8月1日

戦争ドキュメンタリーの常識を覆す「ゆきゆきて、神軍」観る者を今も圧倒する奥崎謙三とは

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連載【ディスカバー日本映画・昭和の隠れた名作を再発見】vol.19-「ゆきゆきて、神軍」

「プラトーン」を超えた映画、「ゆきゆきて、神軍」


1987年8月。確か新聞でだったと思うが、“プラトーンを超えた映画” という活字が、当時大学生だった筆者の目に飛び込んできた。『プラトーン』とはベトナム戦争を題材にしたシリアスな作品で、その年のアカデミー賞を受賞。《重厚な映画だった……》と、当時つけていた映画鑑賞ノートに筆者は記している。ともかく、それを超えた映画――『ゆきゆきて、神軍』を観ないわけにはいかない。というわけで、唯一の上映館であるミニシアター、渋谷のユーロスペースに足を運んだ。

ユーロスペースは、現在は道玄坂の奥にあるが、当時は同じ渋谷でも井の頭線や国道246号を挟んだ反対側の桜丘にあった。小さな劇場で、座席も80席ちょっとしかなかったと思う。そんなミニシアターでの映画が新聞に取り上げられたのだから、どの回も満員。今のようにネットで座席予約できる時代ではなく、観たければ並ぶしかない。筆者も最初に足を運んだときは満席で断念したが、2度目は夏休み中の大学生の特権で比較的混まない平日の昼間の回を狙い、1時間前から並んで、ついに観ることができた。そしてそれは――

《ショッキングな映画だった。なんだかわからないが、自分が叱られているような気持ちになった》

ーー 当時の映画鑑賞ノートには、そう記されている。それほど怖い映画だった、ということだ。

奥崎謙三にスポットを当てるドキュメンタリー


『ゆきゆきて、神軍』という映画について、少し解説しておこう。太平洋戦争中、東南アジアでの過酷な戦闘を生き延び、復員後は殺人罪による服役を経て、反天皇制を訴える活動家となった奥崎謙三にスポットを当てたドキュメンタリー。昭和天皇を戦争の元凶として糾弾しながら、戦争時にニューギニアでともに戦った元兵士たちを訪ね歩き、終戦後も日本軍の名の下で行なわれていた小隊内の処刑の真相に、彼は迫っていく。そこで行なわれた蛮行には、飢えに苛まれた兵士たちが処刑した兵の人肉を食していたという、衝撃的な疑惑も含まれていた。

先にも述べたが、これはドキュメンタリーだ。当時20歳そこそこの筆者でこの頃までに記憶に残っているドキュメンタリー映画というと『キタキツネ物語』くらい。テレビではいくつか反戦ドキュメンタリーを観た覚えはある。戦時を語る元兵士たちの証言は確かに重かったし、考えさせられるものがあった。しかし、『ゆきゆきて、神軍』は、それらとはまったく違っていた。通常、この手の戦争ドキュメンタリーは俯瞰した “検証” に重きが置かれる。ところが本作は俯瞰というより、奥崎謙三という、戦地を体験した男に密着したもの。映画の中心にあるのは “検証” というよりは、奥崎という男の “私見” なのだ。



“知らぬ存ぜぬは許しません” というキャッチコピー


いやもう、この奥崎という人が凄すぎて、ひたすら圧倒される。復員後の殺人罪や、天皇陛下にパンチコ玉を放った罪などの前科持ちで、天皇制批判の街宣を続けている。小隊の処刑事件の真相を探ろうとする場面では、のらりくらりとかわすかつての戦友を殴り倒すことも辞さない。“知らぬ存ぜぬは許しません” というキャッチコピーが、この映画には付けられていたが、まさにそのとおりの御人だ。

当時購入した、『ゆきゆきて神軍 製作ノート+シナリオ採録』(話の特集社刊)の原一男監督の弁によると、奥崎は映画に撮られていることを意識しており、怒った芝居をすることもあったとか。また、無礼な相手に殴りかかった際、周囲の人々に組み伏せられて身動きが取れなくなった奥崎がカメラに向かい、(撮るのを)“やめろ!やめろ!” という姿も映画には収められているが、これを撮られたことは奥崎にとって相当な屈辱であり、監督との間にしこりを残したようだ。いずれも、笑えるほど人間的なエピソードではある。

だからといって、奥崎を好きになったかというと、それはまた別の話。映画のラスト近くで奥崎は、“よい結果がもたらされる暴力であれば許される。今後も私の判断と責任において暴力を行使する” というようなことを語るが、これにはさすがに引いた。直前に、戦時のことをかたくなに話そうとしない当時の戦友に、奥崎が殴りかかる場面があるが、この描写にショックを受けた後ではなおさらだ。

奥崎謙三はアナーキストではない。テロリストだった


後日、同じくこの映画を観たばかりの友人と呑みに行ったとき、このシーンの話になった。友人いわく、“奥崎ではなく、戦友の言ってることが正しいと思う” 。自分も同感だった。この戦友は “何を言っても、俺らのあのときの生活は誰にも理解できない” “生きてる人間には話せることも、話せないこともある、俺だけの問題じゃなくて、亡くなった人のこともあるから” と語っていた。すでに映画では表向きの “名誉の戦死” の裏側にある悲惨な現実が浮き彫りにされており、そこで何が起きたかはおぼろげに想像できる。それこそが戦争の残虐性を浮き彫りにする要素。『プラトーン』を超えたという評価も納得がいく。

2026年、YouTubeに『ゆきゆきて、神軍』の本編がアップされ、久しぶりに観直した。奇しくも皇室典範の改正が議論されている時期。原監督が当時を振り返るインタビュー映像もアップされていたので、いくつか観た。もっとも腑に落ちたのは、このひと言だ。“奥崎謙三はアナーキストではない。テロリストだった” ―― 確かに、そのとおり。しかし、同時にこうも思う。ならば、アナーキストでもテロリストでもない今の自分は何者なんだろう? 奥崎がこの映画と関わったのは62歳のとき。その年齢に近づきつつある筆者は、何らかの信念を持って生きているだろうか? そう考えると、また奥崎に叱られているような気になってきた。

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2026.08.15
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カタリベ
1966年生まれ
ソウママナブ
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