10月28日

トランジスタラジオ — RCサクセションが教えてくれたとっておきの自由

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 WOO 授業サボって
 陽のあたる場所に いたんだよ
 寝ころんでたのさ 屋上で
 たばこのけむり とても青くて

 内ポケットに いつも
 トランジスタ・ラジオ
 彼女 教科書 ひろげてるとき
 ホットなナンバー 空にとけてった

 ああ こんな気持
 うまく言えたことがない ない


ご存知、RCサクセションの名曲「トランジスタ・ラジオ」の冒頭の歌詞である。誰もが口ずさみたくなるポップなメロディ。この歌に漂う空気感は、いわゆるロックの掲げるリバティー(様々な戦いや運動を通じて手に入れた自由)ではなく、限りなくフリーダム(周囲から束縛されずに解放されている自由)だ。

僕がRCを初めて観たのはブラウン管の中だった。13歳の時、NHKかなんかでやっていたライブ映像だった。その時、チャボさんは、煙草を咥えうつむき加減でギターを弾いていた。スポットライトがあたるステージの上で、紫煙が揺らめいている。そのカッコよさといったら!

昭和という緩い時代だから、消防法もへったくれもなかったと思うが、そんなチャボさんの姿こそが僕にとっての自由=ロックンロールだった。

清志郎さんも「サマーツアー」がヒットして、確かトップテンに出演した時、演奏が始まる前にスポーツドリンクを飲みながらインタビューに答えていた。その佇まいが、チャボさんの時と同じくなんてカッコいいんだと思った。常識外ではなく規格外。何にも囚われない真のオトナがそこにいた。そんなオトナは僕の周りにひとりもいなかったから、そんなふうになりたいと心底憧れた。

彼らが教えてくれたことは、「今そこにある自由、なんで手に入れないの?」ということだった。屋上に寝転んで煙草をふかせば、そんな些細なことで世界は変わる。音楽は周りの空気に彩りを添えて、どこか遠い世界に連れてってくれるものだと今も信じている。

そしてRCサクセションといえば、ハタチぐらいの時にお友達だったYちゃんのことを思い出す。

近所に住む小学校の同級生の知り合いということで友達になったYちゃんは、確かひとつ年下。破天荒だけど、チャーミング。思いつきの言葉にも妙な説得力があった。PUNKとRCサクセションが大好きで、特に「ぼくの自転車のうしろに乗りなよ」という曲が大のお気に入りだった。


 ぼくの自転車のうしろに乗りなよ
 坂を下って 坂を下って国立へ行こうか
 君はいつもぼくを愛してる
 君が編んでくれたマフラーあたたかい


この歌詞に憧れたYちゃんは、当時の彼氏にせがみ、冬の晴れたある日、ママチャリで二人乗りして国立まで行ったという。完全なる思い付きだ。僕らが住んでいたのは中野だったから、国立までは、中央線の各駅停車で駅は12個。二人乗りを強いられた彼氏はたまったものではない。

歌詞のように下り坂ばかりではない。それでも金髪の彼氏は「帰りはパンクしちゃって、歩いたから大変だったなー」と屈託なく笑っていた。あの時、チャボさんや清志郎さんから感じた「自由」がこんなところにあったなーって深く頷いたものだ。

そんなYちゃんとRCサクセションを観に行ったのは89年4月8日、今はない汐留PIT での公演だ。桜が満開で暖かい日だった。待ち合わせ場所に訪れたYちゃんは、ピンクのエナメルのボンテージふう、ミニスカートのセットアップだった。ハロウィンも定着していなくて、コスプレという概念もなかった昭和が終わったばかりの頃だ。

僕は出会った瞬間、照れて目を合わせられなかったが、ものすごく似合っていて、同時にカッコいいな。自由だなーってその時再び思った。RCサクセションにボンテージ! それは、チャボさんや清志郎さんとおんなじぐらいカッコよかった。

肝心のライブのほうは、1曲目の「よォーこそ」から熱狂の渦に巻き込まれ、ほとんど覚えていない。それでも、そこに、確かに、いままで憧れていた自由がYちゃんと一緒にいたことだけは、クッキリと脳裏に焼き付いている。

それからほどなくして、Yちゃんとは疎遠になってしまう。特に理由があったわけではない。でも一度だけ、25ぐらいのときに、新宿二丁目、レゲエのかかるクラブで再会したことがある。僕らが店の扉を開けると、Yちゃんがドレッドにした髪を揺らしながら、「本田くーん」と、駆け寄ってきた。相変わらずだなーとその時も思って、嬉しかった。

桜の花が散り、街がきらめきだすころ。煙草のけむりが青く見えるそんな時期、毎年決まってRCサクセションが聴きたくなる。「トランジスタ・ラジオ」のシングルは当時、晩秋の発売だから、清志郎さんは、秋の乾いて澄んだ空をイメージして作ったのかもしれない。

だけど、僕は、初夏の心地よい風が吹く青空を思う。いくらでも時間があったあの頃に思いを馳せる… そしてちょっとだけYちゃんのことを思い出す。元気にしているだろうか?

そして僕はあの頃のまま、RCサクセションのナンバーに心ときめかせている。



歌詞引用:
トランジスタ・ラジオ / RCサクセション
ぼくの自転車のうしろに乗りなよ / RCサクセション


2018.04.13
30
  YouTube / 36ZP75x2nd
 

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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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