2017年 11月29日

乱世の救世主は死ぬまで現役、80年代の浅草六区で月亭可朝に遭遇!

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月亭可朝のシングル「嘆きのボイン2017」がリリースされた日
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「ボイン」という言葉はもはや死語になって久しい。元々は1960年代に、大橋巨泉が浅丘雪路の豊かな胸をそう表現したのが始まりだという。現在使われている、「巨乳」という言葉の即物性と比べ、「ボイン」には、おかしさや哀しみがある。それは、落語家月亭可朝が1969年にリリースして80万枚の大ヒットとなった「嘆きのボイン」という歌の影響が大きいのではないかと思う。

「ボインは、赤ちゃんが吸うためにあるんやで~お父ちゃんのもんとちがうのんやで~」

という衝撃のフレーズで始まる、哀愁あふれるこの歌は、誰もが耳にしたことがあるのではないか。彼がこのヒット以降、数々のスキャンダルや、アナーキーな問題行動で世間を騒がせたこともお馴染みだ。

そんな可朝を小学生時代、地元浅草で見かけたことがある。当時80年代初期は「大衆」的なものがカッコ悪いとされる時代だった。漫才ブームで、「ビートたけしが下積みをした所」として話題にはなったところで過去の街。「大衆」の街浅草にはもはや集客力がなく、閑散としていた。

かつて文化の隆盛を誇った六区界隈は、「浅草ROX」などの商業施設がオープンする再開発前。ストリップやポルノ映画館、おとなのオモチャ屋が並び、何をしているのかわからないおじさんやおばさん、酔っ払いや浮浪者がウロウロし、いかがわしい雰囲気が漂っていた。家では、「人さらいが来るから、ひとりで行ってはいけない」と言われていた場所だ。そんな街に、演芸場帰りだか、場外馬券場帰りだかの、可朝がひとりで立っていた。

その時一緒に歩いていた叔母が「ほら、あれ、ボインの…」と言うと母が、「あら、やだ…!」と言って笑い、足早に通り過ぎようとした。子どもに、「見せてはいけない人」のようだった。ちょび髭でメガネのおじさんは、「いかがわしい」町で、際立ち、何よりもいかがわしく見えた。どんよりとした80年代の浅草の景色が、彼を引き立てる舞台装置のようだった。母と叔母は阻止しようとしたが、私はもう、見てしまっていた。

それから30年以上たった今年(2017年)の夏、ひょんなことから可朝の落語を聞きにいった。そこで古典落語「鰻屋」「算段の平兵衛」を聞き、その鬼気迫る話力と眼力に圧倒された。彼のいかがわしさは、まさに落語の「枕」のようなものでしかないとわかった。挨拶がわりの、「スタイル」なのである。彼の本質はそのもっと奥にある。あのギラギラ光る眼の奥にあるものは何なのか。もっと知りたくてたまらなくなった。

そんな矢先、豊田道倫氏のプロデュースで11月15日に33年振りの新曲とセルフカバーを収録したベスト盤CD『ザ・月亭可朝ベスト+新曲』を、また29日には7インチアナログEP「嘆きのボイン2017」をリリースした。発売記念イベントでは生「嘆きのボイン」が聴けるとあって、行ってきた。

白昼の四谷のライブハウスは満員。大人だけでなく子どももいた。プロデューサーの豊田氏のあいさつ文によるとキッズ割引を設けた理由は、「これからの乱世を生き抜くために “気配” を感じてほしい」「後々何かのヒント、救いになるかと思う」ということだった。六区で可朝を見て足を速めた昭和の大人とは違う、現代の素晴らしい大人だ、豊田氏は。

鼎談でも漫談でも、可朝はしゃべるしゃべる。自由で、何にもとらわれていない。何も恐れていない。そして一言一言が、丁寧。来年80歳を迎えるというのに守りに入ってもいないし、驕りや適当さがない。

ギャンブル? 暴力? 不倫? そんなものはいけません、もうやりませんなどと決して言わない。言い訳もしない。「あるもんはある」「やるもんはやる」のである。「もう女は卒業など言わない。死ぬまで現役」と語っていたが、「女」だけではない、この人は「可朝」であることに死ぬまで現役なのだろうと思った。

そしてギター漫談。最初べらべらしゃべっていたかと思うと、いつの間にかなめらかにフェイドインしていく。声のハリと艶は、まったく年を感じさせない。

「こらホンマやで~」

と歌いギターをポロロン。ニヤリと笑い客を見据えるステージの可朝を見て、もう「ホンマのもの」しかいらないし、自分もしたくないと心から思った。豊田氏が子どもたちに向けた言葉は、生「嘆きのボイン」と「出てきた男」を目撃した自分にも当てはまることになった。まさに胸がいっぱいに膨らむ、精神的「ボイン」になれる可朝師匠のライブだった。

2017.12.07
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  YouTube / P-VINE, Inc.


  YouTube / Eddiejap
 

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カタリベ
1971年生まれ
上村彰子
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