであり、ユーミンは本気で引退するつもりでいたという。

だが―― 同盤は大ヒット。表題曲の「14番目の月」を始め、先の「中央フリーウェイ」も一躍脚光を浴びる。特に「中央~」は、“競馬場” や “ビール工場” など、東京の固有名詞が並ぶ歌詞がオシャレと評判になり、その美しい旋律や珠玉のアレンジに若者たちが共感する。間違いなく、それは日本でポップスが市民権を得た瞬間だった。昨今のシティポップブームに照らせば、この「中央フリーウェイ」こそ、その元祖である。

ポップスと歌謡曲の橋渡しをした松任谷由実




最後に、先の③の「ポップスと歌謡曲の橋渡しをした(ルビコン川を渡った)」に触れておこう。それは、長らく不可侵の間柄だった歌謡曲とポップスが、ある曲をキッカケに徐々にその溝を埋めて―― やがて80年代に一体化した歴史を意味する。そのキッカケを作ったのもユーミンだった。時に、1976年6月25日―― 三木聖子のデビューシングルとして提供した「まちぶせ」である。

 夕暮れの街角 のぞいた喫茶店
 微笑み見つめ合う 見覚えある二人

同曲はユーミンが新人の三木聖子サンに取材して、彼女の実体験をもとに書かれたという。曲の構成は、ユーミンが敬愛するフレンチポップのフランソワーズ・アルディの「さよならを教えて」へのオマージュソングになっており、女性目線の歌詞と、それと相反する明るくポップな曲調が印象的だ。間違いなく、それはポップスが禁断のルビコン川を渡り、歌謡曲と出会った事件であり、歴史の1ページとなった。だが―― 同曲が評価されるには、もう少し時間が必要だった。

その手掛りとなる、あるエピソードを紹介しよう。それは、2019年7月6日にNHKで放送された『SONGS』において、ゲストのサカナクションのボーカル・山口一郎サンが披露した、ユーミンから受けたアドバイスにヒントがある。山口サンは、かつて松任谷夫妻宅に招待された際、「ポップスを作りたい」と悩める心境を打ち明けると、ユーミンから「あんたポップス作ってるじゃない。5年後に評価されるのが本当のポップス」との励ましを受けたそう。

山口サンはその言葉に勇気をもらい、誰もが理解できるものより、時間経過とともに理解が広がればいいと思い、新しいアルバム作りに踏み出せたとか。そう、“5年後に評価されるのが本当のポップス”―― と。

「まちぶせ」で実証、5年後に評価されるのが本当のポップス




話を戻す。1981年4月21日、石川ひとみの11枚目のシングルとして「まちぶせ」がリリースされ、オリコンチャート最高6位とスマッシュヒット。彼女の代表曲となった。言うまでもなく、それは三木聖子サンのカバーであり、最初にユーミンがルビコン川を渡ってから “5年” が経過していた。

思えば、1981年は、財津和夫サンが時のアイドル、松田聖子サンに「チェリーブラッサム」や「夏の扉」を提供し、大滝詠一サンも聖子サンに「風立ちぬ」を作った年である。更に翌82年から、今度はユーミン自身が「赤いスイートピー」を始めとする楽曲を呉田軽穂名義で聖子サンに提供する。

そう、“5年後に評価されるのが本当のポップス”―― ユーミンの言葉通り、「まちぶせ」でルビコン川を渡った5年後の1981年、歌謡曲とポップスは融合し、日本の新たな音楽史が幕明けたのである。

―― 以上、日本のポップス史におけるユーミンの三大偉業。改めて、ポップスの女王が本日、デビュー50周年を迎えるにあたり、皆さん、彼女の偉業に思いを馳せてみませんか。間違いなく、“世界のクロサワ” こと黒澤明監督や、“漫画の神様” こと手塚治虫先生に匹敵するレジェンドの一人。

もっと、光を――。


2022年1月1日に掲載された記事をアップデート

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2022.07.05
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カタリベ
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