僕は68年生まれ。中学へ入学した12歳で80年代に突入した。十代の多感な時期に触れた音楽が僕の人格形成の中で欠かせないものになっている。
80年代と言えば、ロックの革命と言われたパンクムーブメントはとっくに終わっていたはずだが、高校生になった頃には、この遅れてきたパンクロックに夢中になっていた。
そのきっかけは、17歳で初めて足を踏み入れた新宿にあったディスコ、ツバキハウス。毎週火曜日に行われていたロックイベント「ロンドンナイト」だった。ここでのキラーチューンがラモーンズのリメンバー・ロックンロール・レイディオ。
「タン・タン・タタタ・タタタ・タン」という独創的かつ躍動感あふれるドラムのイントロが流れるとテーブル席から客が一斉に立ち上がる。煙草の煙で曇ったフロアは熱狂の渦になった。
もちろん、実際にバンドが演奏しているわけではない。グラスを片手にしたDJが時には針を飛ばしながら、音が割れそうな爆音でフロアを煽る。
ツバキハウスに集まるガーゼシャツやラバーソウルで着飾ったとびっきりの不良たち。ここには過去も未来もなんのしがらみもなかった。今ここにあるのは、スピーカーから流れる爆音。その瞬間だけ。そのキラキラしたうねりに飲み込まれる。ここで僕の人生は決定した。
真実はロックンロール。ロックンロール以外はぜんぶ嘘!
この初期騒動をどうなって後の人生に活かしていくか。それは今後の人生において唯一の模索する道となった。
時は流れ、93年末。それまで僕が編集に携わっていた情報誌が休刊になった。それじゃ自分たちで創ろうってことで、仲間と雑誌を立ち上げた。ちょうど翌年、94年の2月にラモーンズが来日するということで、創刊号でラモーンズの特集を組もうって話になった。もちろん、資金があるわけでもなく、版元も決まっていない。雑誌コードもない。自主制作の同人誌のようなものだ。
それでも、当時ラモーンズが所属していた東芝EMIの担当ディレクターに電話をかけると、あっさりOKをくれた。見ず知らずの僕たちに「雑誌名が気に入った」というだけの理由でOKをくれたのだ。取材内容は、クラブチッタ川崎のライブ撮影。その後、下北沢に移り、ジョーイとシーナ&ロケッツの鮎川誠氏と対談をする。楽屋もフリーパス。申し分ない条件だった。
撮影にあたり、前の雑誌でお世話になり、僕らをかわいがってくれたカメラマンの佐藤ジンさん(※)に相談すると、「ちょうど、アメリカから友人のボブが来ているから頼んであげるよ」と言い、そこで話は決まった。
2月3日のライブ当日。今でもはっきり覚えている。ショットのライダースじゃ暖をとれないほどの凍てつくような寒い日だった。
ラモーンズの楽屋に入るとジンさんがボブを紹介してくれた。無造作なくせ毛、年季の入った革ジャンを着たボブは、ヒッピーのような佇まいだった。革ジャンとジーンズのポケットに楽屋に用意されていたありったけの栄養ドリンクを入れおどけていた。手にしている機材も非常にシンプルなものだ。
僕らは「このオッサン大丈夫かよ?」と言った。僕らはだれひとりとして、ボブ・グルーエンを知らなかったのだ。
70年代から活躍し、パンク黎明期の瞬間に立ち会い、ジョン・レノンをはじめとする数多くのミュージシャンに愛されたロックンロールフォトグラファー。自分の部屋にあるセックス・ピストルズやローリングストーンズの写真集のクレジットがすべてボブ・グルーエンだったことを後で知る。
ジンさんはボブを紹介してくれる時、彼がどんなにすごい人か一言も教えてくれなかった。世界一のロックンロールフォトグラファーを「僕の友人」とだけ紹介してくれた。
そして、ライブ終了後、下北沢に向かうため、僕はジョーイと共にハイエースの後部座席に乗り込んだ。長身の腰を曲げ窮屈な車内に入るジョーイ。ライダースに細身のブラックジーンズ。黒ずくめのロックンロールの伝説は、海の凪のように深く穏やかだった。
拙い英語で当時ジョーイがよく聴いていたというスマッシング・パンプキンズなどの話はしたが、闇の中、静粛が包んでいた。途中神奈川と東京の境界にある多摩川に差し掛かり、川の大きなうねりが僕を飲み込んだ。夢か現実か分からないその一瞬から、今も変わらず、僕は覚めない夢の中にいる。
「ラモーンズは人生の通過点だと思っていた。決して会うことはないけれど、ずっと忘れない友達のような…」
これは、当時僕らがつくった雑誌のラモーンズ特集に僕が綴ったものだ。しかし、人生、予定調和はなく、僕はあの日のままジョーイと共に日々を歩んでいる。
2001年4月15日ジョーイは急逝し、今年、僕はジョーイと同い年になる。でも、いつだって宝物は傍にある。そして、すぐ傍で僕の肩に手をまわし、「うまくやっているかい?」って語りかけけてくれる。
「タン・タン・タタタ・タタタ・タン」
あの日のロックンロール・レイディオは今日も僕の心の中で鳴り響いている。
※注:
フォトグラファー、佐藤ジン。70年代後期から東京ニューウエィブシーンに深く関わり、当時の一連のロックムーブメントを東京ロッカーズと広義に捉え写真集「Action Portrait 『GIG』 Tokyo Rockers 1978~1986」を発表。近年では地元仙台が東日本大震災で甚大な被害を受けたこともあり、被災した太平洋沿岸を撮影し、個展を開き発表している。
2017.06.20
YouTube / toomuchtooalan
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