30年前の今日、1989年(平成元年)2月26日(日)、オフコースは解散した。
5人のオフコースが日本武道館で最後のコンサートを行った82年6月30日から7年足らず、鈴木康博が脱退し4人になったオフコースはこの日東京ドームで最後のコンサート『The Night with Us』を開催、その歴史に幕を閉じた。
当初は88年6月から89年2月まで全国83か所102公演行われた『STILL a long way to go』ツアーで活動を終了する予定であったが、ファンとスタッフからの熱い要望に応え、この “解散コンサート” が行われたのであった。
大学卒業直前の僕は何とかアリーナに立つことが出来た。4人になって初めて観たオフコースの3回めにしてこれが最後のコンサート。開演予定時間は18時30分だったが実際の開演時間の記憶はもう無い。
4人時代の代表曲の1つ「緑の日々」(84年)でコンサートは幕を開けた。直前のツアーでは演奏されていない、特別な選曲でのスタートであった。いきなりテンションが高く、今宵が特別な夜になる期待に胸が膨らむ。最後ステージが白く強く照らされる中、アカペラのコーラスで曲が終わった光景は未だに忘れることが出来ない。
2曲目で早くも「君住む街へ」(88年)が登場。今でも小田和正が歌い続ける名曲をオフコースの3人(小田、清水、松尾)でヴォーカルを分けたのはこれが最後であった。この後も松尾一彦がメインの「LAST NIGHT」(85年)、シングルにもなった「夏の日」(84年)と4人時代の曲が続いた。
そして5曲目、オフコース5人時代というかそれ以前の2人時代の曲で初めて歌われたのが「こころは気紛れ」(77年)であった。この曲が歌われたのは2人時代以来ではなかったか。続いて4人時代に戻り、清水仁メインの「逢いたい」(88年)。
7曲目、重いギターのイントロに場内がどよめいた。1980年のアルバム『We are』からの「時に愛は」。この名曲を4人のオフコースが演るのはこれが最初で最後であった。アウトロのツインギターソロは鈴木康博のいない中、サックスが代役を果たしていたように記憶する。歴史の重みをものともしない堂々たる演奏がやはり印象に残っている。
そして8曲目、遂に “事件” が起こる…
小田和正の弾くエレピのイントロが曲を想起させても拍手は全く起こらない。「終わる筈のない愛が途絶えた いのち尽きてゆくように」と、オリジナルとは違う箇所から小田が歌い始めても同様に場内は静まり返っていた。
その曲とは勿論、「言葉にできない」(81年)である。
この時から遡ること7年前の武道館で、脱退する鈴木への想いが高まり小田がこの曲を歌えなくなってしまった場面の記憶は未だ鮮烈だった。緊張のあまり僕ら観客は拍手をするタイミングすら失ってしまったというのが正しい所だろう。
バンドではなく、エレピを弾く小田とキーボードの2人だけで曲が進んでいったように記憶する。そしてシンセサイザーによる間奏明け、歴史は繰り返された。
「あなたに会えて ほんとうに… 嬉しくて…」
7年前同様、小田が歌えなくなってしまった。女性から叫声が上がり、場内は騒然とする。僕も、そして周りの観客も皆もらい泣き。その中「la, la, la…」というコーラスと手拍子が観客から湧き起こった。
これに助けられて小田もようやく、「あなたに会えて uh uh 言葉にできない 今あなたに会えて uh uh uh」と最後のパートを力強く歌い上げた。
僕らは小田の鈴木に対する尽きせぬ想いを目の当たりにし戸惑うばかりであった。確実に歴史に残るであろう場面を目撃した感慨にはなかなか浸れなかった。
別稿でも触れた通り、この後ソロになった小田がこの曲を再び歌うには、実に9年の日々を要することになる。
続いてはやはり『We Are』からの「きかせて」(80年)。この曲も恐らく8年振り、4人では最初で最後の演奏になったのに、前の曲での動揺が尾を引いたのかほぼ記憶に残っていない。
そしてここから4人時代の曲が続く。まずは名曲「たそがれ」(85年)とオフコース最後のシングルとなった「夏の別れ」(88年)。この後の MC で小田が「だから “言葉にできない” は演りたくなかったんだ」というようなことを言っていた記憶がある。
この後もしばらく4人時代の曲が続くのだが、コンサート本編最後、オフコースはまた飛び切りのサプライズを残していた。
コンサート後半、続きは1週間後。
2019.02.26