連載【ディスカバー日本映画・昭和の隠れた名作を再発見】vol.20-「北斎漫画」
葛飾北斎の波乱万丈の生を描いた「北斎漫画」
筆者も今年、無事に還暦を迎えることができた。どうにかこうにか生きているが、本当に “生きている” と言えるだろうか? 能動的に生きるために必要なムラムラがなくなりつつあるのでは!?…… などと言うと “いい歳して何いってんだ?” と思われそうだが、それでもやはり生きていることに興奮していたいじゃないか! ムラムラは生の原動力になりうる…… という前提で、映画『北斎漫画』について語っていこう。
1981年に製作されたこの映画は、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の波乱万丈の生を描いた歴史ドラマ。監督は新藤兼人、主演は緒形拳という、まさに名匠&名優の作品だが、当時中学生だった筆者には別のイメージで強く記憶に残っている。田中裕子と樋口可南子が裸になる、かなりエロい映画と。とりわけ後者は “大タコと濡れ場を演じる” という、なんともグロテスクな話題が先行していた。いずれにしても中学生をムラムラさせるには十分だ。
葛飾北斎に感じた “ムラムラ的な衝撃”
実は葛飾北斎という人物にも、ちょっと興味があった。小学生の頃、切手収集を趣味にしていたが、昭和40年代には北斎の『富嶽三十六景』をデザインした記念切手のシリーズがあった。『富嶽三十六景』は、富士山をさまざまな角度からとらえた風景を描いた連作で、36景というタイトルではあるが、実際は46作ある。有名なものは、大波の背景に富士がのぞく「神奈川沖浪裏」。見たことがない? ならば、現在発行されている1,000円札の裏面を見てみて欲しい。ともかく、富士山が遠くにちょっとだけ見えている絵も含めて、子ども心に面白いと思った。
切手になるくらいだから、さぞや偉人なんだろう…… などと思ってはいたが、中学生になって映画『北斎漫画』のニュースを聞き、“あ、この人もエロだったのか!” と衝撃を受ける。これは、子どもの頃にテレビで見ていた『ウルトラマン』シリーズを手がけた実相寺昭雄や、小学生の頃に愛読していたポプラ社刊「少年探偵団」シリーズの作者・江戸川乱歩が、じつは一方でエロなもの(それも、変態チックな)を創作していたと知ったときの、ムラムラ的な衝撃と似ていた。
ともかく、観たいと思ったのだが、当時の筆者に予想外の壁が立ちはだかる。この映画、筆者の田舎では武智鉄二監督の『白日夢』と2本立てだったが、こちらが成人指定のポルノ映画だった。しかも “本番” を売りにした、いわゆるハードコアポルノ。それはそれで興味を惹かれたが、さすがに坊主頭の中学生が観に行くのは無理筋だ。田舎だから近所の目もある。このムラムラは一旦、棚上げ。『北斎漫画』は大人になってからの宿題にとっておくしかなかった。
緒形拳が体現した創作欲にまみれた葛飾北斎
上京して20歳となり、初めて観た『北斎漫画』は、やはり強烈だった。同じく切手収集時代に知った浮世絵師、喜多川歌麿への敵対心や、『八犬伝』の原作者、滝沢馬琴とのつながりなど、歴史的な部分は興味深く見た。女優ふたりのヌードも確かにまぶしかった。しかし、それ以上にインパクトがあったのは、緒形拳があのギラつくような個性で体現した北斎像だ。夕立の土砂降りの中に喜んで突進し、偶然出会った女を住処に連れ込んで脱がしてはその体をスケッチする。それでいて、思うように描けないと絵はやめたーと、唐辛子売りに転身したり。感情が先立つキャラクターなのだ。そして『富嶽三十六景』は傑作でも何でもないと言い切り、より凄いものを描こうとする熱情といったら!
映画では89歳にして、北斎は傑作を描き切る。それが、樋口可南子ふんする魔性の女とタコとの性交の絵だ。『蛸と海女』と呼ばれるこの絵は、実際には北斎がもっと若いころに描いた春画。しかし、史実に沿っているかどうかは、劇映画ではぶっちゃけどうでもいい。肝心なのは、何を伝えようとしているかだ。89歳の北斎は、かつて出会った美女とよく似た、この女性との出会いに創作的なムラムラを覚える。“俺が描きてえのはタコが女を犯してる絵じゃねぇ。女がタコをおもちゃにして弄んでいる絵だ” という北斎は、人間は誰だって魔性を持っているという思想の持ち主だ。その魔性を完璧にとらえたからこその傑作。ムラムラな生き方の集大成というべきか。
田中裕子、西田敏行ら昭和の名優たちの競演
映画としては他にも見どころがある。北斎に負けず劣らずマイペースながら、そんな父を支え続ける娘に扮した田中裕子は、18歳から70歳までを演じた。北斎とは正反対の几帳面な性格である滝沢馬琴に扮した西田敏行のユーモラスな妙演も味。乙羽信子やフランキー堺も怪演とも名演ともとれそうな頑張り具合だ。昭和の時代の名優たちを楽しめるという点でも、本作の意義は大きい。
最後に新藤兼人監督についても触れておこう。この映画を撮ったとき、彼は69歳。映画人としては、すでにキャリア40年のベテランで、脚本家として多くの名作に携わり、監督作ではタブーに挑戦した作品でも知られていた。そして驚くべきことに、新藤はこの後も30年にわたって映画を撮り続け、2012年に100歳でこの世を去る。映画をつくることは、この巨匠の生の原動力だったのだろう。還暦なんて、まだまだヒヨッコ。肉体が衰えるのは仕方がないが、何かをやりたいという心は、もっともっとムラムラするべきだ。
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2026.09.10