2023年 1月29日

【追悼:鮎川誠】シーナ&ザ・ロケッツのロックンロールは誰にもしばられない!

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2023年1月29日、鮎川誠逝去


2023年1月29日、鮎川誠逝去。翌日の訃報はロックファンにとっては、大きな指針を失った落胆と悲しみだった。

鮎川は、1975年、自身のバンド、サンハウスのギタリストとしてデビューした時から現在に至るまで一貫してライブアーティストであった思う。ロックの本懐がその継承であるなら、日本の音楽シーンにおいてその太い幹であり続けた鮎川は、最愛の妻であり、公私を共にするパートナーだったシーナを亡くした後もバンドを継続。ステージに立ち続けることで、これを実践していった。2022年には40回以上のステージに立った。

僕が最後に鮎川のステージを観たのは、2022年10月16日、下北沢のライブハウス、シャングリラでのステージだった。

今思えば、余命宣告されてから5ヶ月後のステージだったが、そんな兆候は微塵も感じなかった。この日は博多のロックムーブメントの発信基地として多大な影響を与え、めんたいロックの聖地とも言われた福岡ジューク・レコードの店主、松本康氏の訃報からまもない時期であり、鮎川は、松本を偲ぶ言葉と共に、氏がシーナ&ザ・ロケッツ(以下シナロケ)に歌詞を提供した「ワンナイト・スタンド」と「恋のムーンライトダンス」も披露した。

ステージのマーシャルアンプの上には灰皿が置かれ、煙草をふかしながら愛機レスポール・カスタムを身体の一部のように愛でて操る鮎川の紫煙に包まれた煌めきは、シナロケに出会った時に感じた衝動と何ひとつ変わっていなかった。この日のステージを観た者は僕と同じように、この煌めきは永遠に続くとさえ思っていただろう。

サンハウス解散後シーナ&ザ・ロケッツを結成


―― 1975年、サンハウスのギタリストとしてレコードデビューを飾った鮎川は、1978年の解散後、妻シーナとの結婚後、上京。シナロケを結成する。

後にマスコミが “めんたいロック” とカテゴライズする博多(北九州)のロックムーブメントの源流とも言えるサンハウスは、ブルースやブリティッシュビートの影響をストレートに打ち出しながらもグラマラスなステージを展開するロックのダイナミズムで多くのファンを魅了し、シーンの形成に計り知れない影響を与える。

しかし、上京後結成したシナロケは、博多直系のぶっといビートで勝負に出たのではなかった。セカンドアルバム『真空パック』では、YMO細野晴臣のプロデュースにより、伝統と進化が同居したかのような先駆的なビートで勝負に出た。それは自身のルーツに絶対的な自信を持ちながらも、何にもしばられることがない自由な発想で音楽を革新していくマインドがあったからだ。



東の進化と西の伝統が融合され生まれた「ユー・メイ・ドリーム」


このアルバムに収録され、初期シナロケの代名詞とも言える「ユー・メイ・ドリーム」も細野晴臣のアレンジだ。細野が作ったデモを聴いたシーナは「これはインストゥルメンタルで出したほうがいいのでは?」と提案したほどそのアレンジは綿密で完成度が高く、ポップミュージックの極みとも言えるスイートなものだった。もちろんその根っこには正しくロックを踏襲しながらオリジナリティを踏まえ、60年代のガールズグループからの影響も取り入れた鮎川のメロディセンスも欠くことのできない要素であった。

「ユー・メイ・ドリーム」は日本のリヴァプールと呼ばれる博多の土壌でしか成し得ることの出来ない楽曲センスとYMOを経由した細野の革新的な才能が溶け合うように生まれた唯一無二のナンバーだ。つまり博多のビートと東京のエレクトロニカ、東の進化と西の伝統が融合されたからこそ生まれた名曲だと思う。

同曲は、日本航空のCMソングにも抜擢されスマッシュヒットを記録する。シーナの女性の強さと艶やかさを体現したようなルックスと、髪を短く切った鮎川の黒ぶちのメガネがトレードマークとなった理知的なルックスは、当時のバンドイメージとなり、来るべき80年代のソフィスティケートされた時代性を先行していた。

その後のシナロケを形成したビクター期のアルバム


しかし、シナロケはこのイメージにしばられることなく、84年、ビクター移籍後、ロケッツ名義の自らのロックンロールを追求した『ROKKET SIZE』を皮切りに、原点回帰したかのような傑作アルバムをコンスタントにリリースする。



ビクター期に形成された現在のシナロケの原型はアップデートを重ね、2022年、鮎川が亡くなる直前までライブアクトは続いた。だから何度も言いたい。

鮎川誠は生粋のライブアーティストだった

―― と。

鮎川の代表作を何かと考えた時、サンハウス時代の『有頂天』か、初期シナロケを象徴する『真空パック』か、初のソロアルバム『クール・ソロ』か、シーナ産休時に残りのメンバーで作り上げたロケッツ名義の『ROKKET SIZE』か、結果としてシナロケのラストオリジナルアルバムになってしまった『ROKKET RIDE』か…。しかし1枚に絞ることは到底出来ない。それは、すべての作品に鮎川誠の血が注がれ、すべての作品ひとつひとつを積み重ね、その生き様が形成されているからだ。作品に優劣がない。こんな風に思えるミュージシャンはなかなかいない。

ファンが長蛇の列を作った鮎川誠 “ロック葬”


2022年2月4日、鮎川誠ゆかりの地下北沢から近い代田橋の「星かげ迎賓館」で鮎川誠“ロック葬”が執り行われた。代田橋の駅から会場に向かう道には偲ぶファンが長蛇の列を作った。その数は4,000人以上だった。革ジャンにブラックジーンズ、シナロケのTシャツ…。ファンは思い思いの格好で会場へと向かう。その列を見て、かつて取材した時に鮎川が言ってくれたこんな言葉を思い出した。

「(ロックンロールは)どこにも属してないというのがあるやないか。そういうのがあるから素敵なんであって、これが所属したりルールにしばられてしまったら意味がないんよ。Do what you likeやんか、ロックンロールって。フリーやし、それから輝かせるもんだよね」



ロック葬に向かうファンはそれをみんな知っていた。自由な感覚で発信されたシナロケの、鮎川のロックンロールを愛し続けたからこそ、誰にもしばられない自分の気持ちでファンは一言「ありがとう」と伝えたかったのだと思う。

そして、僕らが、今まで通りシナロケの話をして、シナロケを聴き続けるのが、鮎川への一番の供養だ。

鮎川誠と同じ時代を生きた日々はこれからも同じように、ずっと続くだろう。

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2023.02.07
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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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