それは、ちょっとした事件だった。
時に、1981年5月中旬―― 当時、中学2年だった僕の教室では、発売されたばかりの一冊の雑誌が男子の間で回し読みされていた。クラス一お調子者のSクンが家から持ってきた『GORO』である。
彼が「お前ら見てみ」と開いた巻末のグラビアページには、女優の桂木文サンの魅惑のショットが数ページに渡って掲載されていた。驚いたことに―― そこには、つい先月までドラマでヒロインを演じた彼女のあられもない姿があった。なんと――“CKB” がチラリと写っていたのだ。
当時、桂木文サンは二十歳。清純派女優として売り出し中で、今なら清原果耶サンがいきなり週プレで脱ぐくらいのインパクトだろうか。だが―― 正直、僕には、なんとなくそんな予感があった。
話は、半年ばかりさかのぼる。1980年10月3日、1本のドラマが始まった。フジテレビ系、金曜夜7時の『翔んだカップル』である。同年夏、一足先に映画版の『翔んだカップル』が封切られ、そのドラマ版だろうと思っていた。映画版は薬師丸ひろ子という金の卵の素材を生かした青春ムービーで、相米慎二監督のデビュー作でもあった。“大ヒットの前に真のヒットあり” の法則じゃないが、後に大当たりする映画『セーラー服と機関銃』より、個人的には『翔んだ~』の方が女優・薬師丸ひろ子の魅力を引き出していたと思う。
で、ドラマ版である。ヒロインの山葉圭を演じるのは桂木文。当時、映画とドラマの配役が異なるのはよくある話で、特に気にも留めなかった。彼女に関しては、TBS のドラマ『ムー一族』で郷ひろみの恋人役として、4万人ものオーディションで奇才・久世光彦監督に見初められたシンデレラガールという触れ込みだったが、とにかく顔が可愛いのが印象的だった。実は、僕は密かにあることを期待していた。
第1回放送が始まった。開始10分も経たないうちに、僕はこのドラマが映画版とはまるで別モノであることを悟った。学園青春ドラマなんてものじゃない。100%のコメディだった。
思えば、この年、フジテレビは「ジュニア」こと鹿内春雄氏が副社長に就任し、子会社の制作プロダクションを本社に戻して、300人規模の “大制作局” を作る第二の創業とも言える大改革を断行していた。その結果、社内の平均年齢が若返り、自由闊達な空気にあふれ、翌年「楽しくなければテレビじゃない」の名キャッチコピーを生む社風へと変貌しつつあった。同ドラマはそんな歴史の転換期の渦中に作られたのだ。NG シーンをわざと見せる演出も、全てを笑いに変える当時のフジテレビならではの発想だった。
僕は気を取り直した。確かに、映画版とは別ものである。だが―― このベタベタなコメディは、原作漫画の空気感にちょっと似ている。柳沢きみお先生の描く漫画は当時流行りのラブコメで、ギャグとエッチなシーンの宝庫だった。そう、僕らはもともと、漫画の『翔んだカップル』をそんな目線で楽しんでいた。何せ、主人公の田代勇介と山葉圭は高校1年生同士ながら、ひょんなことから一つ屋根の下で2人きりで同居を始めるのだ。
―― となると、僕の期待は1つしかない。原作にある山葉圭のエッチなシーンが、どれだけ再現されるかである。考えてみれば、映画版でヒロインを演じた薬師丸ひろ子は当時16歳の高校1年生。原作のヒロインとは同じ年齢だが、土台、角川の金の卵にエッチなシーンなど期待できるはずもない。実際、映画版はそっちの方では空振りだった。
だが、ドラマ版でヒロインを演じる桂木文はこの時、19歳。もしかしたら―― と、僕の期待は膨らんだ。もはやストーリーなんてどうでもいい。目的は1つしかない。
それは、不意にやってきた。芦川誠(今やすっかりベテランの名バイプレイヤーになりましたナ)演ずる田代勇介が妄想するシーンで、圭ちゃんが当時、宮崎美子サンが一躍ブレイクしたミノルタのカメラのCMで「♪ いまのキミはピカピカに光って~」の歌に合わせて、Gパンを脱いでビキニ姿になるところを、なんと下着で演じたのだ。つまり、リアルブラジャーが露わに――。
「マジかよ!」
僕はテレビの前で思わず唸った。予想以上だった。清純派のアイドル女優が、ゴールデンタイムの夜7時のドラマでブラジャー姿になったのだ。サービスカットどころの話じゃない。確かにエッチなシーンは期待したが、それはギリギリ見えないくらいの、よくあるテレビ的な演出くらいに高を括っていた。だが、いい方に裏切られた。「彼女はひょっとすると、ひょっとするかも……」僕は密かに彼女のポテンシャルを予感した。
予感は当たった。2話目以降も、彼女は寝姿やお風呂のシーンで、次々と大胆なサービスカットを披露し続けたのだ。それは原作漫画を上回る過激さで、ある回のシャワーシーンでは上半身ヌード(背中)まで見せてくれた。「おいおい、騙されてるんじゃないか」と、見ているこっちが心配になるくらいだったが、当の本人は、普段のシーンではいたって清純な女子高生を演じた。そのギャップに当時純朴な中坊だった僕は、余計に燃えた。
僕はドラマを夢中で見続けた。その動機は前述の通りであるが、実はもう一つ、同ドラマで僕を惹きつけるものがあった。それは、エンディングでH2Oが歌う「僕等のダイアリー」である。
たかが恋などと 言ってくれるなよ
僕には大問題だ ややこしくて
女心には まるでお手上げさ
大胆不敵な天使 かなわないよ
少々前置きが長くなったが(長すぎる!)、今日―― 11月4日は、今から39年前の1980年11月4日に、H2O の2枚目のシングル「僕等のダイアリー」がリリースされた日である。心配しなくても、ここから先の話は長くない。
作詞・来生えつこ、作曲・来生たかお―― 言わずと知れた来生姉弟の作品だが、彼らが本格的にブレイクするのは、翌81年に薬師丸ひろ子に楽曲提供した「セーラー服と機関銃」が大ヒットして以降。まだ、この時点では知る人ぞ知る存在だった。しかし、僕は一聴して、たちまちその曲の虜になった。
キスの味はレモン・パイ
肌の香り ラベンダー
その気にさせて 肩すかし
僕をじらすよ
同曲の魅力は、何と言ってもその独特の来生メロディーだ。初めて聴くのに、どこか懐かしいニオイを感じる。後に、中森明菜に提供する初期のスローバラードの片鱗が既に見える。曲を聴いただけで作曲家の個性が浮かび上がるのが、来生メロディーの特徴である。
更に、その曲に見事に調和した世界観を吹き込んでくれる姉・えつこサンの詞。一聴すると、あまりにメロディーに溶け込んで、何を語っているのか分からない(※褒めてます)が、繰り返し聴くうち、その歌詞以外にありえないことに気づく。そう、来生メロディーを立たせるための最適な詞なのだ。
あちらこちらカップルが
翔んで翔んでうわの空
やたら僕を刺激する
ドンマイドンマイ 今に見てろよ
もちろん、同曲を切なくも伸びやかに歌う、H2O の存在も欠かせない。同グループの最大のヒット曲は、アニメ『みゆき』のエンディング曲の「想い出がいっぱい」だが、個人的には「僕等のダイアリー」の方が、彼らの声質の魅力を引き出していると思う。それにしても、つくづくエンディング曲が似合うグループだ。
そして―― 同曲のバックに流れる映像の魅力。ドラマの前期は主役の2人が食卓で向き合って食べさせ合うシーンが流れるが、圧倒的にいいのは後期の “としまえん” で2人がジェットコースターやコーヒーカップに乗って戯れるバージョンだ。この時の桂木文サンの表情が実にいい。
ドラマは2クール放映され、1981年4月10日に終わった。最終回はそれまでのおふざけ路線(ドラマの中盤以降は、もはや原作すら離れ、柳沢慎吾や轟二郎がパロディを演じるネタドラマ化していた)から一転、ちょっと泣ける展開だった。
キャプテン(轟二郎)と圭ちゃんが家を出て、広い家で一人になる勇介。過ぎ去りし日々を思い出すうち、3人で食卓を囲んでいたシーンに―― ここでカメラが引くと、なんとそこは舞台の上。客席で出演者全員がそれを見ていたというオチだった。そして古文教師役の佐藤B作サンの音頭で、主要キャストたちが紹介されるカーテンコールへ――。
なんだろう。こういうところのセンスが、実にフジテレビ的なのだ。2クールに渡って全力でふざけつつも、最後は劇団東京ヴォードヴィルショー主宰の佐藤B作サンを立てて、舞台風にオシャレにクローズ。
思えば、NG集を “見せ物” にしたのも同ドラマが初めてだったし、バラエティで活躍していた柳沢慎吾サンを抜擢して、後の役者への道筋を付けたのも同ドラマだった。劇中に雑誌『ビックリハウス』編集長の高橋章子サンを出すなど、積極的に異業種の人たちを出す試みも画期的だった。
そして何と言っても、ヒロイン役の桂木文――。主役経験のない、しかも連ドラ2作目という異例の抜擢。だが、そんな期待に、見事に、大胆過ぎる演技で答えた彼女。全ては、上昇気流に乗り始めたフジテレビだから出来たことだった。
そう、時代の過渡期ゆえに、様々な異業種の人材がクロスオーバー的に交差し、新陳代謝も加速度的に進む―― それが、黄金の6年間である。ドラマ『翔んだカップル』は、まさにそれを象徴する作品だった。
ちなみに、冒頭で紹介した『GORO』が発売されるのは、この最終回から34日後のことである。それもまた、黄金の6年間ゆえのサプライズか。
2019.11.04
YouTube / tondakappuru
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