「みんなで歌おうパンクロック」84年結成のニューロティカ
結成当初のスローガンが「みんなで歌おうパンクロック」だったニューロティカは1984年の結成。翌85年には元スターリンTMAのプロデュースで、ソノシート「GO OR STOP!!」をリリース。同時期にはラフィンノーズのチャーミーが主宰するAAレコードからリリースされたオムニバスアルバム『Oi Of Japan』に参加。続いて86年には7インチアナログ盤「LAST PEACE」をリリース。この時期と前後して着実に動員を増やしていく。
ニューロティカといえば、昨年(2022年)1月3日に日本武道館公演を大成功させた。ここにたどり着くまでの年数はなんと38年!これは史上 “最遅” 公演となる。言わずもがな、ニューロティカは現在もライブハウスシーンの中心的存在で多くのファンを沸かせている。
「みんなで歌おうパンクロック」のスローガン通り、ニューロティカのステージは底抜けに明るく、底抜けに楽しい。それは結成当初から現在に至るまで変わることのない彼らの本質のひとつだ。
初期の代表曲のひとつは「DRINKIN' BOYS」
個人的な話をしてしまえば、僕も「LAST PEACE」リリース直後あたりからニューロティカのライブには本当によく通った。それは彼らの魅力が底抜けの楽しさだけではなかったからでもある。それはARBからの影響が大きく感じられる骨太な反骨心だ。
初期の代表曲のひとつ「DRINKIN' BOYS」の歌詞にもある、
批判をするのは誰でも出来るぜ
コンプレックスのかたまり野郎
俺たちの主張奴等に
叩きこましてやるぜ
―― のような、見えない不安に抗う力強さだ。
実際、僕が通い始めた当初のニューロティカのライブの客は男ばかりだった。ストレートなパンクロックを身上としていたが、当時のメンバー、修豚、JACKieのツインギターはどこかダーティでワイルドなローリングストーン的なニュアンスも感じられた。
新宿ロフト初ワンマンで演奏された「銀座カンカン娘」
そんなニューロティカだったが女性ファンが一気に増えたのは87年の新宿ロフトにおける初ワンマン前後だったと思う。当時からボーカルのイノウエアツシ(あっちゃん)はピエロのコスチュームやハッピ姿などサービス精神万歳の姿でファンを沸かせていたが、この日はメンバー全員がスーツ姿で登場! オープニングナンバーが「銀座カンカン娘」のカバーだった。
このかっこよさといったら!「なんて懐が深いバンドなんだ!」と思った。これと同時にエンタテインメント性はライブハウス界随一だと思えた。これは来年結成40周年を迎える今も変わっていない。
高校の先輩、後輩で設立された「ネオファミリーレコード」
ニューロティカもまた、自身のレーベル「ネオファミリーレコード」を設立し、積極的なリリースを行なっていた。彼らの興味深い点は、この「ネオファミリーレコード」に所属するバンドがメンバーの出身校である明治学院東村山高校の先輩後輩関係であることだ。
ハードコアと初期パンクのエッセンスを程よく抽出した我殺、タフなハードロックのニュアンスも垣間見られたTHE HYDRA、クラッシュ直系のアティチュードを疾走感溢れるポップセンス抜群のメロディに載せたIB,Singer、福岡発のめんたいロックにも大きな影響を受けているTHE JOKERSなど、個性あふれるメンツが先輩、後輩のビシッとした上下関係のもと共存していたという稀有なレーベルでもある。
その中で中心的存在がニューロティカであったからこそ、ネオファミリーには決してブレることのない強い結束を感じた。もちろんこの絆は現在も継続中で、当時のイベントの冠だった「ネオファミリー大作戦」も続行されている。
彼らの活躍もまた、80年代のインディーズシーンを語るにあたって欠くことの出来ないものである。ユニークなレーベルがひしめき合った当時の状況の中でもネオファミリーの存在は頭ひとつ抜けた存在で強烈なインパクトを放っていた。
先輩、後輩という間柄の中で同じような音楽カルチャーに憧れ、レーベルを設立し、ファンを巻き込んで、自分たちだけの居場所を作る。なんてドリーミーなストーリーなんだと思う。
そしてニューロティカは現在もバンド活動を継続中だ。一貫してライブハウスシーンにこだわる長いロードには紆余曲折もあっただろう。しかし、そんなことなど何事もなかったかのように涼しい顔で、笑いと多幸感に溢れた日本武道館公演を成功させる。そんな男気がニューロティカの一番の魅力だと僕は思ったりする。
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2023.06.29