埼玉のロック少年にとって最も重要な存在だったのが「ウラワ・ロックンロール・センター(URC)」だ。URCは1970年に浦和で結成された音楽イベントの企画集団で、代表的なイベントが荒川沿いの公園で開催されていた「田島ヶ原野外コンサート」という入場料自由(いくら払うかは自分で決める)のコンサート。ウッドストック・フェスの埼玉版といった感じかな。
70年代は頭脳警察や四人囃子などがURCのコンサートによく出演していたらしい。でも僕がURCを知ったのは70年代の終わりの頃だったので、頭脳警察を見られなかったのが悔やまれるが、それでも僕にとってはど真ん中のバンドが出演していた。URCが企画するコンサートはとにかく行けば面白いバンドに出会えるぞぐらいに信頼していたのだ。
1980年に埼玉会館で開催された「FLASH BACK 70-80」はURC創立10周年記念フェスティバルで、PANTA&HAL、P-MODEL、内田裕也、子供ばんど他総勢10バンドが出演した。そんな出演バンドの中で最も異彩を放っていたのが水玉消防団だった。
水玉消防団は女性5人編成のガールズバンドなのだが、メンバーの年齢のせいもあってか謂わゆるガールズバンドにある華やかさは全くない。あるのは圧倒的な存在感だ。この時点ではレコードを一枚も発表していないのにもかかわらず、他の錚々たる出演者に混ざっても全く引けを取っていなかった。
このバンドの特徴は天鼓とカムラのツインボーカルだ。二人の独特な声が絡み合い圧巻の世界を作り出していた。泣き叫ぶ赤ん坊も一瞬で黙らせるような、高校生の僕にとっては何やら怖そうなオバさんたちの怪しい儀式に連れ込まれて、ちゃんと聴いてないと呪いにかけられそうでつい姿勢を正して聴いてしまうような凄味のあるサウンドだった。
その後、レコードを自主制作で2枚発表。インディーズという言葉もない時代の先を走るかのような自由なスタイルで活動をしていた。
天鼓とカムラはその後も独特な声を活かし、二人でハネムーンズというボイスユニットを組んだり、天鼓はフレッド・フリスや大友良英らと即興の世界でボイスパフォーマーとして、カムラはフランク・チキンズに参加したりとそれぞれに活動の幅を広げている。
今やロックフェスは日本中いたるところで開催されているが、URCのイベントは水玉消防団のようなテレビやラジオ、音楽雑誌では出会うことがない音楽や、名もなきぶっ飛んだバンドを僕に教えてくる貴重な「場」だったのだ。きっとあの頃のウラワには小さいけど目眩がするほどのロックの坩堝があったのだと僕は確信している。
2017.03.27
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