本題に入る前に、少しだけ語らせて欲しい…これは、父と僕との古い記憶である。
その頃、僕はまだ小学生だった。
終業式を終え、クリスマスが過ぎ、そして年の瀬が押し迫った大晦日までの残り数日… 母が日々コツコツと掃除をしてくれていたおかげで大掃除と言うほど大袈裟なことにならなかったけれど、毎年行われる家中の網戸洗いだけは父と僕の分担として必ず残されていた。
だいたい “その日” は、父の仕事納めの翌日だった。「やるか」と父がおもむろに網戸を外しはじめるので、仕方なく手伝うというパターン。父が洗い、僕が洗い終わった網戸を水で濯ぐ。それは、手が凍るほどの水の冷たさと、容赦ない寒さとの戦いである。そして、その日だけはどんなに北風が強くても、晴れてさえいれば網戸洗いが決行されるのだ。
小一時間ほどで洗い終え、立てかけて水を切った網戸を雑巾で拭きながらサッシにはめ込むのは僕の作業。その間に父は一斗缶を利用して簡易ゴミ焼却炉を作製し、家庭ゴミを突っ込んでガンガン燃やす。
年内最後のごみ収集が終わってしまったからという理由かもしれないけれど、今なら「ダイオキシンとか有害物質は大丈夫なの?」と、近所から苦情が出そうな作業である。ただ、当時のご近所さんはみんな寛容だったのか、特にお咎めはなかった。
学校で配られたプリントとかテスト用紙とか雑多なゴミを次々と燃やしてゆく。ゴミを燃やす一斗缶には、おやつとしてアルミホイルに包んだサツマイモを一緒に放りこんだ。サツマイモが焼き上がる頃には、芯まで冷えていた身体はすっかり温まっていた。
僕と父とで大掃除をするときは、必ずラジオを外に引っ張り出して、そこから延々と流れる歌謡曲などを BGM にした。ラジオから流れる音楽が僕らの代わりに一年を振り返ってくれる。パチパチと揺れる炎をぼんやり眺めていると、「学校はどうだ?」とか、いつもは寡黙な父がいろいろ話しかけてくれたりした。その頃は、よく父と話をしたものだ。
そして、冬の寒空は急ぎ足で茜色に染まり、男同士の緩やかな時間はあっという間に過ぎていった。
十余年後――
専門学校を卒業した僕は、街場のレストランで働きはじめた。その頃から網戸洗いとその一連の作業は、僕だけの担当になっていった。夜遅くまで仕事に追われた僕は、公務員だった父と顔を合わすことが少なくなり、言葉を交わすこと自体が徐々になくなっていた。
それから僕は家を出て一人暮らしをはじめる。数年後には結婚をした。その頃、放送されていたドラマの主題歌が、今回語る大江千里の「ありがとう」である。
先日、妻に頼まれて窓拭き掃除をしていたときに、ラジオから不意に流れてきた曲がこの「ありがとう」だった。“大掃除に聴くラジオ” によって、いままで忘れかけていた父との懐かしい記憶が思いだされた。
大江千里… 1983年、デビューした当時、彼はまだ大学生であった。翌年の「十人十色」という味覚糖の CM曲がスマッシュヒットして、そのあたりから僕の記憶にも残っている。一度聴いたら忘れられないポップな曲調と、息せき切らす独特な歌い方のミュージシャン。
その後、フジテレビ “月9” のドラマ『君が嘘をついた』(1988年)に出演。トレンディードラマ俳優としてのイメージや、同じくフジテレビのバラエティ番組『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(1989年)に出演したイメージも加わり、僕の中で大江千里は “なんでもできる芸達者な人” に改められた。
そこから数年経ち、大江千里が久しぶりに出演したドラマが、TBS 金曜ドラマ『十年愛』(1992年)である。
それは男女がつかず離れずの不思議な関係を続けた十年間の物語で、ダウンタウンの浜田雅功と田中美佐子が主演を務めて話題になった。一話ずつ一年を振り返るように放送したことも面白い手法だった。ダウンタウンの浜田雅功が、お笑いのイメージとは似ても似つかぬ “いい人” を演じるというギャップもあり、記憶に残っている人は多いと思う。
そして、このドラマの主題歌としてリリースされたのが、大江千里25枚目のシングル「ありがとう」だった。元々この曲は、結婚することになった大江千里の妹を祝福するためのものであったという。
ありがとう 今年さいごに
ありがとう きみに伝えたいのさ
忙しそうな きみに
ありがとう 子供の頃は
ありがとう 素直に口にできた
言葉が言えなくて
一年たまった
思い出のほこりはらい
こうして近くに
きみを感じられることに
妹への気持ちを正直に歌ったのだとすれば、親と子の歌ではないけれど、この曲が父との記憶を呼び起こしてしまったことにも頷ける。これは愛する家族へ語りかける歌… だから、父とのギクシャクした微妙な関係にも当てはまってしまったのだろう。
憎んで迷って 遠回りばかりしてた
ひとりで生きてた
それに気づかせてくれた
じっくり聴くと、この部分の歌詞が沁みてくる。大江の持つ優しい声のトーンが、ふだんは隠している心の深いところにまで忍び込んでくる。
「まいったなぁ…」
つい苦笑いしてしまった。それが僕の正直な気持ちである。
ありがとう オリンピックが
ありがとう あった今年に
出逢ったきみのこと 忘れないよ
今年ももう終わろうとしていて、父とは未だギクシャクした感じが拭えないけれど、今度 “ありがとう” を、ちゃんと伝えたいと思う。オリンピックまでにはまだ少し時間があるけれどね。
ネット利用が日常生活の多くを占有する世の中で、人と直接出会う機会はそう多くはないと思う。でも、もしも今年出会えた人がいるならば、ひとりひとりを思い起こして “ありがとう” を伝えてみるなんてどうだろう。
人と出会うことは、よく考えれば奇蹟的なことであって、でもそれは偶然ではないと思う。何故なら自分から会いに行かないと、人とは出会えないものだから… あなたが思い浮かべる今年出会った人には、ぜひ笑顔で年末を迎えて欲しい。
来年、“ありがとう” を伝えたい人が、もっともっと増えるようにと思い、お気に入りのラジオ番組に、僕はまた「ありがとう」をリクエストした。もしも聴いているラジオから「ありがとう」が流れたら、それは僕からのものかもしれませんよ。
2018.12.30
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