90年代後半から2000年代、闇落ちした岡村ちゃん
1990年7月、「どぉなっちゃってんだよ」のMVを見た私が、岡村靖幸にハマってから早32年(
『キモイが愛に変わる時、岡村靖幸「どぉなっちゃってんだよ」の衝撃』参照)が経った。年に2回ライブツアーをし、コンスタントにアルバムとシングルをリリースし、他のミュージシャンと共演し、曲提供やプロデュースをし…… と安定的に活躍するここ10年ちょっとの岡村ちゃん。ベイベ(岡村ちゃんファンはこう呼ばれます)として、「あぁなんと幸せなことか」と、ふと思うことがある。
振り返ると、90年代後半から2000年代の岡村ちゃんはしんどそうだった。曲のストックはいくらでもあるのに、歌詞が作れないせいで極端に寡作に。95年当時のインタビューを読むと、女子高校生が援助交際をしてパンツを売っているといった社会問題に、かなり心を痛めていたことがわかる。それはそれとして割り切り、純愛で青春な歌詞を作ればいい…… となれないのが岡村ちゃんなのだ。
制作が進まないからだろう、周囲のスタッフとの関係が悪化しているとの噂も囁かれていた。ストレスのせいか、体が重くなっているのは、はたから見ていても明らか。ライブでは、ダンスのキレは失われ、声も出ていなかった。
ベイベも辛かったが、岡村ちゃん本人の辛さはその比ではないだろう。3度の逮捕に実刑判決……。はぁ、書いているだけで胸が締めつけられる。
「もう、岡村ちゃんはダメだな、二度と表の音楽界には戻ってこられないだろな」。この頃私はそう思っていた。あれだけ聴いていたアルバムやシングルもそっと奥に仕舞った。聴くと泣けちゃうから。
2011年に完全復活!救世主は音楽界の重鎮にして危険物取扱専門者?
だから、2011年の岡村靖幸復活劇を忘れることはできない。8月にリリースされたセルフカバー&リアレンジアルバム『エチケット』の素晴らしさ。私たちをキュンとさせた数々の曲が、2011年の楽曲に生まれ変わっている。
さらに、その年のライブツアーで完全なる復活を実感。シュッとした姿で颯爽とダンスし、伸び伸び歌いあげる岡村ちゃんを見て、全ベイベが涙したのではないだろうか。
この復活劇の陰の立役者であり、岡村ちゃんを闇から救い出したのが、所属事務所V4inc.の社長兼マネージャー、近藤雅信氏であることに異論を唱える人はいないだろう。天才アーティストには名マネジメントが必須であることを、私は実感した。
近藤さん、どうやら業界で知らぬ人はいない存在らしい。アルファレコード、東芝EMI、ワーナーミュージック、ユニバーサルミュージックなどでA&Rやプロデューサーとして渡り歩き、YMO、RCサクセション、THE TIMERS、松任谷由実などの作品に携わってきたという音楽界の重鎮。
ユーミン曰く音楽界の “危険物取扱専門” の近藤さんと、“危険物(?)” である岡村ちゃん。近藤さんと組んでからの岡村ちゃんの活躍はめざましい。こんな日が来るなんて、アルバムをそっと奥に仕舞った2008年の自分に教えてあげたいよ、ほんと。
2022年のDATEアレンジがカッコいい! 援交をテーマにした「ハレンチ」
今年2022年『岡村靖幸 2022 EARLY SUMMERツアー 美貌の彼方』の7月27日千秋楽、LINE CUBE SHIBUYA。ステージに近藤さんが登場した。いつもは岡村バンドのベース担当である横倉和夫氏が会場販売のアーティストグッズを紹介するのだが、その日は近藤さん自らグッズを紹介。コロナウイルス禍でなければ、多くのベイベたちから「近藤さーーーん!」の声援があがったに違いない。
そうそう、肝心の岡村ちゃんDATE(岡村ちゃんライブはこう呼ばれます)。いつもは後半に演奏される「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」が1曲目、さらに「だいすき」が2曲目で、「そう来たか!」となった。
DATEでは、昔の曲でもしっかり今のアレンジを施すのだが、特によかったのが「ハレンチ」。援助交際をテーマに、「女の子たちわかんないよ」と悩む、闇落ち初期の96年にリリースされた曲だ。当時私はあまり好きになれなかった。何もエンコーをテーマにしなくても… と。だが、今あらためて聴くとめちゃカッコいいし、今回のアレンジは最高。
思えば岡村ちゃん、あの闇落ち期でもアルバムやシングルの完成度が落ちることは一切なかった。暗闇の中にいたときでも、音楽に対してはずっと真摯に光を追い求めていた岡村ちゃん。2022年、ステージに立つその背中に羽が見えたのは、気のせいだろうか。
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2022.08.14