今では輝きを失ってしまったかのように廃墟が目立つこの街 —— Area1と呼ばれる米軍住宅地域に隣接、アメリカ文化を放出していた本牧は、ブルースやロックをいち早く吸収して音楽の街になっていった。
そう、ルイズルイス加部や陳信輝、竹村栄二という天才少年たちが66年に結成した日本版ヤードバーズとも言えるミッドナイト・エクスプレス・ブルース・バンド。そこに始まる横浜ロックの歴史は伝説的な2つのバンドに進化していく。それが、ザ・ゴールデン・カップスとパワーハウス。80年代末、東京のロック少年の間では、1枚20万円もの高値がつくヴィンテージ・カタログとして取引されていたという。
—— 同じ頃、本牧は再び脚光を浴び、最高潮を迎えようとしていた。Area1が払い下げられ、1989年にマイカル本牧(大型ショッピングセンター)が誕生したのだ。飛ぶ鳥を落とす勢いのマイカルグループ、当初6棟の予定だったモールは10棟にまで膨れ上がっていた。
さらに時を同じくして、1989年を体現するに相応しいバンドが再結成を果たす。それが、桐島かれんをヴォーカルに据え、高橋幸宏や加藤和彦というビッグネームが脇を固めるサディスティック・ミカ・バンドだ。
ちなみに、初代サディスティク・ミカ・バンドはロンドンでそれなりの成功を収めていて、ヴォーカルは加藤和彦の妻となった福井ミカ。その後釜を臆する事なく、さらに日本でのヒットと言う至上命題まで与えられた上でフロントを担当したのが桐島かれんだった。
こうして、満を持して発売されたシングル「Boys & Girls」。この曲は、各方面へのプレス露出、タイアップ、メディアでのヘビーローテーションによって瞬く間にヒットチャートを駆け上がる。稀代のメロディーメーカーが脇を固め、莫大な予算を掛けて作られた曲が悪いはずもなかった。
さて、横浜という町の魅力は音楽だけにはとどまらない。たとえば、元町のお座敷仏蘭西料亭『霧笛楼』には少なからずのカルチャーショックを覚える。西洋と東洋の垣根が過激なまでに取っ払われ、様々な文化がミックスされていると感じられるからだ。ゆうに100年を超える横浜の無国籍は山手の白人文化から中華街、ベトナム戦争時の黒人文化を呑み込み完成された。
この街に生まれた女性達もミックスドカルチャーの申し子だった。作詞家、そしてエッセイスト、最後には旅人になった安井かずみ。パリコレの妖花、山口小夜子。夜な夜なゴールデンカップに出没し、踊り明かしていた10代の山口小夜子は、伊勢佐木町で本牧ナポレオン党に追いかけまわされていたのだとか。そして、サディスティック・ミカ・バンドの桐島かれん。彼女のあの独特な存在感はまぎれもなく横浜100年の無国籍感に他ならない。
個人的な経験では、運転免許を取り、自分の車を購入する為にバイトに励んでいた僕は、宝石商だった父の BMW を借り、彼女と連れ立ってマイカル本牧を訪れた。勿論、BGM は「Boys & Girls」。バブル最後の輝きを本牧で味わった気がする。
しかし、マイカルもサディスティック・ミカ・バンドも、もう無い。マイカルはイオンに変わった。10番街まであったショッピングモールは食料品コーナーと直営店舗を残すのみとなった。安井かずみも加藤和彦もいない。
だけど、バブルが弾けても本牧の不良一番煎じ達は「バブルなんて初めから当てにしてないし、恩恵にありつこうなんて思った事もねーよ」と言う姿勢を崩さない。そんな街に憧れ、悦楽都市横浜に移り暮らして15年になる。
2019.06.03
YouTube / kobayashi hiromix
Information