もう結論から云ってしまおう。79年の秋は、桑名正博の歌うカネボウCMソング『セクシャルバイオレットNo.1』でバイオレット一色に染まった。この曲の注目すべきは〔詞:松本隆/曲:筒美京平〕のゴールデンコンビと、その背後にいた仕掛人の活躍である。 実は、それまでの桑名のシングルは、77年6月の1stシングル『哀愁トゥナイト』(I Shoot Tonight のシャレ)を始め、全て松本・筒美コンビの作品であった。これは当時RCAレコードで担当だった小杉理宇造ディレクターが仕掛けたものである。おりしも70s後半〜80s初めは、旧来からの歌謡曲と、新興勢力のニューミュージックが激しくぶつかった時期。それは、昔ながらの作詞家 / 作曲家の分業体制と、自己完結型シンガーソングライターたちの争いともいえた。 そんななかで、70年代初めからロッカーとして活躍してきた桑名が、筒美の曲を歌ったことで「彼は歌謡曲の側に取り込まれたのか」と訝るむきもあったという。だが、それこそが小杉の狙い〈新旧クリエイターの共演による化学反応〉であった。 ところが、順調な滑り出しと思った矢先、トラブルが発生する。桑名が、77年秋に麻薬取締法違反で逮捕され、懲役2年執行猶予3年の有罪判決を受けたのである。窮地に陥った小杉だが、諦めずに2年をかけて桑名の再生を図る。彼が執った作戦は、CMタイアップをとり、サウンドの露出を確保しつつ、大手スポンサーの威を借りて禊を済ませ、世の批判をかわすことだった。同時期に手がけていた山下達郎『愛を描いて -Let's Kiss The Sun-』が79年夏のJALのCMソングに起用され、確かな手応えを感じていた経験ゆえだ。そして小杉はカネボウに照準を定める。 タイアップは、競合の末の獲得だった。カネボウは『セクシャルバイオレットNo.1』をタイトルに指定してきた。そのお題に松本隆が歌詞で見事に応えた。必勝を期した小杉は、筒美から届いたデモテープをバックに、関係者の前で歌ってみせたという。その結果、沢田研二や松山千春らの候補曲をおさえて採用が決まった。 CMオンエア後の反響はすさまじかった。オリコンでは、それまで11週連続でチャート制覇のさだまさし『関白宣言』を破ってのトップ獲得、3週連続1位。TBS「ザ・ベストテン」でも、ゴダイゴ『銀河鉄道999』の8週連続1位を破って1位。タイトル通りに「No.1」に上りつめた。シングル売上は年間56万枚を記録、夏の資生堂CMソング『燃えろいい女』(ツイスト)の40.9万枚をしのいだ。 かたや、資生堂のCM曲は同じロック路線の柳ジョージ&レイニーウッド『微笑の法則』。こちらもシングルチャート年間45位になるなど健闘したが、『セクシャル〜 』の圧倒的なパワーの前では霞んでしまった観は否めない。 この79年秋キャンペーンで、カネボウは初めて資生堂に化粧品の売上で勝ったとされる(ただし、執筆に当たってカネボウ・資生堂の両者の社史本を調べたが、明確な根拠となる記述やデータは確認できなかった。とはいえ、万年2位といわれたカネボウが資生堂と肩を並べるにまで勢いづいたのは確かである)。いよいよ時代は両者拮抗の80年代へ。 (つづく)
2016.10.26
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