ライブ映像で振り返るBOØWY
音楽に限らず、出会いというのは “ご縁” だと常々思っている。
普通にテレビ・ラジオから流れる音楽と、学校帰りに立ち寄るレコード屋や本屋、喫茶店での情報、友人や彼氏彼女と貸し借りするレコードやテープ、雑誌の類。ここで出会わなかったら、同時代であっても知らないものはたくさんある。ロック系のライブハウスに出入りしていなかったうえに、一時期日本を離れていて1987年春に日本に戻った私は、ブレイク前のBOØWYに出会っていなかったのだ。そういった者がBOØWYのライブを語ることをまずはお許し願いたい。
このコラムを書くにあたり、BOØWYのごく初期のころからのライブ映像をいろいろと視て、私が印象に残ったライブを時系列で追っていこう。
1983年7月31日、佐賀県民の森イベント。ビートの効いたドカドカしたロックな演奏、叫ぶような中に時々メロディアスな歌。ちょっといかつくてキラキラした兄ちゃんたちがパワーを発散していた。BOØWYが初めて九州の地で行ったライブで、ギャラが野菜だったということでも伝説となっているライブだ。アンコールでは地元の若者たちがステージの前で踊り狂っている。ドカドカしたロックな演奏、と記したが、アンコールの最初はレゲエだったりするところに音楽的な幅の広さを感じた。この頃の氷室狂介はアイドルになってもいいほどの美少年。
1984年3月30日の新宿ロフト、『BEAT EMOTION・すべてはけじめをつけてから…』。これが、私が初めて視たBOØWYのライブハウスでの演奏の映像だった。
「ステージの上、上がんな、バカヤロウ、演奏できねえよ、下がれオラ!」
―― 名言。BOØWYの1984年3月末のライブでの一幕だ。それからも曲が終わるごとに「下がって、下がって」というスタッフの声が響く。氷室狂介はMCで「おとなしくなった」と語っているが、これでおとなしくなったのかよ! とディスプレイに向かって思わず突っ込んでしまう。
幾重にも鈴なりになった若い子たちがこぶしを振り上げ、ひとかたまりになって跳ねている。彼らはどんどん前へ前へと進んでいく。明らかにステージに上がって跳ねている少年もいる。みんな頭を振っている。まだあどけない顔をしたファンも数多い。みんな、何かのきっかけでBOØWYを知った子たちだ。
タイトなビートの効いた演奏にのせて歌うのは、リーゼント風の髪を逆立て化粧をした、美しく、狂気をはらんだ “氷室狂介”。圧倒的なヴォーカルで観衆を圧倒する。
金髪をツンツンに逆立てて、カンディンスキーの絵画を思わせる幾何学模様のギターから派手な音をこれでもかと聴かせる布袋寅泰。彼の存在感は氷室狂介に劣らない。ステージが進むにつれて動きが激しくなっていく。髙橋まことのドラムス、松井常松のベース、4者の存在感が拮抗する。彼らの演奏がとても安定しているので聴きやすいことこのうえない。思わず頭も腰も自然と動いてしまう。
氷室狂介はこのステージで何回か衣装を変えている。最初はリーゼント+ツンツンに固めた髪にミリタリー調。途中でシャツになり、最後は脱ぐ。別のステージではツンツンの髪にスーツ。いずれもまだ装飾性はそれほどでもない。
ライブハウスからホールへ、大きくなっていった活動の場
BOØWYは事務所を移籍し、氷室狂介は1984年12月6日、“氷室京介” に改名する。彼らの活動の場は、ライブハウスから少しずつ大きな会場になっていく。
さなぎが殻を破って蝶になる、と喩えるなら、まさにこの時期だろう。1985年3月にはロンドンでライブを行い手ごたえを得たことを、氷室京介が『NHK MUSIC WAVE』のインタビューで語っている。
1985年11月の日本青年館(NHK MUSIC WAVE)。ジャニーズでも通用しそうなキラキラした衣装だが、歌と演奏はまぎれもないタイトなビートのきいたBOØWY。「IMAGE DOWN」や「INSTANT LOVE」を歌う氷室京介は、イギリスから来日したポップスターのようにもみえる。
1986年4月の日比谷野音。鮮やかなブルー系の衣装での「Dreamin‘」。ステージから客席に水をぶっかけるような激しさはあるものの、ライブハウス時代の荒々しさが消えて、バンド自体もビートの効いたストレートロックからポップ寄りに変容しているようにみえた。氷室京介から狂犬のような妖しい色気は影を潜め、ときには爽やかさすら醸し出すのには少し驚いたものだ。
1986年5月1日の高崎市文化会館のライブを収録した『BOØWY VIDEO』。個性的なステージ衣装は沢田研二等を担当した早川タケジが担当した。紫の裏地のコートをまとい海外のポップスター然とした氷室京介に、全身幾何学模様の布袋寅泰、真っ赤な松井恒松。彼らのステージ映えのなんと素晴らしいこと!
「ホンキー・トンキー・クレイジー」では軽快なモータウン・ビートに合わせて氷室京介と布袋寅泰が足を上げ下げしたり、「IMAGE DOWN」ではステージギリギリでギターを弾く布袋寅泰に後ろから氷室京介がじゃれついていたりと、ステージでの動きにはもはや余裕を感じる。客席の熱狂ぶりも相変わらずだ。『BOØWY VIDEO』は映像作品として1986年7月2日にリリースされ、そして2021年9月1日に『BOØWY 40th Anniversary Blu-Ray』としてリイシューされている。
日本武道館公演もアルバム&映像作品で真空パック
1986年7月2日の武道館。「IMAGE DOWN」でバックステップしながらギターを弾く “クレイジーギター” 布袋寅泰は相変わらず幾何学模様。氷室京介は髪をもりもりに立てて「ライブハウス武道館へようこそ!」と叫ぶ。この熱気が真空パックされたライブアルバム『“GIGS” JUST A HERO TOUR 1986』は1か月も経たない1986年7月31日にリリースされた。ギャラが野菜だった佐賀県民の森イベントから3年後のことだ。
1986年12月10日、1987年2月24日の日本武道館公演も『GIGS at BUDOKAN BEAT EMOTION ROCK'N ROLL CIRCUS TOUR』ライブビデオとしてリリースされている。もちろんこちらも2021年9月1日『BOØWY 40th Anniversary Blu-Ray』としてリイシュー。
12月10日の武道館で収録された1曲目の「B・BLUE」では髪を逆立てた氷室京介が首元にマフをあしらったコート風の衣装で、歌いながら激しくステージを動き回る。2曲目の「ハイウェイに乗る前に」で、マフはステージに投げていた。2月24日の武道館で収録された「IMAGE DOWN」でも氷室京介は激しく走り回って客席に投げキスをしたり、布袋寅泰とふたりでステージを飛び出して投光器を客席に向けたりとやりたい放題なのが視ていて楽しい。
ライブハウス時代から中規模のホール、大ホール、そして武道館と少しずつ趣きが変わっているが、艶があってメロディアスな氷室京介の歌と、安定した演奏は一貫して変わらない。寡黙で直立不動の松井恒松と、タイトなドラミングの高橋まことによるバッキング。ずっとどこかに幾何学模様がある布袋寅泰のギターはどんどん成熟してかつ過激になっている。そしてもうひとつ変わらないものがある。それはファンの熱気だ。
それにしても氷室京介は無敵にカッコイイ。衣装を着ても、脱いでも、どんな衣装でもとんでもない色気がある。色気と狂気をはらんだ男を当時ライブハウスで、生で観ていたら、わたしはきっと堕ちていただろう。
たまたま私は彼らと接点がなかった。テレビやラジオや雑誌で見ることもなく、BOØWYを知っている友達もおらず接点がなかったのだ…。もし、当時BOØWYを知っていたら、人生はガラッと変わっていたかもしれない。
BOØWY 40thアニバーサリー特集「ライブハウス武道館へようこそ」
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2021.10.30