3月3日

【追悼:トゥルーゴイ】デ・ラ・ソウルの知性とユーモアはヒップホップの革命だった!

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デ・ラ・ソウルのデビューアルバム「3フィート・ハイ・アンド・ライジング」がリリースされた日
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相次ぐアーティストの訃報、トゥルーゴイ、享年54


ここのところミュージシャンの訃報が続いている。音楽界の大きな才能がひとつ、またひとつと消えていくのは残念としか言いようがない。私も50代になったからか、こうした訃報は以前より身近なものとして感じることが多くなった。そして、その死を迎える年齢についても色々と考えてしまう。

バート・バカラックの享年94歳は大往生と言ってよいだろう。クリスティン・マクヴィー、デヴィッド・クロスビー、ジェフ・ベック、トム・ヴァーレインは、欧米人の平均寿命前後なので、早すぎる… とまでは言わないだろう。高橋幸宏、鮎川誠は70代前半なので、アジア人の平均寿命からすると早いと言えるだろう。ましてや、テリー・ホールの63歳はあまりにも早すぎる…

そんなことを考えていた矢先、ヒップホップ・グループ、デ・ラ・ソウルのMCであるトゥルーゴイ(トゥルーゴイ・ザ・ダヴ)の訃報が世界中に報道された。享年54歳、私と同世代だ。死因は現時点では明かされていないものの、近年は心不全を患っていた。同世代ミュージシャンの死… もう、全然、他人事ではない。

最近のデ・ラ・ソウルの活動


そんな中でも、ここ最近のデ・ラ・ソウルは活発に活動しており、トゥルーゴイの訃報の6日前に行われたグラミー賞授賞式において、トゥルーゴイ抜きの形ではあったが、ヒップホップ・トリビュート・パフォーマンスに出演している。

また、リリースからちょうど34年目にあたる2023年3月3日、デ・ラ・ソウルの初期のアルバム6作品がサブスクリプション解禁となる。さらに同日、名盤と誉れ高いデビュー・アルバム『3フィート・ハイ・アンド・ライジング』が重量ヴァイナルのアナログ盤や最近流行りのカセットテープでもリイシューされる。

そんなわけで、トゥルーゴイへのトリビュートとリイシューのタイミングなので、本日はデ・ラ・ソウルについて語らせて頂きたい。

知性とユーモアで勝負したデ・ラ・ソウル


デ・ラ・ソウルのデビューアルバム『3フィート・ハイ・アンド・ライジング』は、1989年3月3日にリリースされている。

この頃、米国ではヒップホップがポップミュージックの主流になりつつあった時期で、そのスタイルもギャングスタ・ラップが主流となっていた。強面な面構えとポージングやゴールドのチェーンをジャラジャラと身に付けて、“俺はタフなんだぜ” アピールのマッチョイズムがシーンを支配していた。また、急進的な政治的主張を強く打ち出したハードコア・ヒップホップも台頭しており、こうしたグループもアフリカン・アメリカンの厳しい日常が赤裸々に歌われている。

ギャングスタもハードコアもゲットーから発信される過激なストリートミュージックというステレオタイプが定着してしまい、本来、ヒップホップが持っていた自由なマインドや柔軟性は失われてしまっていたように私は感じていた。

そんなシーンに颯爽と登場したデ・ラ・ソウル


デ・ラ・ソウルは中産階級出身で、前述したギャングスタやハードコアとは正反対のオタクキャラ。ビデオクリップに登場するメンバーも学校の教室で不良たちにイジメられるキャラクターを演じている。そんな少年が心の内をラップするという設定がコミカルかつ知的に描かれている。

また、サンプリングのネタも、とにかく幅広いジャンルから選ばれており、スティーリー・ダンやホール&オーツ、タートルズなど、今までのヒップホップではあまり引用されないロックやポップからも印象的なフレーズやコーラスをサンプリングし、斬新なスタイルを提示した。さらにアルバムのアートワークには女子高生が使う文房具みたいなファンシーな花柄のデザインを取り入れたり、グループのロゴも柔らかいタッチでデザインされている。

ギャングスタ・ラップやハードコア・ヒップホップは、ゲットーでタフに生き抜かなければならないアフリカン・アメリカンにとっては、リアルな日常なのかもしれないが、リリース当時の1989年に都内の公立高校に通い、平和に暮らしていた私にとっては、全くリアリティーを感じることができなかった。

ヒップホップの革新的な音楽性は理解できるし、カッコいいと思えるのだが、どうにも夢中になれない。その音がハートに響いてこないのだ。しかし、デ・ラ・ソウルは、音楽性もグループの立ち位置やキャラクターも私にとってリアリティーのあるものとして、心に響いたのだ。

また、デ・ラ・ソウルのアンチ・マッチョイズムなアティテュードこそ、主流に対するカウンターカルチャーとして、様式美となってしまったギャングスタやハードコアよりも革新的な表現に感じられた。
音楽性も当時の主流が、ハードな音を極めていく傾向にあった中、膨大な量のサンプリングソースをコラージュし、カラフルでポップ、時にはサイケデリックな音像にまで作り上げることに成功している。こうした点もそれまでのヒップホップにはなかった手法だったし、既存のお約束ごとを一つ一つ壊していこうとする彼らの挑戦的な姿勢の方が過激だし、何より私をワクワクさせてくれた。

ラブ&ピースのヒップホップ、新しいスタイルの登場


また、1989年は世界中で自由を求めて人々が積極的な行動を起こしている。ベルリンの壁の崩壊、天安門事件、ルーマニアの非共産党政権樹立…

そして、日本では、自由を求めるという観点からは外れるが、昭和が終わり平成が始まる。平成になったことは、時代の変化の兆しだったり、戦後という概念が一段落していくような漠然とした空気感を私は感じていた。

こうした状況から、私は何となくラブ&ピースな気分が盛り上がっていて、デ・ラ・ソウルの『3フィート・ハイ・アンド・ライジング』はそんな気分との相性もバッチリだった。また、この頃、音楽性は全然違うのだけれどもザ・ストーン・ローゼズやティアーズ・フォー・フィアーズもサイケデリックな作品を作り上げており、私には単なる偶然ではなく、時代の空気が優れたクリエイターたちを、こうした作品づくりに向かわせたような気がしてならなかった。

デ・ラ・ソウルのデビューアルバムに宿るピースフルなマインドは、暴力や銃、命がけの抗争を歌うギャンスタ・ラップへのアンチテーゼとしてだけではなく、時代の空気を味方に付けて、私のような内向きロックファンのハートをも撃ち抜いたのだ。

英国で高まる評価、1989年のナンバー1アルバム


さて、こうした状況が追い風になっていたかと言うと、アメリカ本国ではそれほど強い追い風となっていたわけではない。
本作からはトップテンに入るようなシングルヒットが生まれたわけではないし、アルバムもナショナル・チャートでは、24位で新人グループのデビューアルバムとしては立派な成績だけれども、大騒ぎするほどの成果とは言い難い。

しかし、海の向こうイギリスにおいて、本作はとんでもなく高い評価を得ることになる。つとに辛口批評で有名な『ニュー・ミュージカル・エクスプレス誌(NME)』が選ぶ年間ベストアルバムの投票において、本作は、ザ・ストーン・ローゼズの『石と薔薇』を抑えて、ナンバー1に選出されている。

サブスク解禁&リイシューで再評価の高まりに期待


さて、ここまで高い評価を得た傑作アルバムが長いことサブスクリプションで聴くことができなかったのは何故だろうか?

それは、本作『3フィート・ハイ・アンド・ライジング』がおびただしい量のレコードからサンプリングしたソースをコラージュして作り上げた作品であるため、サンプリングの権利関係のクリアランスやレーベルとの契約関係が影響して、2023年3月3日まで時間がかかってしまったようだ。しかも、解禁日は3が3つ並ぶ日付で、彼らの代表曲「マジック・ナンバー」にちなんでおり、そんなオチャメなところもデ・ラ・ソウルらしいと言えよう。



サブスク解禁で若い層にも音源が届く状況が整い、ヒップホップに革命を起こした本作『3フィート・ハイ・アンド・ライジング』が気軽に聴けるようになったことの意義はとても大きい。また、私がそうだったように、ギャンスタ・ラップに馴染めないオタクな音楽ファンが、ヒップホップの魅力に気付くキッカケとなり、多くの人がデ・ラ・ソウルの知性とユーモアの虜になることは間違いないだろう。

すでに歴史的名盤としての圧倒的な評価を獲得している本作だが、今回のサブスク解禁とリイシューにより改めて若い層や普段、あまりヒップホップを聴かない人にその素晴らしさが伝わることを期待したい。きっと、トゥルーゴイもそのことを願っているだろう。

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2023.03.03
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カタリベ
1972年生まれ
岡田 ヒロシ
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